大谷、藤浪と「高校BIG3」と称された中日濱田達郎は4年ぶりに支配下復帰した 背番号69が初々しい。2月下旬、中日の2軍…

大谷、藤浪と「高校BIG3」と称された中日濱田達郎は4年ぶりに支配下復帰した

 背番号69が初々しい。2月下旬、中日の2軍がキャンプを行う沖縄・読谷球場。濱田達郎の表情は明るかった。育成から4年ぶりに支配下選手に返り咲いて迎えた球春。かつて大谷翔平、藤浪晋太郎とともに「高校BIG3」と呼ばれた大型左腕はいま、度重なる手術で味わったどん底からの復活を遂げようとしている。

「ん?」。一瞬、状況が飲み込めなかった。昨秋の契約交渉でのこと。球団代表との会話の中で、「支配下契約」という言葉が発せられた。「最初は何を言っているんだろうって……」。育成選手としての3年間が終わり、クビも覚悟していた。もし契約できたとしても、てっきり育成でもう1年猶予をもらえるだけだと思っていた。球団がかける期待は、濱田自身も想定外の大きさだと知った。

 支配下を引き寄せた大きなきっかけは、昨秋の教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」だった。チームメートの打者たちに意見を聞きながら、投球フォームを模索。セットポジションの立ち位置やリリースポイントなどを試行錯誤し、元来のスリークオーター気味の投げ方に活路を見出した。9試合で10イニング1/3を投げ、わずか1失点。視察した与田剛監督の前で大きなアピールにもなった。

「手応えはあります。ボールを操れている感じはあるので」。濱田は大きくうなずく。本来は先発タイプだったが、現在は中継ぎでの起用。見守ってきた2軍の小笠原孝投手コーチも「自分自身で考えながらやっていた。勝負をかけたんだと思う」と感慨深げに言う。左打者に対してより球が見にくくなった点に加え、右にも左にも効果的なチェンジアップも評価し、「体が元気なら、面白い存在だと思う」と強調。1軍投手陣を支える存在になる可能性も「大いにある」とうなずいた。

4度のメスで腐りかけた時期も“心の成長”「だんだんと周りが見えるようになってきました」

 野球の神様がいるとするなら、長い間そっぽを向かれてきた。高卒プロ2年目の2014年に5勝を挙げたが、その年の登板中に左肘靭帯を損傷。15年からの2年間は未勝利に終わった。度重なる故障に見舞われ、左肘などにメスを入れたのは実に4度。腐りかけた時期も経て、いつしかありのままの現実を受け入れるようになった。「プロでの年数もあるかもしれませんが、だんだんと周りが見えるようになってきました」。怪我の功名で得た“心の成長”が、確かに復帰への道を支えた。

「まだまだ、ここからですよ」。そんなにたやすい世界ではないとは分かっている。1軍登板からは、もう3年以上も遠ざかっている。「1軍に上がったときに力んでおかしくなっても仕方ないので、今は自分のイメージ力で補いながら準備しています」。シャドーピッチングひとつやるにしても、常に打者やカウントなどを想定し、実戦的な意識を心がける。

 野球ができる喜びは、誰よりも胸に刻んでいるつもり。「僕に期待してくれる人がいるのなら、しっかり任された役割を全うしていくだけです」。背番号が2桁になっただけでは、もちろん満足なんてしていない。プロ入りから4年間背負っていた43番には愛着がある。「結果を残して、取り返したいですね」。大歓声に迎えられた「浜ちゃん」が、ナゴヤドームのマウンドで仁王立ちする日が待ち遠しい。(小西亮 / Ryo Konishi)