2018年5月29日、東北楽天との交流戦──。 横浜DeNAベイスターズの倉本寿彦は、茂木栄五郎の平凡なセカンドゴ…

 2018年5月29日、東北楽天との交流戦──。

 横浜DeNAベイスターズの倉本寿彦は、茂木栄五郎の平凡なセカンドゴロを「感覚の違い」で内野安打にしてしまい、2日後に二軍落ちとなった。このプレーをきっかけに、ネット上では倉本を”叩く”風潮がますます顕著なものとなってしまう。そんな痛恨のミスの後でも、倉本は淡々と前を向き続けた。

「プロとしては、やってしまったことは受け入れるしかない。マイナスな気持ちにもなりますけど、絶対に言い訳したり、悪い感情を持ったりしない。言葉が物事を動かすこともありますからね。ミスをして批判をされても、受け入れて、反省して、前を向く。

 ひとりじゃ厳しい時も、僕は周りの人に本当に助けられています。過去に同じようなミスをしたチームメイトに声をかけてもらえたこともそうですし、球場に行けば、僕に『がんばれ』と声をかけてくれる人たちがいたことも、前を向く力になりました」




地元に近い平塚球場で原点に返った倉本

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 もう後がないと臨んだ19年シーズン。倉本は開幕一軍メンバーに選ばれたものの、なかなか結果が出せず、ベンチを温める日々が続いていた。やがてチームが上昇気流に乗り出した6月5日に登録を抹消されると、しばらくは一軍から声がかからなくなった。

 夏の日。横須賀の練習場へ行くと、倉本はいつもと同じように最後まで黙々とバットを振り続けていた。練習が終われば陽が西に傾くなか、最後の1人までファンにサインをし続ける。

「僕がファンの立場だったら、サインしてくれたら嬉しいじゃないですか」

 プロに入ってからの5年間、ずっとその姿勢は崩していない。

「いろんな声がありますし、一軍の試合にも出られていない状況なので、気持ち的にファンの人たちの前に出づらいなぁと思う時もあります。でもそこで一歩踏み出してみると、自分が思っている以上にファンの人たちが喜んでくれて、僕に『がんばれ』と声をかけてくれる。

 その言葉やファンの人の顔が、ひとりになって、いろいろと考えてしまう時にふとよぎるんです。プロ野球選手なら、がんばらなければいけない。最後まで前を向き続けなければいけないって、本当は僕のほうが何度も助けられているんです」

 19年。倉本は出場24試合、わずか4安打とプロ入り後ワーストの成績に終わった。

「悲しい、悔しいと嘆くよりも、自分の力で、周りを、世界を変えていくしかない。来年はすべての面において、それができるチャンスだと思っています」

 昨秋。倉本は2年ぶりに宮崎のフェニックスリーグに参加した。その最終週、打席に入った倉本のバットはヘッドを頭の後ろに入れないフォームに変わった。少しでもバットの出をスムーズにしてヒットを打ちたいという願望が見てとれた。

「フォームを変えたのは、自分の理想である、ヒットを数多く打ちたい、打率を残したいという考えに一番コンタクトできる形だからです。(細川)成也と話しているなかで試してみようと思い、実際いい感覚を掴めています。試合に出られなかったことで、必要なことは変えなければいけないけど、これまでやってきたことすべてを変える必要はない。自分の芯の部分だけはブレちゃいけないと思うんです」

 奄美での秋季キャンプでも調子の良さを持続していた。監督のラミレスは、「今の状態なら16年のキャリアハイを上回ることができるだろう」と手放しで絶賛したが、新シーズンへの確証は何ひとつとしてない。

 オフになっても倉本は休まなかった。以前から気がかりだった身体の使い方を見直すために新たなトレーニングを取り入れ、根本から作り直すことに挑んだ。

「これまでは独学でやってきましたけど、一昨年ぐらいから1人で挑むには限界を感じるようになっていました。いろいろ試しましたが、自分の身体の感覚に合うものってなかなか難しいんですよ。それがやっと『いける』と思える方法を見つけて、今は身体の芯から動けている感覚があります。
 
 僕はもともと身体が硬いんです。その素地の上にトレーニングを積んできていましたから、本来できるはずの動きに制限がかかってしまったり、腰に痛みが出てバランスを崩してしまっていた。それらの原因がやっとわかった気がするんです」

 一昨年といえば17年。ショートとして石井琢朗以来のフルイニング出場を果たし、日本シリーズに出場した年だ。あの年、倉本の失策は目立つようになり、前年リーグ2位の.989だった守備率は.979と大きく数字を落としていた。

「前の年もエラーはしていたんですが、結果的にごまかせていた部分もあったと思うんです。問題はエラーの数とか率じゃない。17年はシーズン中から『ヤバい、このままじゃ行き詰まるかもしれない』という予感がありました。技術以前のコンディショニングの問題です。そこがよければ動きたいように動けるし、技術もついてくるんですが、その部分が動かなくなってしまうと、すべてダメになってしまう。

 なんとか改善できないかといろんな方法を試してみたんですが、どれも合わなくて。自分の身体が『違うな』という違和感があるまま迷いが出てしまい、実際に身体が動かなくなっていたように思います」

 違和感を抱えたまま失策を重ねた倉本は、次第に守備に対する自信も失っていく。そこへセカンドへのコンバートが重なった18年は、身体に染みついたショートの動きが、真逆の動きを求められたことでさらなる混乱を招いた。

 コンディショニングの問題が改善されつつあった19年は、一軍の舞台にいられる時間が少なかった。

「この2年間はほとんど試合に出られなかったですが、精神的に鍛えられた部分もあるし、セカンドや代打など、これまでやったことがないポジションも経験できた。その難しさであり、克服しようとしたことは、選手としての幅を広げてくれただろうし、人間的にも成長するには必要な時間だった……と、思います。だけど、やっぱり試合に出たいですよ。どんなにいい経験を積めていたとしても、野球選手が答えを出せるのはやっぱりグラウンドの中しかないですからね」

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 20年1月。倉本は今シーズンの始動を、プロ入り後初めて地元に隣接する平塚球場からスタートさせた。細川成也や古村徹、NPBを目指し独立リーグでプレーする若い選手たちと午前から夕方まで練習を共にすると、自然と笑みがこぼれていた。

「前から地元で自主トレをしたかったんですけど、今年やっと実現できました。野球を通して知り合った、成長したいと願う若い選手と一緒に練習していくなかで、いろんな話ができて僕自身も刺激を受けました」

 毎年1月、倉本は出身地の神奈川県茅ヶ崎市でトークショーを行なっている。あまり前に出て話すのが好きではない倉本が、自ら進んで行なうこの地元のイベント。今年はイベント終了後に「いつも応援してくれる人たちに何かしら感謝の思いを伝えたい」と突然出口に立ち、来場者350人とひとりひとり握手を交わして見送った。

「僕1人の力ではここまで来ることができませんでした。両親や、学生時代、社会人での指導者、チームメイト。プロに入ってからもそうです。いろんな人たちの助けのおかげで今、ここにプロ野球選手として立っていられる。その恩を少しでも返していけたらという思いがずっとあるんです。一番の恩返しになることは、一軍の舞台で活躍することだというのもわかっています」

 後日、茅ヶ崎市役所を表敬訪問した倉本が今年の活躍を誓うと、茅ヶ崎市の佐藤光市長は、市をあげて倉本を応援することを約束。さらに「ベイスターズが優勝したら、茅ヶ崎で倉本選手のパレードをやりましょう」と、実現性はともかく、気持ちだけは十分に伝わる提案まで受けた。倉本も戸惑いながら思わずうなずいていたので、たぶんやるのだろう。




茅ヶ崎市長を表敬訪問。地元パレードは実現するか?(写真=タウンニュース)

 今年の秋。倉本はどんな実りを得ているのだろうか。

 ベイスターズはショートのレギュラーに大和がいて、柴田竜拓もいて、ドラフト1位ではショートの森敬斗が入団してきた。倉本の春季キャンプは二軍からスタートした。この2年間結果が出なかった現実がある以上、厳しい戦いになることは容易に想像できる。

「長く安定して活躍できる選手になれたらいいんですけどね。今年ダメだったら終わるかもしれないし、本当に勝負の年だなと感じています。これからも厳しい状況はあるでしょう。ただ、どんなことがあっても負けない選手でありたいです」

 倉本は絶望しない。前を向き続ければ、何度でもやり直せるのだ。自身が憧れ続けたプロ野球選手は、それができる存在だと信じてグラウンドに向かう。