平石洋介インタビュー(前編) 今年からソフトバンクの一軍打撃兼野手総合コーチに就任した平石洋介は、楽天が誕生した2005年から選手として7年、指導者として8年と、計15年もの間、東北に野球人生を捧げてきた。 とりわけ昨年は、”12球団最年少…

平石洋介インタビュー(前編)

 今年からソフトバンクの一軍打撃兼野手総合コーチに就任した平石洋介は、楽天が誕生した2005年から選手として7年、指導者として8年と、計15年もの間、東北に野球人生を捧げてきた。

 とりわけ昨年は、”12球団最年少”となる39歳の若さで楽天の監督となり脚光を浴びた。2018年に最下位だったチームは、シーズン開幕前の評論家たち順位予想で軒並み「Bクラス」。しかし、平石楽天はその低評価を覆し3位となり、クライマックスシリーズ(CS)進出を果たした。



今季からソフトバンクの一軍打撃兼野手総合コーチに就任した平石洋介

 その指揮官が、わずか1年で退任となった。

 愛着ある楽天を去る決断を下したことについて、平石に後悔はない。

「監督のお話をいただいた時に、僕としては相当な覚悟で引き受けさせていただいたんですけどね。でも、結果的にこうなったことに関しては、心の整理はついていますよ」

 この言葉に虚勢も達観もない。

 開幕を間近に控えた昨年3月のことだった。監督としてのモチベーションやチーム状況などを聞いていると、平石はそれまで以上に声のトーンを上げ、まるで念を押すように自らの意志を伝えた。

「きれいごとでもなんでもなくて、僕の評価なんてどうだっていいんです。選手の起用とかゲームでの作戦にしても、良くも悪くも何かしら批評されるわけですしね。『監督としての評価を上げたい』なんて、まったく思ったことがないんです。それよりも勝ちたい。このチームを強くしたい! それだけなんです」

 平石には、指導者となってから選手たちに言い続けてきた言葉がある。

「腹をくくれ」
「勇気を持って戦え」

 連勝や連敗の最中や上位を賭けたカードなど、報道陣から「明日は大事な試合となります」と質問されれば、いつだって「明日じゃないです。いつも大事な試合です」と強調してきた。渡辺直人や藤田一也のベテランは、「平石監督は0−10で負けていても絶対に勝負を捨てない人」と、その隙のない姿勢に頭の下がる思いだったという。

 平石は選手に伝えている言葉を、いつだって自身で示していた。だから、いかなる評価も受け入れ、勇気をもって前に進むことができたのだ。

 あの日からの騒動もそうだ。平石は動じず、冷静に振る舞った。

 9月18日、スポーツ紙の一面に平石の監督退任が報じられた。この時、3位と1ゲーム差の4位。CSが射程圏内にあるなかでのニュースに、周囲は騒然となった。

 記事では、平石が最年少監督でありながら若手の積極起用や細かい戦術で上位争いに参戦しているなど、指揮官としての能力を評価していた。一方で、監督退任の理由については、1年契約だったことや石井一久GMとのコミュニケーション不足、リーグ優勝が完全消滅したことが言及されていた。

 その内容に関して、平石は今も否定はしない。それどころか、客観視するように球団と監督の立ち位置を述べる。

「監督として長い目でチームをつくっていこうとは思っていましたけど、球団側の考えもあるのは当然のことなので。逆に、球団にビジョンや考えがないようじゃアカンと思うので、そこは『しっかりと話し合いながら、チームをいい方向に導いていこう』とは思っていました。ただ、現場のトップとしての責任感は絶対に持って戦わないといけないし、時には選手を守らないといけない。いろんなことを考えながらやってきたつもりです」

 監督退任の報道以降、連日のように関連の報道をされるなか、平石は戦いに集中していた。「毎日が重要な試合」を体現していたのである。

「その日のベストな布陣は?」と熟考し、決断する。CS進出を決めた9月24日のソフトバンク戦で逆転本塁打を放ったゼラス・ウィーラーのように、不振に喘いでいたとしても、ベンチでの立ち居振る舞い、勝利への意欲を前面に出して戦う男たちを、平石は信じ、グラウンドへ送り出した。

「あの時はとにかく、目の前の試合で勝つためにどうするか? 何とかこのチームで日本一になりたい……それしかなかったです。だから、周りからどんな声が聞こえてこようが、別に自分の何かが変わるようなことはなかったですね」

 虚心坦懐の平石が現実を受け入れ始めたのは、CSのファーストステージでソフトバンクに敗れた直後である。

 選手たちにシーズンの労をねぎらう言葉をかけ、報道陣の囲み取材に対応した平石の表情は穏やかだった。彼自身は「本当に悔しかった」と、あの場での感情を表現したが、丁寧に記者の質問に応じていた。球団広報が「そろそろよろしいでしょうか?」と締めなければ、いつまでも取材が続くような雰囲気すらあった。

 紡いだ言葉。それは、成長したチームを称える、親心のようだった。

「シーズンが始まる前から『戦う集団になろう!』と言ってきましたけど、口で言うのは簡単なんです。試合に出ている選手はもちろん、ベンチメンバーも含めてそういう気持ちにならないと、本当の意味での戦う集団にはならないわけで。今年(2019年)は苦しい時期もありましたけど、とくに終盤はひと回りもふた回りも成長してくれて、CSでもその気持ちを出して戦ってくれました」

 ひと言、ひと言、噛みしめるように答え、囲み取材を終える。ふと、自分の未来のことが平石の脳裏をよぎった。

「もしかしたら、今日でこのユニフォームを着るのが最後かもしれないな」

 例年、首脳陣はシーズンの全日程が終了した時点で、球団と翌年の契約について話し合いの場が設けられる。平石が球団から要請されたポジションは、「二軍統括」という新設の役職だった。

 もともと、どのような内容だったとしても一度保留し、熟考してから回答しようと決めていた。しかし、二軍統括という仕事が重要であることを理解はできるものの、自分がその任に就くことの意味を、「その場でも、話を持ち帰ったあとも見出せなかった」と、平石は偽らざる想いを、言葉を選びながら口にした。

 球団からのオファーと自分の今後を、頭をクリアにして考える。自分が納得しないままこの仕事を引き受けたら、楽天という居場所にしがみつくことになるんじゃないか? そう自問自答して、平石の信念がふつふつと沸き立つ。

 現役を引退した2012年、コーチとして新たな野球人生をスタートさせた時の、言うなれば金科玉条が再び心に突き刺さった。

「コーチになる時に、『今の場所にしがみつくような人間にだけは絶対になりたくない。自分の立場を守るような指導者だけにはならない!』って思って。指導者として、僕はたいしたことはできないかもしれないですけど、自分の保身を優先して選手やスタッフと向き合うことだけは絶対に嫌なんです」

 だからといって、感情的になるわけではない。

「自分本位で決断するのはフェアではない」

 常にそう言い聞かせてきた。だから、家族を最優先に考えた。妻には球団から伝えられた新たな契約内容を説明し、自分の根っこに息づく感情を伝えたうえで意見を求めた。

「俺の気持ちは一切抜きにして、来年の生活のことだけを考えて言ってほしい」

 しがみつくな、という想いは、あくまでも平石の信念だ。それを貫き通すことによって家族を犠牲にしていいなどと思うはずがない。妻は、腹をくくった平石を尊重してくれた。

「自分の気持ちに素直になったら」

 迷いは、消えた。

「わかった。辞めるわ」

 覚悟を決めた平石には、もうひとり意志を伝えなければならない人物がいた。PL学園時代のコーチで、「家族以外で真っ先に相談する人」と全幅の信頼を寄せる清水孝悦(たかよし)である。

 まだ明確な答えを出していない時期に、「辞めようとは思っています」と報告した際には、清水からこう告げられていた。

「お前が決めたことやから辞めるのは構わない。ただ、これだけは言っておくぞ。野球人にとって、野球がなくなるのは想像以上にダメージが大きいぞ。野球の偉大さをまざまざと痛感するぞ。だから俺は、平石には野球界にずっと携わっていてほしい」

 平石は、清水が野球部を守るために学園の経営陣と戦ってきたことを知っている。そんな情熱の男がPL学園を去らざるを得なかった無念が、痛いほどわかる。だからこそ平石は、清水の自分に対する想いも背負うと決めた。

 再び清水に電話した平石は、自らの意志を伝えた。

「清水さん、やっぱり辞めます。楽天を退団することに決めました」

「そうか……。よう、決断したな。よう、頑張ったな」

 電話口での清水は、声を詰まらせていた。

 球団からの二軍統括の要請を断り、退団の意向を伝えるのは、セ・パのCSファイナルステージ終了後から日本シリーズが開幕するまでの間と決めていた。自分の口から去就を伝えれば、マスコミは報道するだろう。そのことによって、プロ野球の大一番に水を差してしまっては申し訳ないと考えての配慮だった。

 それまでの間に、石井GMがA4用紙1枚に「監督退任の理由」をまとめ、マスコミ各社に配布していた。平石本人は、戦術面への言及やチーム育成の方向性など、その内容を詳しく把握していたわけではなかったが、この異例ともいえる”説明責任”を人づてに聞き、「潔く辞めたかったな」と、少しだけ思った。

 2019年10月15日。球団との話し合いで、平石の正式な退団が決まった。もともと会見の予定はなかったが、「最後に自分の口からみなさんに説明したい」と、楽天生命パーク宮城で取材に応じた。

 その場で綴った平石の惜別の辞は、楽天ファンの胸を打った。

「本当に仙台が好きですし、宮城県、東北が好きです。楽天に来て15年。選手、スタッフ、球団職員。また、ファンのみなさんへの思い入れは誰にも負けないくらい持っていますけど、そんな私でも、退団する決断をしました。それがすべてだと思います」

 腹をくくり、他者の評価を受け入れ、現状にしがみつくことなく歩む。退団の経緯、色濃く打ち出された数々の想いに触れれば、この囲み取材での「それがすべて」に、平石洋介という野球人の信念が集約されているようだった。

「そうなんですかねぇ……」

 平石は、少し照れ臭そうに視線を下に落とす。わずかな間をつくり、あの会見での心情を呼び覚ました。

「あんまりかっこ悪く辞めたくなかったし。そうですねぇ……いちばんはね、みなさんに僕の気持ちを直接伝えられてよかったというか。ああいう場を設けてもらえないんじゃないかと思っていたんで。マスコミのみなさんを集めてくれた広報の方にも感謝ですね」

 取材対応を終えた平石は、「前に進まないといけないな」と気合いを入れ直し、15年間、慣れ親しんだ仙台の球場をあとにした。

後編につづく