4月からは大学進学予定の本田真凜(写真は昨年の全日本選手権) 1月18日、広島ではアイスショー「プリンスアイスワールド2020」が開催されていた。薄暗いリンクに、桃色のライトが仄かに灯る。新しいエキシビションプログラムの「I’m an Al…



4月からは大学進学予定の本田真凜(写真は昨年の全日本選手権)

 1月18日、広島ではアイスショー「プリンスアイスワールド2020」が開催されていた。薄暗いリンクに、桃色のライトが仄かに灯る。新しいエキシビションプログラムの「I’m an Albatraoz」が、重低音のビートを震わせた。

 本田真凜(18歳)が、曲に合わせて滑らかに体を揺らす。ふたつに結んだツインテールが、大きく跳ねる。黒いタイツにゴールドの柄があしらわれた衣装は、ネコ科の動物のように見えて、手の指には爪に見える細工がしてあった。

 本田は気力が充実しているのか。スピンを綺麗に決め、ジャンプも無難にこなした。氷の上に立った時の表情は、愛らしさに妖しさも混じって、魅惑的な雰囲気を伝える。視線を流すだけで、そこには見えない線が引かれる。曲の最後、セリフに合わせて髪の端を持ち上げ、いたずらっぽく微笑んだ。

 彼女は、会場の喝采を浴びた。理屈ではないのだろう。その演技は、舞台を華やがせる。

 本田はいかにして、スケートの楽しさを取り戻したのか。

 2019年12月の全日本選手権、本田はショートプログラムで6位になり、フリーの最終グループに入った。その表情に、不安や暗さは消えていた。

「今日は楽しくて、お客さん一人ひとりの顔が見えるほどでした!」

 6位で終わったあと、本田は踊り出しそうな笑顔で言っていた。

「こんなの何年ぶりかなって。それくらい、楽しく滑れました。昔のように、たくさんの人に楽しんでいるのが伝わったのかなって。内面の問題なのか、誰かに見られる緊張から逃げてばかりいました。もうすぐ厄年も終わるので、これで吹っ切れられたらって思います」

 残念ながら、フリーは冒頭の3回転ルッツの失敗が響いて8位に終わっている。しかし、勇気を見せ、決して逃げていない。たとえば単独の3回転ループに2回転ループをつける工夫をし、最後に予定していた3回転サルコウをより得点の高い3回転フリップに変更するなど、果敢に攻め続けた。

<スケートの楽しさを取り戻す>

 それは、簡単な作業ではなかったはずだ。

 本田はジュニア1年目の2016年、世界ジュニア選手権でいきなり優勝し、脚光を浴びている。ジュニア2年目の2017年も、五輪女王になるアリーナ・ザギトワに敗れたものの、自己記録を更新して2位に輝いた。そして同シーズンには、全日本選手権でジュニア選手ながら4位になっているのだ。

 必然的に、2018年の平昌五輪の候補のひとりとなった。

 しかしシニア1年目、本田は苦しんだ。ジュニア時代のようにうまくいかない。焦りもあって、演技は乱れ、楽しさを辛さが蝕む。結局、五輪出場は遠のき、失意を味わった。

 そこで2018年4月からは拠点をアメリカに移し、世界王者ネイサン・チェンも指導するラファエル・アルトゥニアンの教えを受けることになった。高校生の少女にとってホームシックがないはずはなかったが、スケートのために自らの生き方を決断した。

 アメリカ挑戦1年目は、辛酸を舐めている。全日本のショートは自己ワーストの18位。何をやってもうまくいかず、感覚が失われたかのようだった。

 しかし2年目の今シーズン、全日本ではひとつの成果を出した。笑顔が戻り、人間味が増したように映る。3年目となる2020年は、ひとつの結実となるか。

 昨年の夏のインタビューで、彼女に聞いたことがあった。

-理想のスケーティングがパズルのピースだとしたら、完成までどこまではまっていますか?

 本田は、少し思案して答えた。

「ちょっとずつ組み立ててあるのが、バラバラにいるって感じです。考えてスケートをする、っていうことが今までなかったので。小さい時の感覚では、なんでもできる、というのがあったのですが、それがなくなってしまって。普段の生活から、何でも考えて行動するようになりました。一つひとつの行動に対し、考えるようになって。去年よりは、ピースは揃ってきているかな、と思います。粘り強く、頑張っていきたいです」

 本田は突然、何もかもうまくいかなくなる時間を経験した。それは怖さや苛立ちを伴うものだったはずだ。

「まあ、そうなるよね、って感じです」

 彼女はそう言って、自嘲気味な笑みを洩らしていた。しかし、誰もがその暗闇から抜け出せるわけではない。自ら踏み出し、苦難を経て、楽しさと再会したのだ。

「シーズンオフに、アイスショーで滑らせてもらったのはよかったです。(お客さんの声援を受け)気持ちが折れかけていたところで、”また頑張ろう”と思えました。私は気持ちが大事なので」

 昨年、本田は語っていたが、アイスショーで滑った経験を糧にしていた。この日の演技も、積み重ねのひとつか。舞台が、彼女を磨くのだ。

「競技生活を考えると、あと3、4年か、早くて次の(北京)オリンピックで終わり。そこまで何ができるか、考えて、逆算してやっていかないといけない」

 本田は言う。

 パズルのピースは、どこまで揃ったか。