〜第24回目〜
清澤恵美子(きよさわ・えみこ)さん/36歳
スキー選手→解説、イベント出演、セミナー主催

※スポーツ庁委託事業「スポーツキャリアサポート戦略における{アスリートと企業等とのマッチング支援}」の取材にご協力いただきました。

日本のトップ選手として活躍してきたアルペンスキーヤーの清澤恵美子さん。

スキーとの出会いは3歳。そして、アルペンスキーとは小学校1年生の時に出会った。母親の影響で、週末になると苗場スキー場に出かけ、そこで楽しそうに滑る子どもたちを見て“私もやりたい!”とスクールに入会。中学生になると、本格的にアルペンスキーの競技に打ち込み、高校はスキーの強豪校とされる北海道の歌志内高等学校へ進学。高校1年生で、ナショナルチームのジュニア選抜となる。

「ナショナルチームに入ってからは、当然ですが、五輪出場選手やそれを目指す選手ばかり。その人たちを目の当たりにして“五輪に出場する”ということは、当然の目標にしないといけない。そんな自覚が生まれました」

高校3年生の時に、高校選抜で総合優勝し専修大学に入学。在学中に、全日本選手権で優勝、そしてユニバーシアードで銅メダルを獲得するなど、アルペンスキーヤーとして着実に成長をしていった清澤さん。しかし、大学卒業時に所属先が決まらず、アルバイトをしながら競技を続けることに…。

「競技生活の中で、一番苦労した時期でした。活動経費は1年間で最低でも300万円程度かかるので、ハンバーガーショップやアジアン料理でアルバイトをしながらトレーニングをこなし、時には時給の良いキャンペーンガールなんかもして(笑)。月20万円以上稼ぎました。

その後、運よくチームアルビレックス新潟に所属が決まりました。試合に出場し、順位が良ければインセンティブで報酬をもらえる契約になっていたので、とにかく国内の試合に出場。加えて、コーチ業やスキーのイベントにも参加し、資金を貯めました。所属して2年目には、国体の強化選手になり強化費が出るようになり、そこから海外に挑戦できるようになりました。『資金』と『競技』この2つをしっかりマネジメントしていくことは、本当に大変でしたね」

転機になったのは2010年。アンダーアーマーの正規代理店である『ドーム』にアルバイトとして入社。働きが認められる形となり、12年には正社員で雇用。主な仕事の内容は、営業のアシスタントや所属選手のトレーニングサポートなどに従事した。

「ドームに入社できたことで、金銭面も援助いただき、スキーの活動に集中できるようになりました。また職場の上司に『命を懸けて競技に打ち込んでいるのに、キャリアを終えて社会人になったときに“何もできません”では勿体ない。競技の成績が全てではなく、パーソナルな部分でも評価しているから、清澤さんは支援されている。きちんと、社会に通ずる人間になるように、現役中から準備しなさい』といわれました。それがとても心に残っていて、社会人としての基本的なマナーや仕事に対する姿勢など、職場を通じて学ぶことができたことは、人生の財産となっています」 ドームに入社し、金銭面そして社会人として成長してきた清澤さんだが、平昌五輪まであと2年となった2016年に、ドームを退社するという大きな決断を下す。

「すごく支援してもらっていましたが結果が出なかったんです。それが、すごく申し訳なくて…。私の中では、2年後の平昌五輪出場の可否に関係なく、そこで区切りをつけようと考えていました。だからこそ、スキーだけに集中する時間を作り、自分が納得のいくまで練習することを決めました。その想いに賛同いただき、ドームからは平昌までサポートいただきました。本当に感謝しかないです」

退社後、一番初めに取り組んだのは資格を取得することだった。

「結果を出すためには、メンタル面が非常に重要だと思いました。メンタルトレーナーさんに話を聞くのではなく、私が全部覚えてしまえばいいと考えて、資格を取りました。また、 ピラティスの資格に関してもリハビリ治療のために用いられたものなので、自分のリハビリに使えると信じて取得。

加えて、貯金を切り崩しながら活動する一方で、スポンサー探しも行っていました。しかし、もう引退をするって決めているのに、そこに対して“応援してください”って、凄く申し訳ないなと…。だから、引退しても関係が続くような企業をあたった結果、日建総業、キユーピー、ホテルロッソ軽井沢、クレブ新潟、進藤病院など、複数社スポンサーになっていただきました。今でもイベントや講演などに呼んでいただくことがあるので、とても感謝しています」

スキーのために、全ての時間を注いだ清澤さん。ワールドカップ、さらにアルペンスキー世界選手権出場と着実に成績を伸ばしていった。しかし五輪の選考に破れ、出場の夢は叶わなかった。

「五輪のために自分の人生を歩んできました。ソチで行けないと分かった時は、とても悔しかったし、今でも話をしたらグッと込みこみあげてくるものはあります。でも、ドームに在籍していた時に“結果が全てではない”と教えていただきました。

平昌五輪を迎える時には、色んなことを学び『”五輪のための人生”から”人生のためのスポーツ”』になりました。目標は叶わなかったけど、五輪はあくまでも”通過点“と考えられるようになっていましたね」

最大目標としていた最後のピースを埋められず、2018年1月、現役生活に幕を閉じた清澤さん。しかし、一つの出会いが彼女のマインド変え、新たなスタートを切る決意を固めた。(前編終わり)

(プロフィール)
清澤恵美子(きよさわ・えみこ)さん
1983年11月生まれ、神奈川県出身。専修大学卒業。両親の影響で3歳からスキーを始める。7歳の時、同年代の子供たちがポール練習をしているのを見たことがきっかけでアルペンスキーにのめりこむ。高校選抜総合優勝をはじめ、全日本選手権3勝、FIS大会55勝を挙げる。2018年1月に引退。東京都スキー連盟コーチ、リコレクト認定OKメンタルトレーナー 、BESJピラティストレーナーとして、スキーの認知を広めるため、幅広い活動をしている。

※データは2020年1月2日時点