リオパラリンピックの後にパラ水泳の大会に出場するようになり、2019年9月の世界パラ水泳選手権で銅メダル獲得したスイマーがいる。辻内彩野。自由形を専門とし、S13(弱視)クラスの日本記録を9つ保持する23歳だ。地元・東京で開催されるパラリン…

リオパラリンピックの後にパラ水泳の大会に出場するようになり、2019年9月の世界パラ水泳選手権で銅メダル獲得したスイマーがいる。辻内彩野。自由形を専門とし、S13(弱視)クラスの日本記録を9つ保持する23歳だ。地元・東京で開催されるパラリンピック出場を目指すニューヒロインに話を聞いた。

ライバルは過去の自分!?

 高校の頃、意地になって出そうとしていたタイムが、今年になって出て、びっくりしました。今後は、27秒前半、26秒台を出したいです。どちらが先に26秒台を出すか、妹の佳穂と対決しているので、絶対に勝ちたいです。26秒台が出れば、東京パラリンピックでもメダル争いをできると思います。

世界選手権の50m自由形は5位。東京パラリンピックでメダルを狙える位置にいる ©X-1

 ジュニアオリンピックのリレーに出たのは、いい思い出です。1学年上の先輩とどうしても一緒に出場したくて、修学旅行中にみんなで朝のビーチで走り込みもしました。やりたいことを頑張るのは、好きです。でも、それをアピールしたくはないですけど。できて当たり前に見える方がいいです。ウエイトトレーニングを好きになれない理由は、ただつらいだけなのに、頑張っているように見えるからです。

水に彩られた子ども時代

 保育園の頃から、お風呂の中ででんぐり返しをして遊んでいました。クイックターンの動作ですね。あとは、妹と息止め対決もしていました。休みの日は、父と近くのプールに行きました。ずっと水に馴染み過ぎているというくらいの生活をしてきて、競技を辞めた後に高校生になった妹のレース映像を撮りに行ったら、プールの匂いが懐かしく、私もまたレースをしたいと思いました。大学のサークルで年に1、2回、小さな大会に出ましたが、男子はリレーに出ていて、女子は私1人。私もリレーを組みたい、もっとレースに出たいと思うようになっていました。

親水公園の多い江戸川区に生まれ育ち、水泳一家の長女として育った

 今の見え方は、カメラのレンズに例えると、全体的にピントが合わないという感じです。あと、中央の部分が大体500円玉くらいの大きさで強くぼやけてしまって見えません。あまり、自覚症状がないのですが「目を見てください」と言われて見ようとしても、その目自体は見えていないというか。ただ、当初は一過性の近視と診断されていましたし、競技自体に影響はありませんでした。

 障害者手帳をもらったときに、高校の同級生の森下友紀(片上肢欠損/リオパラリンピックに出場)の言葉を思い出しました。森下には、高校1年で初めて会ったときに「なんで、手、ないの?」と躊躇なく言ってしまったのですが、それから「ちょっと変わった子だな」と面白く思われたようで、仲良くなりました。卒業前、カラオケで私がモニターをすごく近い距離で見ていて、彼女が「もっと視力が落ちたら、パラに来れば?」と冗談で言ったことを思い出して、相談したら、人を紹介してくれました。

パラ水泳で再び競技に復帰した辻内

 2017年に初めて出場したのが関東大会で、S21(肢体不自由、視覚障がいの軽度のクラス)でした。森下と50mのバタフライで一騎打ちをして、やっぱりレースは楽しいと思いました。日本新記録がいくつも出たときは、驚きました。しかも、記録をリオパラリンピックのタイムと照らし合わせたら、メダルを獲得できるレベルだったので、真剣にやろうと思いました。

「悔しすぎた」初の世界選手権

 飛び込みは、今でも気を抜くと侵入角度が深くなって、浮き上がるのに時間がかかってしまいます。自由形は、コーチから「2回、3回と腕を回してからパワーが出ている」と言われているので、最初のひとかきから腕で水をしっかりと捉えて押し切ることが課題です。課題が序盤に多いので、レースの前半さえ上手くいけば、後半はどうにかなります。東京パラリンピックは、50m、400mの自由形と100mの平泳ぎの出場を目指そうと思っています。400mは、大会の雰囲気やレースを確認するために出られればいいと思っています。私のモットーは「楽しんだもん勝ち」。レースも、一番楽しんでいる人が勝つものだと思っています。

世界選手権では100m平泳ぎで銅メダルを獲得した

text by Takaya Hirano

photo by X-1