昨年の全日本選手権では2位表彰台を獲得した髙橋大輔 12月18日、代々木第一体育館。会場の一角で、拍手がどっと湧き起った。公式練習では6人が同時に滑っていたが、瞬間的にひとりが主役になっていた。 リンクでは、髙橋大輔(33歳)が高く跳び…



昨年の全日本選手権では2位表彰台を獲得した髙橋大輔

 12月18日、代々木第一体育館。会場の一角で、拍手がどっと湧き起った。公式練習では6人が同時に滑っていたが、瞬間的にひとりが主役になっていた。

 リンクでは、髙橋大輔(33歳)が高く跳びあがり、豪快に4回転トーループを決めたところだった。

「1回も(最近の)練習ではやっていなかったんですけど、今日は調子が良い感じがあって。大会の記念に跳びました(笑)。僕もびっくりで、明日から(の試合で)は、やはらないと思います!」

 髙橋は無邪気に言い、人懐こい笑みをこぼした。少しも飾るところがない。日本男子フィギュアスケート初の五輪メダリストは、誰よりも自由だった。

「(全日本は)何も考えず、失敗を恐れずに」

 髙橋はこともなげに言った。

 シングルスケーターとして最後の舞台で、彼は何を見せてくれるのか?

「(今は)不安要素がたくさんありすぎて。その不安に負けないと、明るく振る舞っています。でも、気持ちの中は不安でいっぱいです」

 ミックスゾーンに出てきた髙橋はそう言って、正直な気持ちを明かしている。11月の西日本選手権の直前に左足首を痛め、氷の上に満足に立てない日々も続いた。下旬になるまでは痛みが引かなかったという。調整が順調なわけはなかった。

「足は大丈夫ですが……。調整はあまりうまくいっていないですね。練習で追い込めきれず。本当は4回転も調整したかったんですが、(時間が)足りなかった。今日は調子が良かったんですけど。(日程的に)ギリギリになって、調子が上がってきているところで、あと1週間あれば……。まあ、(大会の度に)毎回そう思っているんですが(笑)。試合は待ってくれないので」

 髙橋は冗談めかして語ったが、調整段階で相当な苦労があったはずだ。

 年齢的に、ケガの回復は時間がかかる。無理をすると、ほかの箇所が悲鳴を上げる。体と対話しながら、時間と戦い、復帰する必要があった。

 33歳の肉体で、フィギュアスケートを競技として続けるのは容易ではない。たとえば、ジャンプで着地する右足首はその度、全体重がのしかかり、強い負担を受ける。しかし跳ばなければ、精度は上がらない。そこでの悶絶がある。

 今年、夏のインタビュー、髙橋は穏やかな表情を浮かべながら、過酷な状況を語っていた。

「ひざは古傷じゃないですけど、きついですよ。半月板も削っちゃっているので、(トレーニングを)やりすぎたら膝が腫れて伸びなくなったり、それはずっとなので。(着氷する)右足首は腫れてしまうし。体のバランスがゆがんでいるのか、すぐに体に負荷が来て、もう、(痛みと)付き合わなきゃいけない」

 2008年10月、髙橋は右ひざ前十字靭帯断裂及び半月板損傷で長期離脱を余儀なくされている。それはアスリートにとっては、”翼をもがれる”に近いほどの大ケガだった。そして、今も苦しみは共にあるのだ。

 なぜ、犠牲を払ってもスケートを続けるのか?

 その理由を尋ねたことがあった。

「スケート、楽しいんで。(会場が)一つになるのが好きなんですよ。バラバラではなく、一つになるのが」

 髙橋は自らに問いかけ、言葉をかみしめるように答えた。

「(スケートに関しては)しんどいのが嫌じゃない」

 髙橋は言うが、その言動は常に相反する二つを含む。きついけど、楽しい。楽しいけど、きつい。その二つのバランスを絶妙に保ちながら、彼はそれを面白がっているのだ。

 その証拠に、彼が選んだショートプログラムの曲「The Phoenix」は、とことんアップビートだった。肉体への重圧は最大限。年齢を考えれば、無茶だった。

「アップテンポな曲は、やらなきゃと思っていて、ここでやらなかったら、一生やらないだろうなって。自分にとってこれしかないタイミングでした。想像以上に激しかったですが(笑)」

 髙橋はやはり幸せそうな顔で、あえて難しい戦いに挑んでいる。それは、生来的な競技者の証か。それとも、スケートへの巨大な愛か。

―全日本では、後輩たちに何を”つなぎ”ますか?

 テレビ局の記者の問いに、彼は真剣に悩みながら答えた。

「すでに自分は一度引退した身で、次に(つなぐことは)(そのとき)はやったので。今回は、それではなくて。今の自分が、どこまで食い込めるか。つなぐよりも、うーん、うまく言葉が出てこないんですけど……無謀な挑戦? まあ、33歳まで現役でいることを見せられただけでもいいのかなと」

 あけすけに語る髙橋は、完全に解き放たれていた。彼は好きなスケートで、自分のすべてを表現することに挑む。シングルスケーターとしての最後は、ひたすら明るく朗らかに――。その雄姿が、会場をひとつにするのだ。