2000年のシドニー五輪から19年の歳月が流れた。この大会で金メダルを獲得した柔道の野村忠宏、瀧本誠、井上康生、田村亮子、女子マラソンの高橋尚子、さらに銀メダルを獲得した競泳の中村真衣、田嶋寧子など……時を彩ったメダリストたちはすでに現役…

 2000年のシドニー五輪から19年の歳月が流れた。この大会で金メダルを獲得した柔道の野村忠宏、瀧本誠、井上康生、田村亮子、女子マラソンの高橋尚子、さらに銀メダルを獲得した競泳の中村真衣、田嶋寧子など……時を彩ったメダリストたちはすでに現役を引退し、それぞれ第2の人生を歩み始めている。

 しかし、この男は違った。今もなお、現役のアスリートであり続けることにこだわり、さらなる「挑戦」を続けている。

 その男とは、シドニー五輪のレスリング・グレコローマンスタイル銀メダリストの永田克彦だ。



4年ぶりに全日本選手権に出場する永田克彦

「レスリングに現役も引退もない」

 そう話す46歳は、顔つき、体つき、気力、体力……そのどれをとっても衰えを見せることがない。

「19年という数字をあらためて思うと、大変な月日が経ったなと思います。だけど、自分のなかではあまり変わっていないというか、思っているほど時間が経った感じがしないんです。20年前の記憶は今も鮮明に残っていますし、その間もいろいろなことがありましたが、自分のなかでは『もうそんなに経ったのか……?』って感じなんです」

 12月19日に開幕する天皇杯レスリング全日本選手権。永田は、10月に行なわれた全国社会人オープン選手権を制し、全日本選手権グレコローマンスタイル72キロ級の出場権を手にした。

 永田が全日本選手権に出場するのは、じつに4年ぶりのことだ。この時も11年ぶりの出場だったのだが、1回戦で湯田敬太にテクニカルフォール勝ち。2回戦では第1シードの近藤雅貴に勝利するなど、圧倒的な強さを見せて、森山泰年が保持していた最年長優勝記録(38歳)を42歳で塗り替えた。

 そして今回、4年ぶりに全日本選手権を目指したのには、いくつかの理由があった。そのひとつが、自身が4年前に達成した大会最年長優勝記録(42歳1カ月)の更新である。

「自分にしかできないチャレンジをしたいと思いました。前回は42歳で優勝して、その記録を塗り替えるチャンスがあるのは、自分だけに与えられた特権だと思ったんです。純粋に、そこにチャレンジしたいと」

 前回の全日本選手権は、周囲の予想をはるかに上回る動きを見せ、レスリング関係者だけでなく、世間をもあっと驚かせた。永田が言う。

「アスリートの生活が単純に好きっていうのはあります。自分を極限まで追い込んで、とことんまで磨き上げる。今は家庭もあって、妻や子供もいる限られた時間の中というのはありますが、(家族の理解と協力もあって)今もこうやって戦うことができる。とても贅沢な挑戦だと感じています」

 現在、永田は東京・調布市にある格闘スポーツジム『レッスルウィン』を主宰している。ジムでは90名ほどの少年少女たちを中心に指導。夕方以降の時間は、30代以降の一般会員者に向けて、日々の体力強化やレスリングの魅力、奥深さも伝えている。そのなかには、40歳を過ぎてからレスリングを始めた者や、70歳を過ぎた今もスパーリングで汗を流す男性もいるという。驚くことに、彼ら一般会員のほとんどがレスリング未経験者である。

「(初心者の方は)マット運動から少しずつやっていく感じです。スパーリングで僕が相手をすることもありますし、一般の方でも研究熱心な方がいまして、大学生の大会など見に来られる方がいらっしゃいます。いくつになっても探求心を持って頑張っているのは、すごいなと思いますし、尊敬します」

 ジムに通う生徒たちに、挑戦を続ける自身の背中を見せて、何かを感じてもらいたいという思いもある。

「レスリングは今回に限らず、体が続く限りチャレンジしていこうと思っています。前回(4年前の全日本選手権)は先のことをまったく考えていなかったんです。とことんやって、自分のパフォーマンスを見せることができればいいと思っていたんですけど、今回はこれで終わりじゃない。これからも試合に出て、伝えていきたい気持ちがあるんです。だから、47歳になる来年も出るかもしれないですし、本当にできる限り、試合に出続けたいと思っているんです」

 だが今回、永田にとってまったく不安がないわけではない。それが昨年1月に復活した当日計量のルールだ。32年ぶりのルール変更だから、永田自身、このルールで戦ったことがない。シドニー五輪も、4年前の全日本選手権も前日計量だった。

「この前の全国社会人オープン選手権で初めて体験したのですが、感覚がまったく違いました」

 前日計量だった時、永田は元の体重に戻すのを得意としていた。多くの選手が試合当日に3~4キロしか戻せないところ、永田は8キロほど戻して、試合に臨んでいた。当然、それは大きなアドバンテージとなった。

「圧力をしっかりかけられるし、相手のパワーも吸収できるし、余裕を持って戦える感覚があったんです。だけど、今回の変更でほとんど相手と体重差がないなかで戦うことになる。やっぱり感覚は違いましたよね。今ひとつ圧力をかけにくかったり、相手に思わぬ技を食らったりもしました」

 現在、永田は日本ウェルネススポーツ大学のレスリング部の監督もしているが、指導するにあたっても、自らの経験は大きな財産となる。当日計量で試合をするのは、今回の全日本選手権で2度目だが、出場者のレベルが高く、より質の高い知識が得られるはずだ。自ら体験したことを指導にもつなげる。これも、永田だからこそできることである。

 インタビュー中、永田は「挑戦」という言葉を何度も口にした。

「なんというか、同世代の一般の方々にも『今からでもいろんなチャレンジができるんだよ』ということを伝えたい。そんな気持ちもあるんですよね。それは、今からプロ野球選手を目指すとか、オリンピックを目指すとかではなくて、今の自分よりワンランク上にいくことだったり、あるいは10年後に今の自分と同じ体力を維持することだったり、いろいろな挑戦ができると思うんです。そういう意味の挑戦をしてほしい」

 永田は2005年にMMA(総合格闘技)に転向し、青木真也、秋山成勲、宇野薫、勝村周一朗といった国内のトップファイターと対戦。常に自身の可能性を探り、挑戦を続けてきた。

 現在指導している『レッスルウィン』でも着々と実績を重ね、毎年、全国大会で優勝者を輩出するなど、全国屈指の強豪クラブに押し上げた。

「自分のチームを持って、育てていきたいというのはもともとの夢というか、目標だったんです。それを今、自分のレスリング人生とも重ねて『オレも頑張るから、おまえも一緒に頑張ろう』と。そういうスタンスでやっていきたいんです。今でも試合に出て『頑張っているよ』という熱を子どもたちに伝えていくつもりです」

 レッスルウィンの卒業生のなかには、現在、高校のレスリング部に所属し、今秋の「いきいき茨城ゆめ国体」で優勝した選手もいる。

 数年後には全日本選手権のマットで、教え子と対峙する——。そんな夢のような挑戦も、永田なら実現してしまいそうだ。