都立片倉高校の岐阜遠征最終日。前日は夏の甲子園の抽選があったが、選手や指導者たち、さらにはそこに関連する保護者たちは、すでに秋へ向けての新チームを意識していた。この夏、延長15回引き分け再試合を戦うなどした東京都立片倉高校野球部は、8月3日…

都立片倉高校の岐阜遠征最終日。前日は夏の甲子園の抽選があったが、選手や指導者たち、さらにはそこに関連する保護者たちは、すでに秋へ向けての新チームを意識していた。

この夏、延長15回引き分け再試合を戦うなどした東京都立片倉高校野球部は、8月3日から恒例の岐阜県遠征に向かった。

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この遠征の目的は、「前チームが終わって新チームがスタートしたが、都連盟の役員などをやっていると、新チームをまだあまり見られていないこともある。この遠征では試合を通じて、この選手は何ができてどういう場面に強いのかということを確かめながら、東京に帰ってからはチーム構想を見直しながら、選手たちは課題修正というところです」と宮本秀樹監督。

そして、片倉の場合はもう一度、8月中旬に長野遠征を組んでいる。ここでは、目前に迫ってくる秋季大会へ向けて、最初のチームとして固めていくための実戦練習だ。こうして新チームはすぐに始まる秋季大会へ向けて準備していくのである。
この日の片倉の相手、関商工は2日前に対戦した岐阜の北川英治監督が5年前に甲子園に導いたチームだ。2012年にはグラウンドも完成し、施設は充実している。市立高校ということもあり、地域からは暖かく見守られ支援されている。洞口哲二監督は甲子園出場時は部長として奔走していた。

「実はこのグラウンドは後援会や地元の人たちの協力でできた。甲子園出場する以前から計画はされていたのですがなかなか進まなくて、完成したのが甲子園出場した翌年だった。甲子園出場したからできたということではないんですよ」とグラウンド完成への経緯を話してくれた。

当初は小学校のグラウンド並みの設計図しかなく、「このままやったら、とんでもないことになるぞ」と本腰を入れて動き始めたという。こうして完成したグラウンドだが、公立校のものとしては全国的にもあまり例を見ない優れた環境ではないだろうか。グラウンドには2011年甲子園出場の記念碑も建てられていた。

関商工011 000 031=6
片 倉000 011 020=4
(関商工)高井、北岡、川上―前澤 (片倉)石田康晴、野田、山岸―橋本

片 倉000 100 000=1
関商工010 000 40X=2
(片倉)山岸、紙田―堀江 (関商工)野倉、宮地―古田 

関商工の1年生、酒向陽彩(さこう ひいる)君の攻守のセンスの良さが光った。第1試合では4番二塁手、第2試合では1番二塁手として出場。走塁のセンスの良さもさることながら、内野手として打球に対する反応の良さは抜群だった。

「将来的には3番ショートくらいでやってもらって、チームの核になっていかないかんやろうと思っています」と石垣貢部長らの期待も高い。

また、投手では高井君の安定感、野倉君のリズムのよさも光っていた。もっとも野倉君に関しては洞口監督から、「相手は遠くから来てくれて、今日帰らないかんのやで。お前がファーボールばかり出して、長い試合にさせたらあかんぞ」とプレッシャーをかけられていて、それで意識してストライクを先行させていったことが功を奏したようだった。

■指導者としての喜び

片倉の岐阜遠征は今年で5年目となる。宮本監督は東京都の教員として採用されて以降野球部と関わり続け、野津田を皮切りとして東大和、府中工、片倉と異動してきた。その高校野球の指導者としてのベースが作られたのが東大和時代だという。

その頃の東大和は故佐藤道輔監督(その後、東京都連盟理事)が率い、当時はあまり言われることもなかった「全員野球」という言葉を用いて、“都立の星”として東京都大会でも活躍して、都内で注目される存在となっていた。コーチなどを経て、引き継いでの監督就任だったことでプレッシャーもあったという。

「能力のある選手も多くいましたし、力のあるチームもできていたと思います。だけど指導者としてオレの力不足で、大会で勝たせられなかったことが多かった。自分としても不甲斐ないと思ったし、悔いはありましたよ」と振り返る。しかし、その当時の教え子の子どもたちが、宮本監督を慕って片倉に送り込むケースも増えてきた。今年のチームも、東大和時代の教え子の子どもが3人いる。

この関商工との第一試合で5回に三塁打して反撃の切っ掛けを作った久森君もそんなひとりだ。久森君は関商工の高井君をリリーフした北岡君の代わり端を叩いたが、遊撃手頭上をライナーで抜ける三塁打だった。

「正直、こんなオレに自分の子どもを預けてくれるんですから、それは指導者としてはむちゃくちゃ嬉しい。だから、その期待に応えていかなくてはいけないという気持ちはより強いですよ」と語る。

ベテラン指導者にとっては、自分の教え子が、たとえ自身は異動したとしても、そこへ子どもを送り込んでくれることはこの上ない喜びだという。宮本監督も、片倉へ赴任してそのことを実感している。

宮本監督が遠征合宿での強化試合にこだわるのも、東大和時代にそこで選手たちが大きく伸びていくことを目の当たりにしているからである。今回も勝ち負けということではなく、投手では山岸君、野田君らが期待以上の成果を見せてくれた。野手では強豪私学からの転入生で、この秋から出場可能となる堀江君をどのように使っていくのかという方向性が見えたことも大きかった。

試合は午後3時15分には終了。その後、関商工を後にして、バスは中央高速で約5時間走り、八王子市の片倉高校に到着した。学校には出迎えの保護者たちが多く待っていた。今の時代、高校野球をやるということは、こうした親の協力も欠かせないものなのだと、改めて見せられたような気がした。

選手たちに話をする関商工・洞口哲二監督

選手たちに話をする関商工・洞口哲二監督

関商工のシートノック

関商工のシートノック

関商工の甲子園出場記念碑

関商工の甲子園出場記念碑

関商工・北岡君

関商工・北岡君

関商工・宮地君

関商工・宮地君

関商工・川上君

関商工・川上君

関商工・野倉君

関商工・野倉君

関商工・高井君

関商工・高井君