九州国際大学付属高校の主砲として甲子園に2度出場。3年夏に2打席連続ホームランを放った山本武白志(むさし)のことを…
九州国際大学付属高校の主砲として甲子園に2度出場。3年夏に2打席連続ホームランを放った山本武白志(むさし)のことをどれだけの人が記憶に留めているだろうか。オールドファンには、1970年代から1980年代にかけて読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)でプレーした「山本功児の息子」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
2015年ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから育成2位指名を受けた山本は2018年限りで戦力外になり、プロ野球から姿を消した。高校通算34ホームランを放ったスラッガーのいま――。
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父親はプロ野球の読売ジャイアンツなどで活躍した好打者にしてロッテの元監督、息子の山本武百志も高校時代に2度甲子園に出場した野球エリート。188センチの恵まれた体格を誇り、将来、「ハマの主砲」になることを期待された。
2015年のドラフトでDeNAから育成2位指名を受けた山本
1998年2月生まれの山本は父の現役時代を知らない。覚えているのは、監督を務めた千葉ロッテマリーンズ時代と、その後コーチを務めたジャイアンツでのユニフォーム姿だった。
「高校に入るときには『プロ野球選手になる』という思いが強くなっていました。そのうち、父の病状が悪くなっていったので、高校を出たらすぐにプロになろうと」
長距離砲として評価の高かった山本だったが、ベイスターズからは育成選手として指名された。
「本指名ではありませんでしたが、社会人や大学に行ってからプロを目指そうとは考えませんでした。1日でも早く、父にユニフォーム姿を見せたかったので。僕にはまわり道をする時間がなかった。だから、ベイスターズでお世話になることに決めました。そのころ、父はまだ普通に会話ができたので、自分の考えを伝えて、賛成してもらいました。父も母も、ずっと僕の考えを尊重してくれていましたから」
父は、2008年から体を壊し入退院を繰り返しながら療養を続け、山本がベイスターズのユニフォームを着た2016年4月、肝臓がんのため、帰らぬ人となった。
【プロの壁にぶち当たり、3年で引退】
山本が試合に出られない苦しみを味わったのはプロになってから。ずっと自信を持っていた打撃も振るわず、打席に立つチャンスも回ってこなかった。
当時のことを、書籍『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)の中でこう語っている。
「プロになってからは結果が出なかったので、つまらなかったですね。野球を嫌いになるということはなかったですけど」
1年目はイースタン・リーグで打率1割4分3厘、2年目は打率0割5分4厘。3年目こそ打率が2割を超えたが(2割1分3厘)、本塁打は1本だけ。わずか3年で戦力外通告を受け、ユニフォームを脱ぐことになった。
「育成契約ではありましたが、支配下選手と同じように扱っていただいたと思います。成績がふるわなかったのは、実力不足だったから。環境のせいではありません。指導者の方、先輩にもよくしていただきました。みなさんに感謝しています」
プロの壁と格闘した3年間、最後までそれを乗り越えることはできなかった。
「二軍にも、一軍で成績を残したすごいピッチャーがたくさんいました。高校のときとは、スピードも球威もコントロールも違いました。どうにかして打ってやろうとずっとやってきて、マイナスなことはまったく考えませんでした。なかなか試合に出られませんでしたが……」
ずっと主力選手として活躍してきた山本にとって、ベンチを温めるのは初めての経験だった。
「腐りはしなかったけど、ずっと打てなかったから、面白くはなかった。どうすればいいのか、自分ではよくわからなかったですね。試合に出る出ないは自分次第。自分の実力が不足していたということです」
山本はなぜプロ野球で通用しなかったのか。
「なぜか……それはよくわかりません。ある日、球団の人から連絡があった瞬間、『ああ、クビだな……』と覚悟しました」
球団の担当者から契約をしないことを告げられたとき、野球をやめることを決意した。188センチ、90キロを超える体格。21歳という若さを考えると、野球を断念するのは早すぎる気がするが、山本に未練はなかった。
「いろいろな人に『もったいない』と言われましたが、僕の感覚では、その意味がわからなくて……3年間プレーして、いい結果を出せないままクビになって、なぜもったいないのか」
クビを通告されたとき、頭に浮かんだのは、10代のころに見たアメリカ西海岸の風景だった。
「何かの仕事をしようと思っても、アルバイトもしたことがありません。ただ、中学生のときの日米野球でロサンゼルスに行ったことがあって、なんとなく、子どものころから海外に行ってみたかったというのはあります。野球をやめてから、その気持ちが強くなりました」
高校までは練習漬けの日々。ベイスターズに入団してからも、ずっと頭の中は野球のことばかり。それのない生活に戸惑いがあった。
「メジャーリーグとか、アメリカの野球ではなくて、普通の生活を経験してみたかった。英語も満足に話せないし、どんな仕事があるかもわからなかったんですが、いろいろ調べているうちに、クリケットという競技に当たりました」
クリケットに関する知識は、プロの選手がいて、高額年俸を稼ぐことくらい。頭の中には海外で暮らすことが先にあり、そのための方策を探しているうちに、知人にクリケットをすすめられたという流れだった。
「知り合いの知り合いに、オーストラリアのメルボルンに住んでいる人がいて、その子どもがしているのがクリケットでした。『野球をしていたんなら、クリケットやってみれば?』という感じで」
食事のときに飛び出したこのひと言で、山本はクリケットに興味を持ち、YouTubeで試合映像を見て「これは、いいかもな」と思ったという。
年明けにトレーニングを再開し、3月にオーストラリアに飛んで、実際にプレーした。自分から日本クリケット協会に連絡を取り、本格的にクリケットに取り組むことを決めた。
「自分でやることをイメージしながら競技を見たら、『これは僕には合っているかもしれない』と思いましたし、実際にやってみてフィーリングが合ったという感じ。オーストラリアから帰国するときに道具を一式買いました。オージー・フットボールとクリケットのシーズンが入れ替わる時期だったので、セール価格で。でも、7万円もしたから、僕にとってはけっこうな出費になりました」
【クリケット選手としてビッグマネーを!】
山本のクリケット転向が発表されたのは、2019年5月。ずっと「消息不明」だった彼の周辺がにわかにざわついた。
「ベイスターズをやめたあと、僕が何をしているのか、みんな、わからなかったと思う。友人も世間の人も。だから、ニュースになったときには、けっこう反響がありました。まさかクリケットを始めるとは思わなかったでしょう」
実家のある横浜を離れ、現在は栃木県佐野市に住まいを移した。「佐野クリケットクラブ」に所属し、ラーメン店でアルバイトをしながら、練習を続けている。文字通り、ゼロからのスタートになった。
「クリケットは試合自体がすごく長くて、勝負がつくまで何日もかかることがあります。まだ十分にルールも理解できていません。僕は野球選手だったときのことを持ち込むつもりはなくて、クリケットの技術を少しでも早く身に着けたいと考えています。クリケットを始めた以上、野球選手時代のことをあれこれ言うつもりはありません。体重は10キロ、落としました。クリケットはかなり運動量があるので、それをイメージして体をつくっています。まだ何が正解なのかはわかりませんが、器具を使わず、自分の体重を使ったトレーニングを増やしています」
21歳という若さがあっても、鍛え上げた肉体を持っていても、新しい世界に飛び込むのには勇気が必要だが、クリケットを始めることに対する不安はない。
「競技を始めてまだあまり時間が経っていませんが、いい感じで生活ができています。不安はありませんし、これからも感じないと思います。新しいことにチャレンジするというストレスもありません。自分でやりたくて、クリケットをやっていますから」
本人は口に出さないが、プロでの3年間で悔しさや挫折を味わったことだろう。それまでが順調だっただけに、相当な絶望感があったはず。山本はこれから、苦しみや悲しみや絶望を力に変えることができるかどうか。
プロのクリケット選手になるまでの道のりは、日本人には想像できないほど険しい。競技をよく知ること、選手として戦える体をつくること、そして、もうひとつ大切なのが言葉だ。
「英語はまだまだですが、少しずつ上達していると思います。文法が苦手だったし、使わなきゃいけないシチュエーションもなかった。でも、いまは、外国人コーチに教えてもらうこともあるし、外国人選手と接する機会も多いので。会話が増えている分、自然に話せるようになっていると思います。ベイスターズにも外国人選手はたくさんいましたが、別に会話しなくてもよかった。いまは自分が話したくて話しているんで、全然違いますよね。覚えたい、覚えてやると思っています」
いまの目標は、はっきりしている。
「とにかく、オーストラリアでクリケットのプロになりたい。それしか考えていません」
プロ野球選手としての最高年俸は360万円。クリケットのプロ選手になれば、これまで稼いだことのないビッグマネーを手に入れることができるかもしれない。
「インターネットとかで調べてみたら、プロ選手の平均年俸は5億円くらいと書いてありました。どこまで本当かはわかりませんが、ものすごい金額ですよね。いまは、ビッグマネーをつかみたいと本気で考えています。難しいことは考えてなくて、自分がやりたいからやる。それだけです」
1995年に野茂英雄(元ロサンゼルス・ドジャースなど)がアメリカに渡ってからもうすぐ四半世紀。サッカーでもバスケットボールでも、世界のトップリーグでプレーする日本人選手が出ている。
しかし、クリケットというスポーツで日本人選手が通用するかどうかはまだわからない。山本は「平均年俸5億円」、中には30億円も稼ぐ選手もいるプロリーグにたどりつけるのか。これまで経験したことのない壁にぶつかったとき、プロ野球で味わった挫折や悔しさが支えとなるはずだ。