9月15日の法大2回戦、8回裏無死走者なしの場面で打席に入ったのは、佐藤純平(社4=東京・早実)。0ー2と劣勢の終盤、左投手を相手に代打として起用された。2ボールからの3球目を振り抜くと、打球は中前へと抜けてゆく。この安打は、4年秋として迎えた今季、佐藤純が東京六大学リーグ戦(リーグ戦)において放った初めての安打であった。


今秋の法大2回戦で大学初安打を放った佐藤純

 早実高時代の背番号は『12』。チームで主軸を担っていたや清宮幸太郎(北海道日本ハムファイターズ)とポジションがかぶり、最後の夏はレギュラーではなかった。しかし代打起用された西東京都大会決勝では適時打を放つなど、早実高の夏の甲子園進出に貢献した。

 「甲子園が最後だと思って(野球を)やっていた」。佐藤純は当時をこう振り返る。しかし、迎えた準決勝。ビハインドの展開で代打起用された佐藤純は、併殺に倒れてしまう。その試合で早実高は敗退し、それが高校最後の打席となった。「最後の打席がゲッツーで終わってしまった瞬間から、大学でも(野球を)やろうと決めていました」。次なる舞台での雪辱を期し、野球部への入部を決めた。

 「あの夏の悔しさを神宮で晴らす」ーー。覚悟を持って臨んだ大学野球。しかし壁は高く、ラストイヤーまで1軍での出場機会には恵まれなかった。主に三塁を守っていたが送球に難があり、首脳陣からも「それでは試合では使えない」と伝えられた。

 しかし、心は折れなかった。「日ごろの練習から勝負。アピールしなければメンバーに入れない」。シート打撃やバッティング練習でも、一球一球に魂を込めて打席に立ち、全ての瞬間を全力でプレーした。その甲斐あって今年度の夏季オープン戦では快音を連発し、猛アピールに成功。から一塁手へのコンバートを打診され、「必要とされるならどこでも」と快諾した。高校最後の夏に定めた目標が4年の月日を経て、大学最後の秋につながった瞬間だった。


今夏のオープン戦では代打で5割2分9厘の高打率を残した

 ベンチ入りを果たして迎えた、今秋のリーグ戦。法大2回戦で待望の自身初安打を放つと、立大1回戦では『東京六大学ナンバーワン左腕』田中誠也副将(4年)から右前打を記録するなど活躍。ここまで4度打席に立って3度出塁し、右の代打の切り札として首脳陣の期待に応えている。


今秋の立大1回戦で田中誠から右前打する佐藤純

 大学野球に捧げた四年間を振り返り、佐藤純はこう語る。「うれしい思いも多少はあるけれど、苦しいことが多かった。でもこうやって続けてれば、最後に良いことがあるんだな」。卒業後は一般企業に就職し、野球から離れることが決まっている。早慶戦は佐藤純が臨む、人生最後の真剣勝負だ。「早稲田らしく勝って終わりたい」。高校時代の『最後』に悔いを残した男がつかんだ、もう一度きりの『最後』の舞台。命運を分ける絶好の場面、一振りに懸ける男の雄姿を見届けろ。

(記事 望月優樹)

コメント

佐藤純平(社4=東京・早実)(※10月20日、立大2回戦後に取材)

――東京六大学リーグ戦への初出場を果たした今季を振り返っていかがですか

今のところ、3打席立たせていただいて3打席とも出塁することができている(立大3回戦では今季4打席目に立つ。結果は空振り三振)ので、結果としてチームに貢献できているとは思います。でも、もっともっとできると思っているので、そこを突き詰めていきたいと思っています。

――4年秋と遅咲きの活躍。その要因はどこにあると思いますか

高校時代からずっと代打としてやってきたんですが、高校は最後が全然駄目で、ずっと悔しさがありました。その悔しさを神宮で晴らすために大学野球を続けてきたのですが、結果すら残せていなくて。なので、最後まで諦めることなく「最後に一花咲かせてやろう」と思ってやってきました。

――大学で野球部に入ることは、ずっと決めていたのですか

いや、自分は小さな頃から、甲子園に出るということを最終目標にやってきたので。でも甲子園には実際に出場できたんですけれど、最後の打席がゲッツーで終わってしまったんです。その瞬間から、大学でも(野球を)やろう、と決めていました。

――辛いことも多かった四年間だったと思います。心が折れそうになる瞬間はなかったですか

自分はずっとサードをやっていたんですが、守備に自信がありませんでした。送球が悪くて、首脳陣の方からも「守備が悪いと試合では使えない」と言われていて。それでもめげずに打席で結果を残していったら、夏ぐらいに「ファーストでどうだ」と小宮山監督(悟、平2教卒=千葉・芝浦工大柏)から話がありました。そこで自分も「必要とされるならどこでもやります」と答えて、今のような状況になりました。

――心の支えとしていたことや、モチベーションになっていたことは何ですか

自分はずっと、「今が最後」と思ってやってきました。高校時代は甲子園が最後だと思ってやっていて、大学では本当に(真剣に野球をやるのは)最後になってしまいます。17年間野球をやってきて、絶対に最後は後悔なく終わりたいので、そういう思いでここまでやってきました。

――加藤雅樹主将(社4)や田口喜将選手(商4)など、早実からの同期が多く試合に出ています。そのような現在のチームに思い入れはありますか

加藤は今苦しんでいるんですが、田口は高校時代からずっと自分も見てきました。同じく守備に悩みがあって試合に出られなかった状況の中で、最後にこうして一花咲かせているのを見ると、感慨深いです。自分はもっと頑張らなくてはいけないですが、ずっと切磋琢磨してきたので、嬉しいです。

――ところで、打席に入る際は緊張していると伺いました

打席に入る前ですね(笑)。入る前はずっとそわそわして、ベンチの裏でバットを振っているんですけれど、いざ「行け」と言われて打席に立つと意外と落ち着いています。監督から信頼されて打席に立たせていただいているので、その信頼に応えるという気持ちでいます。

――夏場に徳武定祐コーチ(昭36商卒=東京・早実)と打撃練習を行ったと伺いました。そのことについて詳しく教えてください

自分はバットのヘッドが下がって出てくるので、打球が弱々しくなってしまったり、特に右方向へ強い打球が打てませんでした。そこを徳武コーチから「左手を下げて右手で返して、ヘッドから出せ」と言われました。長打はなくなり、ヒットはほとんどシングルになったんですけれど、強い打球が右方向にも飛ぶようになってきたので、それは徳武コーチのおかげかなと思いますね。

――今年を二文字で表すならば、とのアンケートに『入魂』と書かれていました。それを早大での四年間や早実高からの7年間に広げた場合はいかがでしょうか

自分は本当にうまくはなくて、やっと最後にメンバーに入れたくらいなので、とにかく日ごろの練習から勝負でした。アピールしなければメンバーに入れないので、シート打撃やバッティング練習でも、一球一球に魂を込めて打席に立っていました。そうしたら夏場に結果を残せてメンバーに入れたので、四年間というよりは、最後の年になって特に一球一球に懸ける思いが強くなったという感じですね。

――早大での四年間はどのような時間でしたか

難しいな…。今は結果を残せて、うれしい思いも多少はあるんですが、3年半やってきた中では苦しいことが多かったです。でもこうやって続けてれば、最後に良いことがあるんだな、と思います。それを今後にも生かしていきたいです。

――今後に向けて、意気込みをお願いします

慶応のエースは髙橋佑樹(4年)です。自分は左ピッチャー相手に起用される立場なので、勝ちにつながるバッティングを見せられたらいいなと思いますし、早稲田らしい勝ち方で最後に勝って終わりたいと思います。