「コンニチハー」 スペイン出身のパラスイマー、ミシェル・アロンソ・モラーレス選手は取材の部屋を訪れると、日本語で挨拶してくれた。ジャージー姿からのぞく指の爪先には、左手にスペイン国旗、右手に出身地のカナリア諸島の旗のカラーをあしらったネイル…
「コンニチハー」
スペイン出身のパラスイマー、ミシェル・アロンソ・モラーレス選手は取材の部屋を訪れると、日本語で挨拶してくれた。ジャージー姿からのぞく指の爪先には、左手にスペイン国旗、右手に出身地のカナリア諸島の旗のカラーをあしらったネイルが施されている。日本の文化、とくに漫画とオシャレが好きな、25歳。大会出場のため来日したのは3度目で、今回は大会後に原宿でショッピングも満喫した。「日本食も好きよ」と、少しシャイな笑顔を浮かべて見せてくれた彼女のSNSには、美味しそうなラーメンやお好み焼きの写真が並んでいた。
東京パラリンピックの会場
「東京アクアティクスセンター」と写真を撮ったミシェル・アロンソ・モラーレス選手
そんな彼女もひとたびプールに入れば、アスリートの顔になる。2012年ロンドンパラリンピックの競泳女子100m平泳ぎ(SB14)で、金メダルを獲得。4年後のリオ大会では同種目で2連覇を達成した。身長169cmの身長を活かしたダイナミックかつスムーズな泳ぎが持ち味で、この種目の世界記録を保持するトップスイマーだ。スペイン国内では、10代の頃から「シレニータ(かわいい人魚)」の愛称で親しまれている。
パラ競泳は障がいの種類や程度によりクラスが細かく分かれている。先述した「SB14」は、「SB=平泳ぎ」「14=知的障がい」を表している。
1994年、カナリア諸島のテネリフェ島で知的障がいを持って生まれたモラーレス選手。幼いころは、読み書きや周囲とのコミュニケーションを取ることがうまくできず、孤独な時間を過ごすことも少なくなかったが、家では整理整頓が得意で、小さなおもちゃをひとつもなくしたことがなかったとか。そんな彼女を、両親は大切に守り、育てていたそうだ。
7歳で水泳を始め、15歳で障がいを持つ子どもたちの水泳クラブに入ったモラーレス選手。そこで現在のコーチ、ホセ・ルイス・グアダルーペ氏と運命の出会いを果たす。その時のモラーレス選手の印象を、グアダルーペ氏はこう回顧する。
「彼女はとてもいいスイマーでした。泳ぎを改善していくうえでは、説明はゆっくり、繰り返しするように心掛けました。遊び感覚でできるよう、彼女が自然体でいられるよう、笑えるよう、楽しくできるよう、退屈しないようにと考えて指導していました」
当のモラーレス選手は、「最初はコーチのことが怖かったの」と振り返る。「だって、グアダルーペっていうその苗字から想像していたのは女性だったから、ビックリしちゃって。でも彼は最初に私の泳ぎを見た時に、こう予言してくれたの。『君はすごく速くなるよ。パラリンピックに行くぞ、メダルを獲れるぞ』って。ただ、その時は『パラリンピックって何?』って感じだったけど」と、笑う。
グアダルーペコーチの指導のもと、本格的に水泳をスタートすると、周囲とのコミュニケーション力も劇的に変化していったモラーレス選手。水泳に集中するようになると、グアダルーペコーチの”予言”通り、彼女はすぐに頭角を現し、スペインを代表するスイマーへと成長した。18歳で初出場したロンドンパラリンピックは「遊び感覚」が功を奏したのか、当時の世界新記録で優勝。ただ、競技選手として成熟したなか迎えたリオの時は、国の代表であることを理解し、責任感を感じながら苦労して掴んだ金メダルだったと、明かしてくれた。
その努力は母国の人々の心を動かした。グアダルーペコーチは、こう振り返る。「スペインでは知的障がい者は、知恵が足りないと誤解されているところがあります。彼女も小さいころ、いじめに遭っています。でも、パラリンピックで勝ち、健常者の大会にも参加してファイナルに残るようになるにつれ、知的障がいの人たちが評価されるようになっていきました。障がいがある子どもたちやその親にとって、彼女の活躍は勇気を与えているんです。彼女はスターです」
そして、こう続ける。
「クラブでは、盲目の選手やダウン症、自閉症、身体障がいの選手なども教えますが、彼らが少しずつ自立していく姿から、私自身、たくさんのことを学んでいます」
モラーレス選手の次の目標は、開幕まで1年を切った東京2020パラリンピックでのメダル獲得だ。もちろん、「金メダルを獲得して3連覇」が理想だが、競技レベルが著しく上がる昨今、イギリスやロシアの10代の選手が台頭するなど混戦模様で、激しい争いが予想される。
グアダルーペコーチとともにインタビューを受けてくれた
実は彼女の平泳ぎのフォームは独特で、手のかきは強く、回転数も速いが、脚はあまり開かずに泳ぐ。彼女にとって、一度身につけた泳ぎ方を変更するのは至難の業だが、逆に言えば脚の使い方を改善することで、さらに記録を伸ばす可能性が見えてくる。多くの平泳ぎのスイマーが悩む膝のケガなどの問題を、彼女がそこまで抱えていないのも、脚をそれほど酷使していないためと考えられる。
練習ではコーチと衝突することもあるそうだが、そこをどう強化していくかが3連覇達成のカギになりそうだ。モラーレス選手とグアダルーペコーチの二人三脚の取り組みが開花する日が、楽しみである。
取材のあと、モラーレス選手はパラリンピックの競泳会場となる「東京アクアティクスセンター」が一望できる場所に移動した。まだ工事中で大きなクレーンがそびえたっていたが、ほぼでき上がった外観を見ることができ、興奮した様子で「とっても大きいのね!」と感嘆の声を上げていた。コーチやスタッフらと無邪気に記念写真を撮る彼女の笑顔は、陸の上ながら、たしかに「シレニータ!」と声をかけたくなるほど輝いていた。