2019年8月、パラバドミントンの世界選手権シングルス(WH1/車いす)で金メダルを獲った里見紗李奈には、女の子ってこうだよね、という20歳のかわいらしさがギュッとつまっている。お母さんが作ってくれたお弁当を「おいしい!」と頬張り、キラキラ…

2019年8月、パラバドミントンの世界選手権シングルス(WH1/車いす)で金メダルを獲った里見紗李奈には、女の子ってこうだよね、という20歳のかわいらしさがギュッとつまっている。お母さんが作ってくれたお弁当を「おいしい!」と頬張り、キラキラしたネイルを楽しむ姿は、無邪気で愛らしい。車いすバドミントンを始めてまだ2年半。「アスリート」と呼ばれることに違和感が残るというが、それでも東京2020パラリンピックの頂点を目指す決意は芽生えている。

競技歴2年半で偉業達成

 世界選手権前、東京パラリンピックではシングルスでもダブルスでも金を獲りたいと言ってたけど、シングルスは現実的じゃないなって思ってた。だから今回、決勝戦でタイのスジラット(・プッカム)に勝てて、「私、金、獲れるところまで来てるんだ!」って。いまはどちらも獲りたいって気持ちが強くなったかな。

 車の助手席に乗っているときの事故。いまは腰から下が動かないです。入院は9ヵ月で長かった。お父さんがこだわって家を改造してくれたから、自宅に戻れるまで時間がかかっちゃったというのもあるけど。入院中は、そんなに落ち込まなかったかな。ケガをすると、落ち込んじゃう人もいるけど、私はそういう感じじゃなかった。

退院後、車いすバドミントンに夢中になった ©X-1

 どうしてかというと“恥ずかった”から。駅で友だちにばったり会って、車いすの自分を見られるのがイヤだった。いまは一人でどこへでも出かけられるけど、当時は電車に乗るときスロープとか出してもらっているのを見られたらどうしようって。街で話しかけてきた知らないおじいちゃんに「すぐ治るよ」とか言われたり、でも治るものじゃないから、そういうのもストレスだった。

 入院中、リハビリでバドミントンもやってたけど、私は絶対やらないって言ってた。スポーツ頑張る系、私のキャラじゃないし、恥ずかしい! みたいな。でも始めたのは、最終的にお父さんの押しかな。私を外に出したいんだって思った。

だから、初めてクラブに行ったその日に(日本代表の)村山浩さんに「いっぱい練習すれば、パラリンピック目指せるよ」って言われたとき、私じゃなく、お父さんに火がついちゃった。私はバドミントン、すごく楽しかったけど、無理だよ、そういうつもりで来てないし、と思ったのを覚えてる(笑)

 そこからお父さんが車の免許を取れるように教習所に連れて行ってくれて、車に乗れるようになってからは、毎日、練習できるようになった。同じころ始めた人が他にもいて、私もヒマだったから、3~4ヵ月間、ずっと一緒に練習してた。たぶん、やってないのは1日くらい。毎日、楽しくて、いろんな場所を点々として、早く体育館に行って開くのを待ったり。あのとき練習したのがめちゃくちゃ大きかったな。

アスリートへのステップ
ヒューリック・ダイハツ JAPAN パラバドミントン国際大会2018で優勝した里見 ©X-1

 アジアパラ選考会で日本選手権の決勝で負けた(福家)育美さんに勝って、悠麻さんとペアになれたんですよ。初めての海外遠征になった7月のタイ国際のときは、パラリンピックのことをちゃんと考えたと思う。でも、このときはまだ、国際大会ってどんな感じだろうって、様子を見ている感じのほうが強かった。

 別にすごくないよー、そんなに注目しなくていいのにって思った。自分はストイックじゃないし、普通の人だから恥ずかしいって。

 10月のアジアパラは2回目の海外での大会。シングルスは、スジラットには絶対勝てないなと思ってて、初対戦の中国選手もすごいんだろうと思って試合したら、ファイナルで負けちゃった。それこそ勝ち方がわかんなくて、速すぎ! って思った。

2019年に入ってからは、アジアパラでは勝ったジンジン(張晶/中国)に連続で負けて。春のトルコ国際とドバイ国際で。このときは本当に悔しかった。私が得意だと思ってたクリアーで負けたので。後ろに押された私が前に落とす球を全部張られちゃって……。

インドネシア2018アジアパラ競技大会に出場した里見 ©X-1
得意球に磨きをかけ、世界一に!

 インパクトの瞬間、握り込むようにする打ち方に変えて。そしたらクリアーが楽に飛ぶようになった。(打ち方を変えるのは)勇気がいったけど、打点も上になるように練習して。世界選手権で優勝できたのはそれがよかったのかな。準々決勝で当たったジンジンにも14本、17本で勝ててびっくりした。

 アジアパラは予選で負けたけど、私と悠麻さんが前後の位置を入れ替えるローテーションができた! という感じが何回かあった。でも、翌年3月のトルコ国際では、全然、機能しなくて。そこで試合後にすぐコーチたちと負けた映像を見ながら、この球は悠麻さんだったよね、これは私だよね、って役割を確認し合った。そしたら、ドバイ国際ではうまくいってジンジンたちに初めて勝ててうれしかった。

山崎悠麻と組んだダブルスで東京の金メダルを目指す! ©X-1

 まだちょっと恥ずかしいけど、最近はアスリートとして見られることに前より違和感はなくなってきたかな。これからは、若い人がもっと車いすバドミントンに入ってきたら、今より楽しいだろうなって思う。私に向かってくる人が出てきて、(ダブルス相手の)悠麻さんを取られる危機感を感じたり(笑)。負けず嫌いだから、きっとそういうの、楽しい。

text by Yoshimi Suzuki

key visual by Masashi Yamada