広州富力足球倶楽部ヘッド・オブ・ユースアカデミー・コーチング菊原志郎インタビュー(3) 日本で育成年代の指導に20年以上携わり、2018年から中国の広州富力に活動の場を移した菊原志郎。Jクラブのアカデミー(東京ヴェルディ、横浜F・マリノ…

広州富力足球倶楽部ヘッド・オブ・ユースアカデミー・コーチング
菊原志郎インタビュー(3)

 日本で育成年代の指導に20年以上携わり、2018年から中国の広州富力に活動の場を移した菊原志郎。Jクラブのアカデミー(東京ヴェルディ、横浜F・マリノス)と日本サッカー協会が管轄するJFAアカデミー、年代別日本代表(U-15~U-17)と、日本のトップレベルの子どもたちの育成をしてきた経験から、日本サッカーの育成は今後、どのようにすべきだと考えているのだろうか?



日本でも中国でも同じコンセプトで選手を指導し続ける菊原志郎

「日本サッカーはJリーグができて、トレセンなども整備されてきて、ある程度、こうすれば、これぐらいにはなるという基準はできました。それは20年以上、継続してきたことの成果だと思います。年代別代表も世界大会でベスト16、ベスト8まではコンスタントに行くようになりましたよね」

 菊原は日本サッカーの育成が良い方向へ進んでいることを踏まえて、こう提言する。

「まだまだやれることがあると思っていて、ひとつは人間性の向上にスポットライトを当てること。いまの子どもたちを見ていると、自分がやりたいことしかしない子が増えています。Jクラブのアカデミーの場合、相手のレベルが自分たちよりも下だと、ある程度まではできるのですが、トップチームに昇格し、試合に出られなくなったときなど、うまくいかないとき、苦しいときに乗り越える術は、若いうちに身につけなければいけないと思っています」

 クオリティーの高い選手が集まり、相手よりも力が上のチームであれば、個々に無理をする必要がない。できるプレー、通用するプレーをしているだけで相手を上回ることができるので、伸びしろが限られてしまう。そこを日ごろのトレーニングで向上させるのが指導者の役割なのだが、「持っている能力以上に伸びない」というケースもある。

 その中で菊原は、「選手自身の問題解決能力の必要性」を力説する。

「試合の中でうまくいかない状況なんて、いくらでもありますよね。トーナメントであれば、勝ち上がるほどに相手が強くなり、問題も出てきます。問題解決能力を高めないと、個人であれチームであれ、上に行くことはできないんです。それを若いうちに学ぶのはすごく大切なことだと思います」

 問題や課題を把握し、そのために行動して解決する。それはサッカーに限らず、日常生活や社会に出たときにも必要な要素である。同時に、サッカーはチームスポーツであり、集団の中で自分がどう動き、問題を解決するかという視点も重要になる。

「よく”個の育成”という言葉を聞きますが、1人でドリブルをして、何人も抜く選手にするのが個の育成ではないんです。サッカーは個人スポーツではなくチームスポーツなので、チームメイトとの関係性の中で、自分の力を発揮する能力を身につけることも、個の育成です。”組織の中で、いかに光る個になるか”という発想を持たないといけません」

 さらに、菊原は続ける。

「もちろん、1人でボールを奪って、1人でゴールを決める選手になれるのが理想ですが、それはなかなか難しいですよね。1人でボールを奪えないのなら、2人、3人と連携し、協力してプレーする。そうやって、周りとの関係性の中で個性を出せる選手を育てることが、個の育成だと僕は思います」

 菊原は日本にいたときも、中国の広州富力のアカデミーでも「サッカーはチームスポーツであり、味方と協力してプレーすることの大切さ」を重点として指導している。そのため、ゴールを決めた選手だけでなく、アシストをした選手、ボールを奪った選手など全員を評価し、全員で喜ぶようにしているという。

「すべては教育だと思います。子どもには、良い考え方や良い習慣を学んでほしい。そうすれば、サッカーをやめたとしても、別の世界で仕事をする上で生かされると思います。そこは日本人だから、中国人だからなど、国籍は関係ありません。周りと協力すること、思いやりを持つことの大切さは、中国に来てより感じるようになりましたね」

 現役時代、華麗なテクニックで「天才」と呼ばれた菊原。指導者に転身して20年以上経ったいま「うまい選手だけが良い選手ではなく、派手なプレーはしないけど、常に良いポジションにいる、味方を助けられる選手も、同じぐらい良い選手なんです」と言葉に力を込める。


菊原は

「味方と協力してプレーすることの大切さ」を重点として指導している(写真は菊原氏提供)

「子どもは評価基準で動くので、点を取る選手だけを評価すれば、それしかやらなくなります。とくに中国の子たちは、自分本位に考える傾向がありますから。でも『パスをつなぐことも大切だよ』と教えると、そこに価値を見出すようになります。それを含めて中国の子どもたちに伝えていって、成長していく中で、あの時、僕に教わって良かったなと思ってもらえたら幸せですね」

 菊原はインタビュー中、「日本人だからとか、中国人だからとかは関係ない」と何度も口にした。サッカーというスポーツを通じて切磋琢磨する仲間であり、国籍はどうあれ、自分が指導した選手であることに変わりはないのだ。

「広州富力のアカデミーには、年代別の国家代表が17人います。いつか、彼らがA代表に入り、日本と試合をしたら…両方を応援すると思います。教え子は教え子ですから。いつか、そんな日が来ると良いですよね。僕の仕事は子どもたちを成長させて、保護者が喜んで、クラブ全体が良くなること。みんなが幸せになれるように努力していきたいです」

 異国の地で奮闘を続ける菊原。彼の丁寧な指導のもとで育った選手たちが成長し、大舞台でプレーする姿を見るのが、楽しみでならない。

菊原志郎
きくはら・しろう/1969年7月7日生まれ、神奈川県出身。小学4年生から読売クラブ(現東京ヴェルディ)でプレー。16歳でトップチームの試合にデビューし、以後同クラブの中心選手として活躍。Jリーグではヴェルディ川崎、浦和レッズでプレー。引退後は東京ヴェルディの育成組織や、U-17日本代表、JFAアカデミー福島、横浜FMジュニアユースでコーチや監督を務める。2018年より中国の広州富力のアカデミーで指導を行なっている。