向正面から世界が見える~大相撲・外国人力士物語第3回:鶴竜(1) 大相撲秋場所(9月場所)が9月8日に初日を迎えた。注目力士のひとりとなるのは、先場所の名古屋場所(7月場所)で賜杯を抱いた横綱・鶴竜。2001年、16歳の時にモンゴルから…

向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第3回:鶴竜(1)

 大相撲秋場所(9月場所)が9月8日に初日を迎えた。注目力士のひとりとなるのは、先場所の名古屋場所(7月場所)で賜杯を抱いた横綱・鶴竜。2001年、16歳の時にモンゴルから来日し、同年の九州場所(11月場所)で初土俵を踏んだ。そこから紆余曲折あって、2014年春場所(3月場所)で優勝し、横綱昇進を決めた。以降、好角家を唸らせる取り口と、穏やかな人柄でファンを魅了し続ける横綱。彼がこの先に見据えるものとは――。

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 先日の大相撲名古屋場所(7月場所)千秋楽――。

 結びの一番は、1敗の私と2敗の白鵬関との対戦になりました。

 私が勝てば、すんなり6回目の優勝。負けてしまえば、2敗で白鵬関に並ぶことになり、優勝決定戦に持ち込まれてしまいます。

「この一番で、必ず決める!」

 そう決意して臨んだ一番、私は右四つから白鵬関に左上手を許したものの、何度か巻き替えを図って、ついに左四つがっぷりに。そこから巻き替えが成功して、もろ差しで出ていった私が寄り切りで勝利。40秒を超える長い一番を制し、私は思わずフーッと息を吐きました。

「長かったな……」

 昨年の夏場所(5月場所)以来7場所ぶりの優勝ということもあるのですが、ここ数年、どういうわけか名古屋場所では、途中休場が続いていました。それは横綱として本当に恥ずかしいことで、元号が「令和」と改まった今年こそは、きちんとした成績を残さなければならないと思っていたのです。

 夏場所後は東京で稽古やトレーニングを積み、名古屋入りした私でしたが、本場所が始まる1週間ほど前、腰に違和感を覚えました。

「エッ? またか?」

 心の中に不穏なものが流れました。「今年こそ!」と万全な状態で名古屋に入ったのに、まさかのハプニング。もし今年も休場してしまったら、4年連続になってしまう。名古屋場所は1年に1回しかありません。それでは、私の相撲を楽しみにしてくれているファンの方に申し訳ない……。

「とにかく、やれるだけやる!」

 そう決めた私は、場所が始まるまでの1週間、1日2回の治療に専念しました。

 その間、土俵に上がって稽古ができなかったので、「鶴竜の調子はどうなんだ?」と、いろいろな憶測も飛んだようでしたが、名古屋場所の話題は他にもいろいろありましたから、なんとかバレずに初日を迎えました。

 初日の新小結・竜電戦は、もうぶっつけ本番ですよ。だけど、腰痛を抱えていることによって、早く攻めようという姿勢が”吉”と出て、3秒ちょっとで勝負を決めました。

 初日の白星は、何よりの薬です。2日目は北勝富士、3日目は先場所(夏場所)優勝の朝乃山、4日目は以前私の付け人を務めていたこともある小結の阿炎と対戦して、4連勝。狙っていたわけじゃないけど、4日とも5秒以内での白星です。

 こうして、私は初日から12連勝と波に乗り、13日目の相手は新鋭の友風。体格に恵まれていて、勢いのある力士ですからね。警戒したわけじゃないけど、立ち合い、私は頭を低く下げすぎていってしまった。

 あんな位置に相手力士の頭があれば、私だって叩きますよ(笑)。結果、はたき込みで敗れました。まあ、この黒星で、もう一度自分の相撲を見つめ直せたというか、結果的に優勝につながったんだと思います。

 だから、表彰式の時の優勝インタビューでこう言ったんです。

「優勝は、名古屋のファンのみなさんのおかげです!」

 私は、横綱とは毎場所優勝、もしくは優勝争いにからむのが使命だと思っています。ですから、ようやくその役目を務めることができた名古屋場所での優勝は、忘れられないものになりました。



先場所の名古屋場所で7場所ぶりの優勝を飾った鶴竜

 モンゴルのウランバートルに生まれた私は、中学生の頃はバスケットボールに夢中でした。当時モンゴルではバスケが流行っていて、白鵬関もそうですけど、ほとんどの少年がNBAファンだったと思います。

 だから、この8月にバスケの日本代表対ドイツ代表戦のスペシャルゲストとして、始球式に招待していただいて、3ポイントシュートに挑戦し、2本目で決められた時は本当にうれしかったなぁ。「大舞台で絶対ミスできないな」と思って、結構練習したんですよ(笑)。

 日本の相撲に興味を持ったのは、モンゴルのテレビで旭鷲山関や旭天鵬関(現・友綱親方)の活躍を見るようになってからです。単純に「カッコいいなぁ~」と感じて、自分もやってみたいと思ったんです。

 今は大相撲で活躍するモンゴル人力士が多いから、「やっぱりモンゴル人って、みんな、子どもの頃からモンゴル相撲をやっているんでしょう?」とか聞かれることがあるんですけど、そういうわけでもないんですよ。

 たしかに白鵬関のお父さんはモンゴル相撲の横綱だし、朝青龍関や一昨年亡くなった時天空関のお父さんもモンゴル相撲の強い人で、そんな父親の影響を受けて、みなさん子どもの頃に格闘技の道場なんかに通っていたようですが、私の場合は、モンゴル相撲の経験はまったくナシですから(笑)。

 15歳の時かな? 日本の相撲部屋の親方がモンゴルに来て、モンゴル相撲大会を開くという話があったんです。今思えば、八角親方(現・理事長)だったんですが、たくさんの少年が集まって予選をやって、最終選考に残ったのが、(のちに大相撲入りした)光龍(元・幕内)、保志光(元・十両)、保志桜(元・幕下)の3人。私はあえなく予選落ちでした。

 相撲の経験がないにせよ、予選落ちはショックでしたし、強かった3人が日本に行ったという話を聞いて、私の中で「力士になりたい」という思いが強くなったんです。だけど、父がモンゴル相撲をやっていたわけでもないから、どんなルートで力士になれるか、という情報が伝わってこないんですよ。今みたいにインターネットが発達していたわけでもないですしね。

 それで困っていたら、父の勤務先の人が日本の相撲雑誌を送ってくれたんです。その人は大学の日本語の教授だったので、その人に相談しながら、雑誌の中にあった2カ所の住所に「入門したい」という内容の手紙を送ったんです。

 その2通のうちの1通を相撲記者クラブの人が読んでくれたようなのですが、「ここは相撲部屋じゃないから、入門させたりすることはできません」みたいな手紙が来て……。「そっか、ダメか……」と思っていたら、いきなりウランバートルの自宅に電話がかかってきたんですよ。

(つづく)

鶴竜力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)
第71代横綱。本名:マンガラジャラブ・アナンダ。1985年8月10日生まれ。モンゴル出身。井筒部屋所属。得意技は右四つ、下手投げ。華麗な技と穏やかな人柄で、年輩の好角家から若い女性ファンまで幅広い人気を誇る。