「センキタ打つぞ~!」 10メートル×20メートルほどの小さな室内練習場に大きな声が響く。だが、その場でティーバッテ…

「センキタ打つぞ~!」

 10メートル×20メートルほどの小さな室内練習場に大きな声が響く。だが、その場でティーバッティングをしていた20人近い部員からは威勢のいい反応が返ってこない。

「あれ、2人しか返事してねぇよ!」

 そう言ってあきれたように身をすくめたのが、黒沢尻工業の野球部を率いる石橋智監督である。「センキタ」とは、7月13日に岩手大会初戦で対戦する専大北上のこと。新チーム結成後3戦3敗している天敵を意識した檄だったが、選手は一歩引いているように見える。



高校通算38本塁打の強打者、黒沢尻工の石塚綜一郎

 石橋監督のフレンドリーぶりは、初対面の人物なら必ず圧倒されるはずだ。会話をすれば1分に1度は笑い話を交えるサービス精神があり、場をなごませる。メディアにとってはありがたい存在である。しかし、日常的に接する選手たちにとっては、感覚が麻痺していくのかもしれない。ある選手が冗談混じりに言った言葉に、深く納得させられてしまった。

「松岡修造さんだって、たぶん毎日一緒にいたら疲れるじゃないですか」

 けっして嫌われているわけではない。なかには「監督引退後はよしもとクリエイティブ・エージェンシーに入ったほうがいい」と語る部員もいる。だが、石橋監督と野球部員の関係は、まるで陽気な父親にクールに接する思春期の息子たちの構図そのものだった。

 黒沢尻工は公立校だが、学校の近所にある民営の寮で暮らす寮生もいる。58歳の石橋監督も寮に住み込んでいるため、寮生にとっては比喩ではなく、父親代わりなのだ。

 石橋監督は経歴もユニークだ。1986年夏には秋田工の監督として25歳にして甲子園に出場。その後は青森大の監督になり15年間で大学選手権8回、明治神宮大会1回出場に導き、青森山田中でも指導者を務めた。中学、高校、大学の3カテゴリーで全国大会に導いた指導者はほとんどいないだろう。

 岩手県の公立高校の指導者に転じた後、2015年に黒沢尻工に赴任すると、低迷していた古豪を再建。2017年秋には県大会準優勝、東北大会ベスト8、近年は県ベスト8の常連へと育てている。

 しかし、石橋監督はこんな不満を口にする。

「県立高校はベスト8に入ったら一息ついちゃうんだ。本人も親も『頑張ったなぁ』という雰囲気になっちゃう。本当なら、『こっからだぞ!』となんなきゃいけないのにね」

 石橋監督の長い指導者人生のなかでも、今年のチームは実力がある。3番・捕手の石塚綜一郎は高校通算38本塁打(7月5日現在)をマークする注目選手。ほかにも主将の佐々木駿介は身長180センチ、体重100キロの巨体から破壊力満点の強い打球を放ち、1番から9番まで長打が飛び出る強打線である。

「打線は甲子園に出た秋田工よりはるかに上ですよ。でも『甲子園行けるよ?』と言っても、『そうっすか』としか返ってこないんだよ。のれんに腕押しというのかね」

 愚痴をこぼしつつも石橋監督の表情が曇らないのは、生来の明るさだけでなくチームへの自信の裏返しでもあるだろう。なかでも石塚は、プロスカウトも視察に訪れる好素材である。

 石橋監督は「(石塚は)もともとは自分には縁のない選手だと思っていた」と語る。石橋監督が高校野球の現場を離れていた時期、同級生が監督を務める秋田南リトルシニアの練習を見る機会があった。そこで目に止まったのが石塚である。

「中学の頃からよく飛ばしていましたよ。ホームランもでかいのを打っていたしね。学校の成績もいいし、性格も真面目で優等生ですよ」

 石塚本人も県外の強豪私学に進む希望を持っていたが、一方でこんな不安もあった。

「ウチは母子家庭ですし、親に負担はかけたくないという思いがありました。母にはこれまでノビノビやらせてもらってきて、何をやるにも僕の思いを尊重してくれていたんですけど、高校は私学ではなく公立がいいかなと」

 そこで進路先に浮上したのが、石橋監督の赴任先である黒沢尻工だった。寮生活にはなるが、頻繁に組まれる秋田の高校との練習試合後は自宅に泊まって遠征代を節約できた。冬場にはほかの部員とともに宅配業者のアルバイトで沖縄遠征の資金を工面した。

 石塚は入学直後から三塁手のレギュラーとなり、現在は正捕手を務める。二塁送球は1秒8台の好タイムを頻繁に計測。しかし、青森大時代にドラフト1位でプロ入りした細川亨(ロッテ)を指導している石橋監督の目は厳しい。

「細川は10回投げれば10球いいボールが投げられたけど、石塚は1球くらいじゃないですか。バッティングもボディーストップも細川には勝っているけど、送球の正確性はまだまだ。だから石塚には『育成(選手)なら2年でクビ切られるからな』と発破をかけているんだけどね」

 石塚はプロ志望である。181センチ83キロの体に、左手68キロ、右手69キロの握力。強肩強打の捕手として、ポテンシャルは高いレベルにある。

 とはいえ、打撃も守備も粗さが目につく。打撃練習では爽快な振り抜きから長打性の打球を飛ばしたと思ったら、手首をこねる悪癖が出て打ち損じのゴロも目立つ。石橋監督が指摘する送球動作の精度を含め、完成度が高いとはいえない。だが、逆にいえばプロで育てる余地が大いにあるということでもある。

 石塚は強い言葉を口にした。

「母や祖父には今までお金のかかる野球をやらせてもらって、苦労をかけてきました。でも、これからは自分が野球でお金を稼いで、ラクをさせたいんです」

 自分の未来を切り拓くためにも、この夏は重要な意味を持つ。そして初戦の相手はいきなり強豪・専大北上である。

「これまで何度も対戦している相手なので、今までのデータを集約して長打を打たれないようにします。とくにバッティングのいいチームなので、配球を考えないと。春にケガしていたピッチャーも戻ってきたし、いい変化球を持っているピッチャーもいるので抑える自信はあります」

 今夏の岩手は怪物・佐々木朗希を擁する大船渡が全国的に注目を集めている。同じ岩手の県立高校のドラフト候補として、石塚はこれまでメディアから何度となく「佐々木くんを打つ自信はある?」と聞かれ、そのたびに「速球なら自信があります」と答えてきた。だが、夏を直前にして心境の変化があったという。

「ついこの前、青森山田の堀田賢慎と対戦したんですけど、140キロちょっとのストレートが低めにどんどん来て、手が出ませんでした。朗希はこれより20キロも速いのか……と思うと厳しいんですけど、すべてマックスの力で攻めてくることはないですから。カウントを取りにくる球をしっかりと狙えたら、勝負できると思っています」

 お互いに決勝に残らなければ、大船渡と対戦することはない。だが、佐々木とのリアルな対戦イメージを描いていることは、本気で甲子園を狙っていることの証でもある。

 夏の大会を直前に控えた練習中、石塚の視線の先で、ノック中の石橋監督が大声で選手に指示を出していた。先ほどまで選手に冗談を飛ばしていた雰囲気から一転、グラウンドには緊張感が漂っていた。石橋監督にとっても、甲子園は秋田工時代に出場して以来、33年遠ざかっている場所である。

 最後に石橋監督への思いを聞くと、石塚はこんな心情を語ってくれた。

「怒るときはめちゃくちゃ怒るんですよ。学校でも寮でもずっと一緒ですし、何かあればすぐに言える距離にいます。夜は練習場では聞けないような話をしてくれて、いろんな知識がつきました。まあ、毎日ジョークを聞いているとちょっと……なんですけど」

 ユニークなベテラン監督と、強い思いを秘めた強打の捕手。強い引力で結ばれた師弟が、岩手の夏をかき回すかもしれない。