決勝1234567計日体大51200  8早 大00000  0(5回コールド) ●杖子-実重 平成最後の夏も終わりに差し掛かった9月3日。日本中の大学ソフトボール部の中で、最も長くこの季節を戦うこと…

決勝
日体大  
早 大  
(5回コールド) ●杖子-実重

 平成最後の夏も終わりに差し掛かった9月3日。日本中の大学ソフトボール部の中で、最も長くこの季節を戦うこととなった2校が、グラウンドに整列した。一塁側には今年、全日本大学選抜に10人もの選手を輩出した優勝候補筆頭・日体大。三塁側には、二次予選を勝ち上がって全日本大学選手権(インカレ)への切符をつかんだ挑戦者・早大。100回記念大会となった夏の甲子園、その決勝戦をほう沸とさせる『絶対強者』対『挑戦者』の構図となった大一番は、くしくも似通った結末を迎えることとなる。エース杖子量哉(スポ4=岡山・新見)が初回いきなり5点を失う一方、打線は小山玲央(2年)の前に完全に沈黙。その後も小刻みに得点を重ねられる一方、攻撃陣は小山の前に5回まで11三振を喫し、無安打のまま0-8でコールド成立。4日間にわたる頂点をかけた戦いは、日体大の優勝で幕を閉じた。

 1回の表、日体大の攻撃。前の試合で延長8回を投げ抜いた杖子が、この日2試合目となるマウンドに上がる。いつものクールなたたずまいで投球練習を行うエースだったが、今大会をほぼ一人で投げ抜いてきたその体は、既に限界に達していた。「調子は最悪。状態が良いとは絶対に言えなかった」(杖子)。直球にいつもの勢いがない。変化球にいつものキレがない。不安を抱えたまま試合に臨むも、先頭打者にいきなり右前打を放たれる。1死の後連打で早くも先制され、なおも走者を2人置いて打席には主砲・田中亨昂(3年)が入る。追い込んでから高めに抜けた球を強振され、中堅左に3点本塁打を浴びることとなった。その後さらに1点を奪われ、この回計5失点。早くも試合の主導権を握られてしまった。


杖子は強力な日体大打線につかまった

 流れを取り戻したい早大だったが、小山のうなりをあげる速球の前に、手も足も出ない。初回に奪われたアウトは全て空振り三振。2、3、4回でも計6つの三振を喫し、出塁できたのは初回のエラーによる1度だけ。その間田中にまたも本塁打を浴びるなどし、4回終了時で点差は8まで開いた。  このままならば、5回コールド。杖子は残った気力をふり絞り、この日248球目となる渾身(こんしん)の一球で相手代打を三ゴロに打ち取り、本試合初めての三者凡退。味方の反撃を待つこととなる。その裏先頭の前多悠登副将(人4=東京・小山台)が四球で出塁するも、後続が倒れて2死一塁。打席には杖子とバッテリーを組んできた実重僚右(人4=高卒認定)が入った。「4年間積み上げてきたものを出せるように」(実重)。打ち取られれば試合終了となる場面で、実重は粘る。相手の豪速球に対し、当てにいくのではなくフルスイングで立ち向かう。外角の直球を右へ、高めの速球をバックネット方向へ。フルカウントとなった後もファウルを重ね、迎えた12球目。高めの速球を狙ったバットは空を切り、ボールがミットに収まると、日体大の選手たちはマウンドへなだれ込んで喜びを爆発させた。0-8でコールド成立。スコアこそ完敗だったが、早大らしい『粘り』を見せた決勝戦だった。


空振り三振を喫し、最後の打者となった実重

 「泣いても笑っても、これがお前と戦う最後の夏」。大会中、鳥岡健主将(スポ4=岡山・高梁)が打席に入るとき、ベンチは全員こう応援歌を響かせていた。鳥岡がチームを率いたこの一年は、決して順風満帆とは言えないシーズンだった。チーム発足直後の東京都大学連盟秋季リーグ戦では3位だったものの、続く関東大学選手権は準々決勝敗退。3位以上ならば自動的にインカレ出場が決まる東京都大学連盟春季リーグ戦では、18年ぶりの4位に沈み、二次予選に回った。東日本大学選手権では、準々決勝で敗退。だがそれでも、集大成となるインカレでは格上を撃破し、2位まで上り詰めた。堂々と『最後の夏』を戦い抜いたのだ。この結果をうれしいと感じるか、悔しいと感じるかは人それぞれ。ただ一つ間違いないのは、大会を通し多くのカベを打ち破った早大ソフトボール部の姿が、戦った者全ての心に深く刻まれたということだ。

(記事 望月優樹、写真 石﨑開)

コメント

鳥岡健主将(スポ4=岡山・高梁)

――日体大はやはり強かったですか

そうですね、やっぱり準決勝でだいぶ(体力を)消耗しちゃって、そこから(勢いを)持っていくことは難しかったですし、やっぱり日体は強くて悔しいですね。

――そんな中、ベストは尽くせましたか

そうですね。国士舘、日体と準決勝、決勝でぶつかるということで、なんとか両方勝ち抜きたいなと思っていたんですけれども、その中でも自分たちのできることは出し切ったのかなと思います。

――苦しんだ中でつかんだインカレ2位。この点についてはいかがですか

本当に何も見えないどん底の春(東京都大学連盟春季リーグ戦)から始まって、辛い思いや苦しい思いをたくさんしてきて。そんな中で段々かたちが見えてきた東日本(東日本大学選手権)でも結果が残せず、この一年たくさんの苦しみはあったんですけれども、そこを踏まえながらインカレを通して、一つ一つカベを破って成長していけたのかなと思うので、ここまで来れたというところでは、みんなよく頑張ったのかなと思います。

――ここまで同期の支えは不可欠だったと思います。四年間、苦楽を共にした同期は今、どんな存在ですか

んー、どちらかというと仕事をちゃんとできるような4年生ではなかったのかなと思います(笑)。けれども、僕がすごい頼りないというところもある中、他の同期6人は付いてきてくれたし、一生懸命やるところはやってくれたので、ありがとうというか、いい同期だったと思います。

――早大ソフトボール部で過ごした四年間はどのような時間でしたか

高校生の頃からワセダに憧れていて、僕が高校1年生の時から3年生の時まで(ワセダはインカレで)3連覇していて。自分がそんなチームで四年間プレーできたというのは、夢のような四年間だったし、その中で最期の一年間でまさか主将を務めさせていただいて、『10番』をつけてプレーさせていただくということも夢にも思っていなかったので、この四年間、特に最後の一年間は自分にとってかけがえのない時間だったと思いますし、ここで出会えた先輩や同期、後輩、指導者の方々は本当に自分を成長させてくれたなと思います。本当に最高の四年間でした。

――今後、ソフトボールに携わる予定はありますか

あまり自分でプレーするつもりはないんですけれども、地元の岡山県で就職するので、僕を小中高と育ててくれた岡山のソフトボール界に、何か貢献できる活動を始めていきたいなと思います。

――最後に、後輩たちに向けて一言お願いします

まず、こんな頼りないキャプテンに付いてきてくれてありがとう。一年の中で色々なことがあったんだけれども、成長してきてくれたと思うし、特に最後のインカレでは大会を通して成長することができ、決勝というカベも見えていると思うので、そこを来年ぶち破ってほしいと思います。

前多悠登副将(人4=東京・小山台)

――どんなインカレでしたか

いやぁ、本当に楽しかったですねぇ。本当に。雨で延びたので4日間だったんですけれども、本当に楽しい大会で。ソフトボールやっていて良かったなと思います。

――一緒にやって来られた同期はどのような存在ですか

色んな人間がいて、色んな役割があって。あんまり支えられたとかは思っていないんですけれども(笑)。でもみんなで楽しくチームをつくって来られたかなと思います。

――どんな四年間でしたか

本当に苦しいことが多かったんですけれども、最後の最後にチームとしても個人としてもいい思いができて、これまで耐えてきたから(いい思いが)できた四年間だったのかなと思います。

――副将という立場から見て、鳥岡主将はどのような存在でしたか

やっぱり、うまい具合に周りを見て声掛けをしていたかなと思います。優し過ぎると思ったことも多々あったんですけれども、あいつが色んなやつに考えて声掛けたりしていたから、最後にこうやってチームがまとまって来れたのかなと思います。

――最後に後輩たちに向けてメッセージをお願いします

自分たちの代はこれまで、(インカレ)最終日に残るという経験がなかったのでがむしゃらにやるしかなかったんですけれども、今回最後まで、5試合目まで戦うという経験はさせてあげられたので、どうすれば(優勝のカベを)越えられるかということをしっかり考えながら優勝目指してやってほしいなと思います。

西川航太(社4=東京・早実)

――インカレ2位という結果をどのように受け止めていますか

自分は主に(三塁)コーチャーとして出ていて、選手のサポートに回っていたんですけれども、そんな中決勝で負けたのはすごい悔しい気持ちがあります。ただ、ここまでチームが一つにまとまってやって来れたというところには達成感があります。

――満足のいくインカレでしたか

そうですね…。90パーセントは。

――残りの10パーセントは何でしょう

やっぱり最後勝てなかったことですね。

――主務という立場から見て、今年はどのようなチームでしたか

僕が1年生の頃の主務の方は威厳があって、頼りがいはあるんですけれども上下関係が強いっていうところが多少ありました。でも年々、(先輩後輩の距離感が)縮まってきていて、今年はそれが顕著に出て、まとまったチームになったんじゃないかと思います。

――主務としての仕事はいかがでしたか

大変でしたね。主務の仕事って要領良くやっていかなければいけないんですけれども、自分自身すごい要領が悪いので、向いていたかと言われれば首をかしげる部分があるんですけれども、やり切れたのは良かったかなと思います。

――今年の4年生はどのような代でしたか

みんな楽しい4年生でしたね。一人一人キャラがしっかりしてるというか、みんなキャラは違うんですけれども、まとまって一つになれる代だなと思います。

――今後ソフトボールに携わる予定はありますか

ソフトボール大好きなので、どういうかたちになるかは分からないんですけれども、携わっていこうと思います。

――早大ソフトボール部で過ごした時間はどのようなものでしたか

成長した四年間でした!

――最後に後輩たちへメッセージをお願いします

一年間やってきたことはムダにはならないので、それを信じて、またこの舞台に戻ってきて優勝をもぎ取ってください!

杖子量哉(スポ4=岡山・新見)

――2試合目の日体大戦での投球は、振り返られていかがでしたか

2試合目はもう、気力で頑張ろうという感じで。ブルペンで投げた時もライズ(ボール)が全然浮かなくて、球威もない状態だったので、どうやって投げれば抑えられるか考えていたんですけど。結局、今の自分の技量では無理だから、気持ちだけでも負けないようにしようと思って投げていました。

――2試合目に入る前の、自身の球の走りや感覚はいかがでしたか

もう、最悪。と言ったらチームに申し訳ないですけど、自分の状態が良いとは絶対に言えない調子ではありました。

――最後はバッテリーを組んできた実重選手が打ち取られて試合終了となりました。その瞬間の感情を教えてください

僕、(試合に向かう)行きのバスの時点でもう泣けちゃって。「きょう勝っても負けても最後か」という感情はあって、決勝戦中も、僕がすごく打たれているのに周りが声を掛けてくれて、すごいいいチームだなと思ったら泣けちゃって。(実重は)2年生くらいからキャッチャーを始めて、最初はすごい難儀したんですけど、上から目線になってしまうんですがよく付いてきてくれて。あいつは高校の時に大変な思いをしてワセダに入ってきて、ソフトボールをやってくれたので、巡り合わせとしては最後が実重で良かったのかな。4年生で終われたので。実重も最後すごく楽しそうにバットを振っていたので、そこに関しては良かったのかなと思います。

――今後ソフトボールに携わることはあるのでしょうか

僕は地元に就職するので。高校のOBチームに誘われているので、そこでやろうかなと思っています。

――早大での四年間を振り返られて、どのような四年間でしたか

結構苦労した四年間かなと思います。僕は色々事情があって、練習したくてもあまりできなかったりして、他のみんながうらやましく思えた時期もあったし。1、2、3年生の時のインカレでは全然投げられないし、自分の実力不足なんですけど、リーグ戦でもほとんど投げさせていただけなかったし、そういうところはすごく……。僕は「試合に出たい、出たい」と思っていたんですけど、なかなか結果が出なくて。去年の秋くらいから少しずつ結果がついてきたのがすごくうれしくて、今回も準優勝という結果で終わったのもすごく嬉しいですけど、やっぱり悔しい気持ちはあります。

――杖子選手にとって、早大ソフトボール部とはどのような場所でしたか

自分っていう人間を認めてくれる、すごくいい場所だなと思います。さっきも言ったんですけど、僕は他のみんなに比べて事情があってあまり練習ができない中、それも認めてくれて。今回もエースのピッチングはできていないのに、決勝戦の試合中に丹野(太郎、スポ3=兵庫・滝川学園)に「お前が一年間引っ張ってきてくれたんやから、思い切り投げろ」とか。そういう言葉にすごく励まされて、「ホンマにいいやつばっかだな」と思って。(ワセダは)他の大学に比べて浪人生とかも多くて、最初僕が入学した時のワセダはすごく強かったので、そういう人たちでも(早大ソフトボール部でプレーが)できるっていうイメージがなくて、正直最初はイメージと違ってなかなか自分の中に落とし込めなかったんですけど。四年間一緒にやってきて、それが180度変わったというか。今は、ワセダで良かったと思っています。

実重僚右(人4=高卒認定)

――1試合目の国士館大との試合を振り返っていかがですか

ずっと国士館は意識していたチームですし、素晴らしい選手がいる中でどうやって勝とうかということを今までも考えてきたんですけど、杖子ときのうの夜に散歩しながら話して。最終的にどう攻めるかという部分を、大まかに決めて臨んで、それがハマったという部分と。中盤、終盤になってうまくいかない部分は監督さん(高杉聡監督、平10人卒=群馬・前橋育英)とかにアドバイスをいただいて、配球を変えたりもしました。スコアとしてはすごく動いた試合ですけど、結果としては取られた点以上にバッター陣が点を取ってくれたのと、点を取ってくれたことでバッテリーとしても杖子としても熱量をもってピッチングができたので、国士館とあそこまでいい試合ができたんだと思います。

――2試合目の日体大戦を振り返っていかがでしたか

1試合目が長引いて緊迫した場面が多かったのもあって、杖子が神経も体力もすり減らしたような状態で勝ったので、なんとかそのままの勢いでいけたらと思っていたんですけど。夏場の2試合を想定してはいたんですけど、気温も高かったですし。杖子もだいぶボールがきてないということは本人も言っていましたし、先生も僕もそう感じていたので。その中でなんとか低めにボールを集めたいなと思ってやっていたんですけど、なかなか思うようなかたちにならずに、序盤で試合が決まってしまうというかたちになりました。

――初回に大量失点を喫した後、2回以降はビッグイニングをつくらせませんでした。なにか戦術面での変化はあったのでしょうか

ライズボールを交えながらの初回だったんですけど、打たれてしまうケースが多かったので。先生とも、ドロップやチェンジのような下のボールを使って、なんとか打たせて取っていこうという話はしていたので。そこを杖子とも話して、そういうピッチングスタイルに変えたらいいかたちになったと思います。

――日体大の小山玲央投手(2年)と対峙(たいじ)した感想をお願いします

U19もそうですし、大学日本代表のピッチャーでもある本当にいい投手なので、そこを意識して今までマシンを打ったりしていました。なんとか打ちたいなとずっと思いながら練習してきた、目標にしてきたピッチャーだったので、すごく悔しいですね。

――最後の打席に向かわれる際はどのような気持ちでしたか

インカレの2試合目では打てたんですけど、その前もそれ以降も打てていなくて。バットでチームの力になりたいなと思いながらやっていたんですけど、なかなか結果が出ずに迎えた、そこで点が入らなければ試合が終わってしまうという場面だったので。下手にかたちを変えるのではなくて、なんとか自分がやってきたこと、いままでの四年間積み上げてきたもので最後は勝負したいと思って、打席に入りました。

――三振を喫し、試合が終わった瞬間はどのような感情でしたか

すごく悔しかったです。さっきも言ったように、何とかして結果を出したいというのが自分のインカレでの一つの目標だったので。それが最終的に叶わなかったということがすごく悔しいですし、打席に向かう前は、今までやってきたことを考えながら自信をつけて打席に入ろうと思っていて。最後三振した後、今までやってきたことが思い出されて、ちょっと感傷的になってしまいました。

――最後の質問になります。実重選手にとって、早大ソフトボール部とはどのような場所でしたか

僕の大学生活の青春が詰まった場所です。入部したときから自分の思うようなプレーができなかったり、周りのレベルとの差に本当に苦しい思いをしましたし、自分が選手としてはもうダメかなと思うタイミングも何回もありました。その中でも、先輩や、もちろん後輩、なにより同期がいつもそばで支えてくれて、最後は勝って終わりたいとずっと思えていたチームだったので。本当に、青春が詰まったチームでした。

新堀潮(教4=東京・早実)

――今年のインカレはどのような大会でしたか

四年間の集大成にふさわしい大会にはできたのかなと思ってますね。最後優勝できなかったのは残念ですけど、納得いくかたちで四年間を終えられたのかなとは思ってます。

――四年間一緒に過ごしてきた同期はどんな方々でしたか

これだけ迷惑掛けてもまだ仲間だと言ってくれる人たちも珍しいんじゃないかっていうくらい、本当に迷惑をかけたので(笑)。すごく優しいと思うし、いろんなキャラクターがいるな中で、振り返ってみると辛いこともあったけど、なんだかんだ楽しかったなぁと思います。

――早大ソフトボール部で過ごした四年間はいかがでしたか

そうだなあ……。大学生活の中心が部活というところは大いにあったので。色々あったけど、一言で表すなら『変化』ですかね。高校から大学に入った時点で変化があったと自分では思ってるし、大学4年生の後は社会人になるという意味で、この後の人生においても大きな節目だったと思うし。1年生の時は、正直僕は体育会に入るとは思ってなかったので。そう考えると、性格とかも含めて……性格はあんまり変わってないかもしれないけど(笑)。周りから見たら大差ないとは思うんですけど、自分の中では変化があったかなと思います。

――変化というのは成長という言葉と同じなのでしょうか

成長と言えるかは分からないけど、人として変わったかなと思います。

――来年インカレ優勝を目指す後輩たちに向けて一言お願いします

ご覧の通り、小山(伶央、日体大2年)という化け物はいるけど、ひょんなことで勝ったり負けたりするのがソフトボールだと思うので。僕たちが成し得なかったことは成し得てほしいと思うので、頑張ってください。頑張るというか、今回試合に出ていたメンバーもチームに残るし充分勝てるんじゃないかと個人的には思っているので。秋から新チーム始まりますし、まあ、頑張ってください!

真崎郁茉(先理4=東京・巣鴨)

――大会中、どのような気持ちで戦いに臨んでいらっしゃいましたか

自分は4年生なんですけど、スタメンではなくベンチ(メンバー)としてグラウンドにいて。レギュラー陣が活躍してくれることを願って、一生懸命応援しようと思っていました。

――きょうで大学でのソフトボール人生を終えられました。早大ソフトボール部でのこれまでの日々は、どのようなものでしたか

実は自分は四年間部活をやっていたわけではなくて。今監督をやられている高杉さんとソフトボールの授業で出会って、それをきっかけに2年生の秋くらいから練習をやって。結果的に入部したのが3月くらいということで、一年半くらいしか早大ソフト部にはいられなかったんです。最初はただ体育の単位を取るためにソフトボールの授業を取ったのに、こんなことが待っているとは……という感じで。別にプレーをしていたわけではないけど、インカレで準優勝するようなチームに最後いられたことがすごく良かったなと思います。

――ここまで一緒に戦ってきた同期に送りたい言葉はありますか

特に投手である杖子は、日本を代表するようなピッチャーなので。そういう意味で尊敬するし、鳥岡や前多も、残念ながら自分は普段理工キャンパスにいるので、普段から出会えるような人ではなかったというところで。それこそさっき言った話とかぶりますけど、体育の授業をきっかけに入部したことで出会えた同僚ですし、新しい世界を教えてくれた方々だったと思います。西川とは、別に自分はなんにもないです(笑)。

――真崎選手にとって、早大ソフトボール部とはどんな場所でしたか

少しダブってしまうかもしれないですけど、『知らない世界を教えてくれた場所』ですね。