博多の森陸上競技場はメインスタンドだけではなくバックスタンドやコーナーの観客席まで、1万4100人の観客で埋まった。6月28日、日本陸上競技選手権の男子100m決勝が行なわれ、期待された9秒台は出なかったものの緊張感の溢れるレースとな…

 博多の森陸上競技場はメインスタンドだけではなくバックスタンドやコーナーの観客席まで、1万4100人の観客で埋まった。6月28日、日本陸上競技選手権の男子100m決勝が行なわれ、期待された9秒台は出なかったものの緊張感の溢れるレースとなった。



サニブラウン(左から2人目)に敗れたものの、精神的な安定を見せた桐生祥秀(左から3人目)

 主役となったのは、6月の全米大学選手権で9秒97の日本記録を出したサニブラウン・ハキーム(フロリダ大)だった。前日の予選では、久しぶりの日本のスターターに慣れていないこともあって、リアクションタイムはダントツで遅いスタート。だが、50m付近でトップに立つと、そこからはリラックスした走りで10秒30の5組1位で予選を通過した。準決勝では、中盤で抜け出すとラスト10mは流しながらも大会タイ記録の10秒05と好調さを見せていた。

「予選はスタートから全然ダメなレースでしたが、準決勝は集中してやるべきことがしっかりできた。リアクションタイムは遅かったけど、中盤から後半にかけては予選とは全然違っていた。気持ちよく10秒05で走れているし、ラストは何もしなくてもスピードに乗れるなという感じです」

 そんな自信を口にしたサニブラウンは、決勝もいつものように飄々とした表情で登場した。

「緊張はもうほとんどしなくなったかもしれない。全米大学の時も緊張はしていましたが、ワクワクしている方が大きかった」と言う。とくに記録や勝負を意識しなくても、普通に走れば結果はついてくるという自信がうかがえた。

 決勝の走りについて、「前半は『アレっ?』と思った」と、本人は納得のいくスタートではなかったようだが、リアクションタイムはまずまず。先行した桐生祥秀(日本生命)を40m付近で抜いて前に出ると、そのまま安定した走りでゴールまで駆け抜けた。湿度が高く、向かい風0.3mという決して好条件ではなかったが、大会記録の10秒02で圧勝して、2度目の大会制覇を果たした。

「勝てたと感じたのは50mくらいで顔を上げた時です。スタートがうまくいかないのはいつものことだけど、そこで焦らずに加速し続けることができたのはよかった。ただ、スタートでは集中できていないし、やるべきことができていない。(フォームが乱れて)終盤、顎が上がったり、腕振りが前にいってしまったので、(体の)強さが欠けているのかなとも思う。そういう弱い部分を出すと世界のトップレベルには通用しないので、アメリカに帰ってからの課題としてやっていければと思います」

 一方、2位になった桐生は、中盤からの加速という自分のストロングポイントを見せられないレースになったが、以前よりも進化した姿を見せた。それは早い段階でサニブラウンに先行されながらも、これまでのように力んでしまうことなく、10秒16で2位という結果を残したことだ。

 4月のアジア選手権で優勝し、5月のゴールデングランプリではジャスティン・ガトリン(アメリカ)と0秒01差の勝負をして10秒01で走るなど、今季は競り合う中で冷静な走りを見せていた桐生。6月2日には、刺激し合うライバルがいない布勢スプリントにあえて出場して、自分自身の走りと向き合いながら記録を狙い、10秒0台を連発していた。

 だが、今大会初日の予選では向かい風0.4mの条件ながら10秒31という走りだった。桐生自身も走り終えて、「こんなに遅いのかという思いがあった」と言う。持ち味の加速力が発揮できなかった要因について、こう口にする。

「(布勢スプリント後から)日本選手権までの3週間試合がない時期に、いろいろな練習をしてきたんです。(足の)接地時間を長くしたバウンディングという練習もしました。それがいい効果を出したとは思いますが、持ち味でもあるピッチを少し落としてしまった面もあると思います」

 今回の全日本選手権の準決勝では、少し硬さも見える走りで中盤から伸びきれず、最後は10秒09で走った小池祐貴(住友電工)に突き放されて10秒22。レース後には「予選よりスタートがちょっと遅れたけど、後半は小池さんが前にいて、飯塚さんが3番で僕が2番だというのもしっかり見えていました。決勝に集中したかったので、70mくらいから追うのを止めて冷静にいきました。去年までは準決勝1位通過をずっと意識してきて気疲れする部分もあったので、もういいかなと思って」と話した。

 桐生は、大会前日の記者会見では「予選と準決勝は理想で言えば、流して10秒1台や0台で通過したい」と話していたが、調子が上がらないまま決勝を迎えることになり、若干の不安を残していた。

 だが、桐生は想定外の状況になっても、しっかり自分の足下を見つめていた。もちろん2014年以来、逃し続けている全日本選手権のタイトルを獲りたい気持ちはあっただろうが、自分の状態とサニブラウンの走りを見て「今できる最大の事をしよう」と気持ちを切り替えていたのだ。

「世界へ行けば予選も準決勝も大事だけど、日本選手権ではいつも準決勝でいい走りができると『よかったな』と思ってしまう。今回はそういうのは一切なかった。準決勝では小池さんに負けていましたが、その日の(最高の)走りをしようと思ったし、決勝では負けていられないと思ったので集中できた。サニブラウン選手に勝てなかったというのは悔しいし、2位でホッとしたというのはないけど、いろいろ考えて決勝を走れたというのは自分の心の中では成長だと思っています」

 サニブラウンに0秒14離される結果だったが、優勝タイムは10秒02で「タイム的にはまだ負けてない」という気持ちにもなったと振り返る。課題は、今季のテーマにしている後半で突き放されたところで、世界と戦うこと。それを考えると「もっと成長していきたい」と話した。

「今回(世界選手権出場の)内定を決められなかったので、しっかりポイントを取って世界ランキングを上げていかなければいけない。これからヨーロッパに行き、強い選手たちと走る中で狙って9秒台を出し、『俺はまだ速いぞ』というのをファンに見せつけたいと思います」

 こう語った桐生にとって、今回の敗戦は強くなりたいという意識をより強くさせるものになったと言える。