「不屈」という言葉の定義について、ホルヘ・ロレンソ(レプソル・ホンダ・チーム)はつい先日に自らのツイッターアカウントで、以下のように定義した。「逆境に対応できる力、苦痛を受けてもそれを乗り越えて、さらに強靱さを増す力へ変えること。不屈を…

「不屈」という言葉の定義について、ホルヘ・ロレンソ(レプソル・ホンダ・チーム)はつい先日に自らのツイッターアカウントで、以下のように定義した。

「逆境に対応できる力、苦痛を受けてもそれを乗り越えて、さらに強靱さを増す力へ変えること。不屈を知る人物は、幸福と運命を切り開くのは己自身であることをわきまえている」



カタルーニャGPで多重クラッシュを生んでしまったホルヘ・ロレンソ

 では、ここで質問。5回の世界タイトルと、通算65勝以上を挙げている選手と言えば、誰だろう?

 ジャコモ・アゴスチーニ、バレンティーノ・ロッシ、アンヘル・ニエト、マイク・ヘイルウッド、あとほかに誰がいたっけ? なるほど、彼らはみな、不屈の魂の持ち主だ。だが、ここでロレンソの名前を出すことに疑いを持つのなら、その人の記憶力はかなり怪しいかもしれない。

 昨年のムジェロ(第6戦・イタリアGP)で勝った選手を、あなたは憶えているだろうか。思い出せないのだとすれば、それはおそらく、ロレンソがここしばらくのあいだ直面している「逆境」の深刻さゆえ、なのかもしれない。だからこそ、彼はツイッターのフォロワーたちに対して、自分が不屈の人であることを、そしてその逆境から立ち上がることができることを示す必要があったのだ。

 この投稿に添えられていたのは、ロレンソが10コーナー外側のマーシャルポストで、コースマーシャル用の椅子に腰かけている写真だ。このコーナーは、決勝レースでアンドレア・ドヴィツィオーゾ(ミッション・ウィナウ・ドゥカティ)、マーベリック・ビニャーレス(モンスターエナジー・ヤマハ MotoGP)、バレンティーノ・ロッシ(モンスターエナジー・ヤマハ MotoGP)を巻き込んで転倒した場所で、それはまさに、今シーズンのロレンソの低迷を象徴する出来事だった。
 
 現在の彼はランキング15位、わずかに19ポイントを獲得したのみである。今季完走した5戦のうち、ベストリザルトは11位だ。

 レースタイムで見ると、優勝者にもっとも近かった時でも14秒差。すでに4勝を挙げているチームメイトのマルク・マルケスと比較すれば、121ポイントの開きがある。ロレンソがトップテン圏内でゴールしたレースを探してみると、今回の第7戦・カタルーニャGPの決勝日からさかのぼること10カ月と5日前の、昨年の第11戦・オーストリアGPである。

 今回の決勝レースでロレンソが犯した大失敗は、しかし、理解できないことではない。トップグループ走行中の2周目10コーナー進入でブレーキングに破綻をきたしてしまったため、結果的にレースはマルケスに利することになったが、その時の展開を振り返ったロッシは、よくあることだと述べた。「レースだからね」。そう言って肩をすくめた。「そういうこともあるよ」。

 その寸前にマルケスはドヴィツィオーゾを抜いて先頭に立っており、ロッシは転倒したロレンソの後方で、回避のためにマシンを引き起こしていた。当のロレンソは、このコーナー進入でビニャーレスをオーバーテイクして3番手に浮上したところで、ブレーキングが深すぎて転倒したため、すでに旋回動作に入っていたドヴィツィオーゾを巻き添えにしてしまった。

 ドヴィツィオーゾはロレンソの謝罪を受けいれている。レーシングインシデントだとはいえ、この出来事のおかげでチャンピオン争いには大きな影を落とすことになってしまった格好だ。

 250cc時代のロレンソは熱くなりすぎるあまり、危ない走りをする選手だったが、その反省から、この11年間の最高峰クラスでの活動を通じて、安全を担保した戦いの重要性をもっとも声高に訴える選手の代表格になった。日曜に見せた性急なミスは、ケンカ上等のバトルからもっとも遠いところにいる選手の例外的な失敗だったのだ。

 だが、ビニャーレスはロレンソが仕掛けたタイミングについて、このように指摘した。「ヤマハは直線が遅いんだから、そこで抜けばいいじゃないか。あとコーナー4個待つだけでよかったんだ」。

 ブレーキングからコーナー進入は、ロレンソがRC213Vに乗り換えてからもっとも苦手としてきた区間だけに、先頭グループにつけている時になぜあえてそこで仕掛けるのか、という疑問を持つのも当然だろう。土曜の走行後に「もうちょっとアグレッシブに攻める乗り方をしたい」と語っていたことを考え合わせれば、これは妙に気になる部分ではある。

 だが、ロレンソの名誉のために言っておけば、彼は自分のミスを非常に率直に認めている。「おそらく、マーベリックを抜こうとしたタイミングも、場所もよくなかった」と述べて、「どれだけ謝っても謝りたりないくらいだ」と明かした。さらに、久しぶりにトップグループで争ったために感覚が鈍っていた、とさえ述べた。「かなり興奮していたんだ。乗れている感覚があったし、もっと行けそうな気もしていた」。

 今回の転倒は、昨年のアルゼンチンやヘレスにも匹敵するような、大きな出来事だったといっていいだろう。現在のロレンソが抱えている問題は明白だ。2018年のシーズン後半は負傷に悩まされ、年が明けた2月には、自ら言うところの「トレーニング中の軽率なミス」で左手舟状骨(しゅうじょうこつ)を骨折してしまった。つまり、レプソル・ホンダ・チームに加入して8カ月が経過した現在も、まだ完璧な体調には戻っていないのだ。

 さらに、バイクの要素もある。2019年型のRC213Vは、ここまでの7戦で4勝を飾っている。だが、カル・クラッチロー(LCRホンダ・カストロール)がこのマシンで苦戦を強いられていることからもわかるとおり、上記のリザルトはマシンの水準の高さというよりもむしろ、マルケスの天才がもたらした偉業、と言ったほうが適切だろう。

 もちろんエンジン性能は、トップスピードでも扱いやすさという面でも向上している。だがここ数年、ホンダ最大の武器だったフロントまわりで、クラッチローは苦労を強いられている。つまりは、バランスがまだ最適なところへ至っていないのだろう。

 ロレンソがドゥカティで過ごした2年からわかるのは、バイクのバランスやシートポジションが適切でないとパフォーマンスに悪影響を与える、ということだ。今年のヘレス(第4戦・スペインGP)で、ロレンソはこんなことを話していた。「フロントに荷重がかかりすぎて、腕がかなりつらいんだ」と。

 ムジェロ(第6戦・イタリアGP)の際に悪戦苦闘を強いられていた様子は、レース中の大半でその後方にいたアレイシ・エスパルガロ(アプリリア・レーシング・チーム・グレシーニ)が目撃している。

「鮮やかさがなかったね。自信を持って走れてないように見えた。流れるように鮮やかな走りがもともと彼のスタイルだけど、コーナーでクリップにつくために、かなりバイクを減速していた。見るからに苦労していたよ」

 チームマネージャーのアルベルト・プーチは、カタルーニャGPのウィーク中に、バイクのキャラクターを大幅に変えられない憂慮を隠しきれないでいた。「ホルヘはバイクに順応できていないけれども、あながちバイクがダメだというわけでもない」とプーチ。「片方のライダーが順応できていないから、という理由でバイクの特性をガラリと変えることはできない。マルクがいい調子で勝っている以上はね」。

 そして、そこに加味されるのが、体調の問題だ。「RC213Vは身体を酷使するバイクだ」と、クラッチローは何度も指摘している。負傷という要素はロレンソの苦戦をある程度まで説明できるが、むしろ十分な準備が足りなかったことを指摘する声もある。個人スポンサーへ配慮した宣伝活動の過密スケジュールで、身体をしっかりと仕上げる時間が奪われてしまった、というわけだ。

 今年のロレンソは、それら不安要素を潰しこんでようやく光明が兆しはじめた――と見えた時にかぎって、いつも後戻りを強いられてしまう。

 レプソル・ホンダ・チームの選手として初めて臨んだ開幕戦カタールのフリープラクティス1回目では2番手につけたが、翌日のセッションでハイサイドにより転倒。第4戦翌日の事後テストは、好調に進めてきた矢先に7コーナーで大きな転倒。モンメロ(第7戦・カタルーニャGP)は目の醒めるようなオープニングラップの翌周回に転倒で終えたが、その翌日に行なった事後テストではバイクがタイヤウォールに乗り上げるほど、派手な転倒を喫してしまった。

 このような経過を見てくると、いやでもこんな疑問が沸く。さらに事態は悪化するのだろうか? アッセン(第8戦・オランダGP)とザクセンリンク(第9戦・ドイツGP)では、果たして光明が兆すのだろうか? このふたつは、彼の二大不得意コースだというのに。

 たしかに、トンネルを抜け出せない可能性はある。ただ、モンメロでのロレンソは明らかに手応えを掴みかけていた。今シーズンのなかで「もっとも手応えのあったウィーク」だとロレンソは述べていた。そう、日曜の決勝レースで、スタートしてから23個目のコーナーを抜けるまでは、あの絶品のロレンソだったのだ。切れ味鋭く鮮やかなライン取りで、オープニングラップに6つもポジションを上げて、あっという間にトップグループに迫っていった。

 6月上旬に日本へ飛んでHRCを訪ねたことは、明らかに収穫をもたらした。ライディングポジション改善の取り組みとしてアップデートされた燃料タンク形状は、ブレーキング改善におおいに貢献した。「ホンダはすごく迅速に対応してくれた」と、ロレンソは月曜の事後テスト後に話した。「僕のために新しいモノをすぐに作ってくれる彼らの対応力には本当に舌を巻くよ」。レース人生屈指のつらく厳しい結果を味わった翌日にもかかわらず、彼はすでに将来を見据えているのだ。

 ここで、冒頭に触れた「不屈」の話題へ戻る。

 歴史が真に繰り返すものであるならば、ロレンソは今の彼がいる場所から、かならず立ち上がってくるだろう。この男は、両足首を骨折した2日後に4位のチェッカーフラッグを受けたライダーなのだ。バレンティーノ・ロッシと熾烈なチャンピオン争いを繰りひろげた際には、相手を自滅に追い込んでタイトルを勝ち取ったライダーなのだ。そして、ドゥカティのCEOに「ただの優秀な選手」だと実績を揶揄された10日後に、優勝を飾ってしっぺ返しを食らわしたライダーなのだ。

 ロレンソはかならず復活する。それ以外に選択肢はない。なぜならば、たとえ人生が艱難辛苦の連続だとしても、いや、そうであるからこそ、彼にはそこしか進む道がないからだ。

西村章●翻訳 translation by Nishimura Akira