東京2020オリンピック競技大会まで500日を切った今春、競技の魅力やアスリートの息づかい輝くプレー数々、アスリート語録をWebマガジンに特別編集。その名も「ROAD TO TOKYO2020~昭和から平成そして令和にバトンをつなぐ東京五輪…

東京2020オリンピック競技大会まで500日を切った今春、競技の魅力やアスリートの息づかい輝くプレー数々、アスリート語録をWebマガジンに特別編集。その名も「ROAD TO TOKYO2020~昭和から平成そして令和にバトンをつなぐ東京五輪~」今回は、2020年のクライミングシーンにおいて欠かせない、超個性派女性アスリートの語録に注目したい。

野中生萌選手だ。

「クライミング以外、考えたく無い」

野中生萌がクライマーになったきっかけや、競技愛についても紐解いていく。

2020年に向け、クライミングという競技に着目し「クライマー・野中生萌」を追い続けている、スポーツブル。今回、改めて公開するインタビューは、2017年。「クライミング界のニューヒロイン」と呼ばれ、瞬く間にクライミングシーンを席巻し、上昇を続ける彼女の個性に迫ったものだ。

「三井不動Presents CRAZY ATHLETES」アーカイブ動画〜野中生萌選手編は、こちら(←クリックすると動画ページへジャンプします)

三井不動産Presents CRAZY ATHLETES〜野中生萌選手アーカイブ動画

ケガしても「勝つ」負けん気クライマー

野中がクライマーとしての頭角を現したのは、2013年。15歳にして、リード種目でW杯日本代表初選出。その後も成長し続け、2016年5月にはW杯ムンバイ大会で初優勝を成し遂げる。W杯ムンバイ大会から3ヶ月が経過した2016年8月、W杯ミュンヘン大会で2度目の優勝を果たし、2016年のW杯世界ランキング「2位」を獲得。一気にトップクライマーとしての階段を駆け上がった。

25年間に渡り数々のアスリートを取材してきたスポーツジャーナリスト生島淳が、当時19歳の野中生萌の強さと個性に迫るインタビューが以下。

____

スーパークライマー野中生萌の個性

スポーツジャーナリスト生島>さすが鍛えた肉体という感じですね。
 野中生萌選手>ありがとうごいます!
 
生島>どうでしょう(クライミングが)オリンピックの正式競技に選ばれて。
野中>ここまでオリンピック競技になるまで広まって、私は素直に嬉しいです。
 
生島>お約束というか、私も挑戦したいと思うんですけど、コーチングしていただいてよろしいでしょうか?
野中>ピンクのテープをたどっていって、両手で掴んで、離陸してスタート。両手でゴールを持ってゴールになります。ちょっとお手本をやってみますね。
 
生島>両手でホールドするのね。
野中>次だけ見ていちゃダメなんですよ、その先のことを読みながら。足の位置とかバランスとかを考えて(生島が実際にトライ。野中がアドバイザーに)
 
野中>いい感じです。それで両手で掴んでゴールです!
生島> イエス!

オリンピック初採用《スポーツクライミング》野中生萌が語るボルダリングの魅力とは?

生島>まずスポーツクライミングという、※カテゴリーがありますけど、その中にも色々種類があるんですよね。
野中>その中でも3種目。まずボルダリングはこういう4、5mぐらいの短い壁を命綱無しで登る競技ですね。

※ボルダリング…壁面に設定されてスタートからトップ《ゴール》までのコースを制限時間内にいくつ登れたかを競う
※リード…ロープとハーネス《命綱》で自分を壁に繋ぎ、高さ12m以上のコースをどこまで登ることができるかを競う。
※スピード…高さ10m~15mの同じコース設定の壁を2人並んで登り、トップにあるスイッッチを押すまでのタイムを競う。
 
生島>その中でボルダリングを中心に今やられているのは?
野中>ボルダリングが一番楽しくて、簡単な課題でも難しい課題でも、登れた時の達成感とか、ものすごいいいなと思うし、大会とかだと、その時目の前に出された課題とかってその時にしか触れないので、そういう楽しさ。その場で感じられるそういう楽しさっていうのはなかなか魅力的ですね。
 
生島>クライミングに対して自分は、クレイジー(身体能力や考え方がずば抜けて優れていること)だという風に思いますか?
野中>いやなんか、まずここまでクライミングをやっているっていう時点で、結構クレイジーなんじゃないかなって単純に思います。

生島>通信制の高校を選ばれているじゃないですか。その段階で、プロで勝負するんだっていう覚悟をもう中学のとき決めていたんだなということがこれは「すげーな」と僕は思うんですよ。
 野中>結構聞かれるんですよね。そういう選択って大きい選択なのに、「よくそんなすんなりできたね」って言われるんですけど、自分の中ではそんなことなくて。なぜかっていうと、自分が好きなことをしたいから、それに必要な選択だったんですよね。
 

トレーナーが語るクライマー野中生萌の強さの秘訣

生島>2016年を振り返りますと、どの大会が印象深いですか?
野中>やっぱり初優勝したインドの大会。

2016年5月、W杯ムンバイ大会で初めての優勝を果たした。彼女はなぜ優勝することができたのか?フィジカルトレーナーの小田佳宏がその強さにTついて語ってくれた。
 
小田>日本国内でも、海外でも女性クライマーの中では確実にフィジカル面でトップにいるんですね。そこはやっぱり国内で勝てている、海外でも成績を今期残せている要因の一つではあるんですけども、それに加えて見落とされがちなのは、柔軟性もしっかりあるっていうことですね。ホームランも打てるけど、盗塁とかも。トリプルスリーが狙える選手って言ったらいいのかな、野球でいうと。
 

怪我しても《勝つ》負けん気クライマー野中生萌

生島>怪我をしていたという情報もあるんですけど。
野中>ウォーミングアップのときに手首になにか一瞬違和感があって、すごい気になるんですけど、でも競技中は全然アドレナリンが出まくっているので、そんなに言うほどは気にはならなくて。

生島>それでも大会には出続けていたわけ?
野中>出ない選択肢はあんまりなかったですね、痛かったけど。

生島>腫れていてできたんですか?
野中>怪我があったから、ダメだったみたいな、なんかそういうのはしたくてなくて。怪我だからダメって、すごい弱いなと思うので。

生島>ものすごい負けん気が強いのかなと思うんですけど。
野中>うーん、そう思います。いや、これ登れないって決めつけたら登れないし、ケガしたときも、ケガしたから無理だと思ったら絶対無理だけど、でもできるかもしれないし、実際にできたし、そういう風に考えていくのって絶対に大事だとも思いますね。

___

9歳のとき、登山が趣味の父親とともに山登りのトレーニングの一環としてクライミングジムに連れて行かれたことで、クライミングと出会った。3人姉妹の末っ子で2人の姉が登っている姿に触発され、負けず嫌いな性格から自身を練習で追い込んだことでクライマーとしての才能が開花。彼女の道のりは、2020年へとまっすぐ続いていたクライミング人生なのかもしれない。

東京2020大会は、全55競技(オリンピック33競技・パラリンピック22競技)の開催が予定され、誰もがその雄姿に思いを馳せ、熱狂していくシナリオは揃っている。 体操や競泳、柔道、レスリングなど日本のお家芸だけで なく、追加種目の野球、ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンにも注目だ。

『スポーツブル』が願うことは、東京から世界へとスポーツを通して感動の瞬間とドラマ、そして選手の内なる声を、より早く、より深く、伝え、見る者の 心を揺さぶる熱狂を届けること。新しい令和という新時代と共に迎える東京2020大会。最高の舞台で、満開に耀く歓喜の瞬間を共有したいと願っている。 

取材・文/スポーツブル編集部