世界トップの8カ国が参加するパラアイスホッケーの世界選手権(Aプール/チェコ・オストラバ)が4日、閉幕した。決勝ではアメリカがカナダを延長戦の末、3-2で破り、2大会ぶりの優勝を果たした。日本代表は予選リーグで全敗し、順位決定戦でもスウェーデンに敗れて最下位の8位。3度目となるBプール降格が決まった。



今大会最後の指揮を執った中北監督の指示に耳を傾ける選手たち

 日本代表は今シーズン、4度の海外遠征を実施したが、最終的にチームのメンバーが固まったのは今年に入ってから。この世界選手権でできることは、新たな戦術に取り組むのではなく、とにかくきっちりと守り、少ないチャンスで決めることだった。

 だが大会をとおして、マンツーマンでの守備が乱れて相手をフリーにさせる場面が目についた。登録選手がわずか10人と最小人数で戦うスウェーデンに対しても、ほとんどの時間でパックを保持しながらミスを繰り返し、逆に一瞬のチャンスを相手に与えて失点を許した。全4試合を終えて、トータル71本のシュートを放ちながら5得点に留まった。成功率「7.04%」は8カ国中、断トツの最下位だ。得点力も守備力も他国とは大きな開きがある。

 98年長野パラリンピックから代表で活躍する吉川守(長野サンダーバーズ)は、「このチームはまだ仲間を信じ切れていない」と話し、また新チームづくりに尽力してきたキャプテンの児玉直(東京アイスバーンズ)も「勝とうという意思は持っていたけれど、自分たちの作戦を見失ってしまった」と、危機感をにじませた。

 世界で戦うための技術もメンタリティも足りなかった。それが正直なところだ。それでも、吉川や三澤英司(北海道ベアーズ)、須藤悟(同)らベテラン勢がチームを鼓舞し、熊谷昌治(長野サンダーバーズ)はこの半年間、自らフォワードからディフェンスへのコンバートを希望し、守備力向上に心魂を傾けるなど、若手選手をその背中で引っ張ってきた。

 育成選手の新津和良(長野サンダーバーズ)、濱本雅也(ロスパーダ関西)、坂本義仁(同)らも、必死に先輩に食らいついた。今大会、セカンドGKの保城厚弥(東京アイスバーンズ)は出場機会がなかったが、プレーヤー3人は”世界”を肌で体感した。濱本は「僕らが経験した悔しさは今回参加できなかった育成組に絶対に伝えなければいけないし、僕らが下から押し上げていくという気持ちを忘れないようにしたい」と前を向いた。

 今大会後、日本は大きな転換期を迎える。2002年から17年間にわたってチームを率いてきた中北浩仁監督が、昨今の低迷の責任を取り、今大会をもって代表監督を退任することを表明した。選手たちは大会直前の合宿で中北監督本人から伝えられ、オストラバ入り後もあらためてその意思が変わらないことを聞いたそうだ。

 吉川は「ホッケーの楽しさを僕に教えてくれた人」、三澤は「何とか勝利を捧げたかった。監督の最後の現場でリンクに立てることを誇りに思うし、続けてきてよかった」と述べ、熊谷は「新人のころから育ててもらった。本当に感謝の気持ちしかない」と目を潤ませた。

 中北監督は元アイスホッケー選手で、学生時代はプロ選手を目指してカナダやアメリカでプレーした。02年ソルトレークパラリンピック後、38歳でパラアイスホッケー日本代表監督に就任すると、アイスホッケーの戦術や動きを取り入れた強化策の改革に着手。練習では少しでも気を抜いたプレーをすれば容赦なく喝を入れ、勝利にこだわるアスリートとしてのプライドを徹底して植え付けた。

 体格に勝る海外勢に対抗する武器として組織力を磨き、10年バンクーバーパラリンピックでは優勝候補のカナダを準決勝で破って、銀メダルを獲得した。また、日立製作所の社員として培った交渉力を活かし、各国の競技団体との外交を重ねて海外遠征や招待試合などの機会を飛躍的に増やしたこと、勤務先の日立製作所に熱心なプレゼンテーションを行ない、日立グループから強化支援資金の提供を取りつけたのも、大きな功績だ。

 バンクーバー大会以降は、Bプールへの降格や14年ソチパラリンピックの出場を逃すなど、低迷期に突入。内外からの厳しい批判もあえて正面で受け止めた。自身を責め、人知れず涙を流したことは一度や二度ではない。それでも、「私は選手の力を信じている」と言い続け、情熱を持って17年間を過ごしてきた。

 現在は日立製作所の常務、海外法人の会長を務める中北監督。海外在住ということもあり、直接指導する機会を減らし、信田憲司、町井清両コーチへとバトンをつないできた。今大会はチームマネージャーはじめ、トレーナーやドクター、イクイップメント(用具のメンテナンス)も帯同し、バックアップした。「スタッフは本当によくここまで支えてくれた」と中北監督。

「選手は私にとって子どもみたいなもの。いろんな選手がいて、いろんなことがあったけれど、感謝は絶えないし、私にとってこのチームは誇りです」

 今後は現場を離れるが、協会理事長と強化責任者の職は継続予定とのこと。また、「パラアイスホッケー界に恩返しをしなくてはいけない。選手たちにパラスポーツの難しさやすばらしさを教えてもらった。まだ彼らが活躍しにくい世界だから、スポーツの仕組みから変えていくことが今後の私のミッションだと思っている」と話し、普及活動などへの関わりにも意気込みを見せている。

 日本は次回、2021年のBプールの世界選手権を戦うことになる。翌年の北京パラリンピックに出場するには、まずはこの大会で上位に入り、最終予選に進むことが必須条件となる。Cプールで優勝した中国、国ぐるみのドーピング問題による資格停止処分が条件付きで解除されたロシアも虎視眈々と上位を狙っており、これから世界勢力図は大きく変わるかもしれない。日本は今回の悔しさ、無念さを力に変え、プライドを胸に戦う集団へと成長していってほしい。

 中北監督の後任は、6月の新シーズン開幕時に発表される予定だ。日本代表の再出発を今後もしっかりと見届けたい。