4月16日、オリックス先発のアンドリュー・アルバースが、昨年6月26日の西武戦以来となる294日ぶりの白星を挙げ、…

 4月16日、オリックス先発のアンドリュー・アルバースが、昨年6月26日の西武戦以来となる294日ぶりの白星を挙げ、お立ち台に「3年B組アルバース先生」と書かれたTシャツを着て登場した。これは人気ドラマ『3年B組金八先生』をもじったものだが、このTシャツを着たのには意味がある。

 じつは、アルバースは教員の資格を持っており、2010年から2017年までオフになると母国カナダのサスカチュワン州で臨時教員のアルバイトをしていた。フランス語と数学を教えながらバスケットボール部でコーチもしていた。



昨シーズン、来日1年目ながら9勝をマークしたアルバース

 驚くことに、北米の野球界ではドラフト下位指名の選手の多くは、マイナーで激しい競争をしながらオフになると別の仕事をしなければ生活が苦しくなるというのだ。ちなみに、アルバースは2008年のドラフトでサンディエゴ・パドレスから10巡目(全体315位)に指名されている。

「上位でドラフトされない選手にとって、オフの仕事は不可欠です。私もそのひとりでした。臨時教員の資格を取ったのは、生活のためです。マイナーの月給は2400ドル(約25万円)ですが、シーズン期間中(半年分)しかもらえません。あとの期間は他の仕事で稼がないといけないんです。

 多くの選手は工事現場や野球教室をして稼いでいます。私が、臨時教員の仕事に就けたことは本当に恵まれていました。母校であるジョン・ポール・セカンド高校には本当に感謝しています。生活のために始めた仕事ですが、とてもやりがいがありました」

 メジャー予備軍の3Aですら「チームメイトの約半数がアルバイトをしていたのでは……」とアルバースは推測する。あと一歩でメジャーに昇格できる選手でも、オフになるとウーバーの運転手をしていたという。

「ウーバーの運転手をしていた選手は何人もいました。短期間しか仕事ができないので、ちょうどいい仕事なんです」

 2010年、アルバースは独立リーグのケベックでプレーしたあと、サスカチェワン州に帰って初めて臨時教員の仕事をしたが、野球を忘れることはなかった。高校の体育館に軽量の建築用コンクリートブロックを置いて、壁当てのようにボールを投げては跳ね返った球を捕球し、また投げる……。それを何度も繰り返した。

 春が近づくと、エージェントからトライアウトの話があった。そのため、サスカチェワンから車で27時間かけてアリゾナまで出向いた。セントルイス・カーディナルスのトライアウトはキャンセルし、ミルウォーキー・ブルワーズとコロラド・ロッキーズのトライアウトに参加したが手応えは得られなかった。ただ、ミネソタ・ツインズだけは可能性があるかなと思っていたが連絡は来ず、自ら電話をかけてみることにした。

「来ればなんとかなるかもしれない」と言われたアルバースは、少しでもチャンスがあるなら……と、フェニックスからツインズがキャンプを行なっているフロリダ州フォート・マイアーズまで37時間も車を走らせた。

 そして夢を追って計5000キロを運転した甲斐もあり、アルバースはツインズからマイナー契約を勝ち取った。

「野球人生が終わりそうな時に、ツインズからまだ続けられるチャンスをもらいました。教員の仕事は大好きです。でも、体が続く限りは野球選手としてやっていきたい。教員の仕事は現役が終わったあとに専念する可能性もありますが、野球選手は今しかできないですから。勝負の世界が大好きで、すごい打者相手に自分の力がどれぐらいのものか試してみたいんです。本当にツインズには感謝しています」

 ところで、アルバースがお立ち台に上がった時に着ていたTシャツの「3年B組」にも深い意味がある。「B」を球団名であるバファローズとしてみたら……昨年、入団直後の好投によってシーズン途中に2020年まで契約を交わしたアルバースは、少なくとも3年はバファローズでプレーすることになる。

 今年34歳になるアルバースだが、2008年にパドレスにドラフトされてからこれまで同じチームで3年以上プレーしたことは一度もなかった。

「3年どころか、2年続けて同じチームでプレーしたことがないよ。2008年はパドレス。2009年にトミー・ジョン手術をしたら、まだリハビリが終わっていない時にパドレスを解雇になりました。2010年は独立リーグのケベック・キャピタルズでプレーし、2011年からツインズとマイナー契約を交わして、メジャー昇格した2013年8月までは傘下にいる5チームぐらいでプレーしていました。2014年は韓国のハンファでプレーし、2015年はトロント・ブルージェイズとマイナー契約。2016年は独立リーグでスタートしましたが、シーズンに入ってからまたツインズとマイナー契約を交わしました。2017年はアトランタ・ブレーブスとシアトル・マリナーズの3Aとメジャーを経験。そして2018年に日本に来て、昨年の夏にオリックスから契約を2年延長していただき、ようやくアパートに物を残して帰国することができました。こんなこと人生で初めてです(笑)」

 長い苦労の末に2年契約を勝ち取ったアルバースだったが、あらためて野球の難しさ、辛さを痛感させられた。

 昨シーズン、来日初登板(4月4日のロッテ戦)に勝利してから6月末までに9勝をマークしたアルバースは、オールスターにも監督推薦として出場するなど大活躍を見せた。

 2ケタ勝利まであと1勝。誰もがアルバースの10勝は間違いないと思っていた。7月3日から5度登板し、そのうち4試合は6回以上を投げて自責点2以下と好投したが勝ち星を挙げられなかった。

 そして8月7日の西武戦で2敗目を喫すると、球団が2年契約で残留すると発表した直後、腰痛により登録抹消。結局、復帰することなくシーズンが終わってしまった。19試合に登板して9勝2敗、防御率3.08。数字だけ見れば立派だが、「悔しい部分もあった」とアルバースは言う。

「オリックスが私を信頼してくれて2年契約してくれた直後にケガをしてしまって……期待に応えられなかったことが悔しいです。もちろん、残留できたことは感謝していますが、満足してはいけないと思っています。もっと成長しないといけないですし、オリックスからの信頼に応えないといけません」

 オリックスの同僚であるブランドン・ディクソンは2013年に入団したが、その間、9勝で終えたシーズンが3回、8勝が2回と、6年間で一度も2ケタ勝利を達成していない。そのことをアルバースに伝えると、笑いながらこう言った。

「ちょうどこの前、その話を彼としました。彼は日本ですばらしいキャリアを積み重ねてきたけど、なぜが2ケタ勝利には届かない。私も来日1年目の前半戦で9勝をマークし、『2ケタ勝利は簡単に到達できる』と思ったら、そこから8試合に登板しましたがダメで、最後はケガをしてしまった。2ケタ勝利が簡単ではないとはっきりわかりました。

 ただ、2ケタ勝利は誇るべき数字ですが、目標にしているわけではありません。誰が勝利を挙げるかよりも、チームが勝つかどうかが大切です。目標は数字的なものではなく、チームを勝利に導く安定感や貢献度だと思っています」

 今季初登板となった4月2日のソフトバンク戦こそ5回7失点(自責点6)と苦しんだが、それ以降は安定した投球を披露している。個人の成績よりもチームの勝利。アルバースは愚直にそれを実践している。