写真:水谷隼/撮影:伊藤圭

水谷隼は自らのキャリアをどう考えているのか。本人の口から語られたのは「2020年以降、僕は一人の卓球愛好者に戻る」という衝撃的な言葉だった。「代表引退」ともとれる言葉の先に続いたのは「起業」という想像だにしないキャリアだった。ただ、これだけは確実に言える。31歳で迎える2020年の東京五輪、水谷はこの大舞台で「卓球選手としての物語」を一度終えるつもりだ。

「卓球だけの人生で終わりたくない。2020が終わったらすぐに動く」

2020年、水谷は「そもそも選ばれるかも含めて五分五分」と語る。「アジアカップ出ないんで。アジアカップには丹羽と張本が出る。そうするともうワールドカップも出られない。かなりアドバンテージが取られている状態。で、やっぱり今度のカタールオープンと中国オープンの結果次第でT2ダイアモンド。そこに出られないともう終わりですよね。あとは世界選手権の結果次第」。




写真:水谷隼/撮影:伊藤圭

仮に2020に出られたとして…と質問したところで、おもむろに口を開いた。「“東京”が終わったら自分の人生はガラっと変わると思う。2020が終わり次第、すぐに動き出したい気持ちが強い」。そこから語られたのは2020の「先の景色」だった。「新しい挑戦をしたい。やりたいことがあるんです。もしかしたら悪い方向にいくかもしれないし、もっと良くなるかもしれない。ただなんかこのまま卓球だけの人生で終わりたくない気持ちが強いんです」。

それは日本代表からは退く、ということか――。現役プレーヤーに対しては心苦しい、ともすれば失礼な質問かもしれないが、思いきってぶつけてみた。

「自分のやりたいことは、絶対に日本代表とは両立しない。そろそろ僕は一人の卓球愛好者に戻ろうかな、と。なんか中途半端に両方やるよりは卓球はもう一つ区切りをつけて、自分の人生をやりたいっていうのがありますね」。

「自分の人生をやりたい」。つまり裏を返せば水谷は「卓球選手・水谷隼であり続けた」ということだ。全日本選手権シングルスV10に日本初の個人での五輪メダル獲得――。大げさにいえば水谷隼の歩みは日本の卓球界の歩みと言っても過言ではない。ただ、それは水谷個人の人生を犠牲に成り立っていたのかもしれない。「僕の人生、卓球しかなかった。友達も少なかったし。実は結構悲しかったですね、みんなが修学旅行行ったりとか卒業式出たりしてるのに、僕はそんな思い出がなくて。遠征ばっかり。そもそも周りが楽しく遊んでるのを羨ましいと思う余裕もないくらい。だからテレビとかで楽しそうな高校生の様子とか、今でも見れないですもん」

2020の後は「起業」。「自分にしかできないこと」を始める

代表を退いても卓球界に残り、業界を盛り上げる道もあるはずだ。フェンシングの太田雄貴氏は協会長になり、先頭に立って業界を盛り上げている。だが「あー、それはないですね。全くないです」。こともなげに否定する。




写真:水谷隼/撮影:伊藤圭

ここまで言い切るのだから意志は固いのだろう。水谷がいなくなった卓球界を思うと、なんだか少し寂しい気がする。ただ、次の水谷のフィールドも気になる。「具体的には言えないんですけど、起業してビジネスをやりたい気持ちはあります。僕のやりたいことって、若くて、ある程度知名度があって、経済的な自由がないとできないこと。それに適する人って日本になかなかいないと思うんですよね。やっぱりみんな何かしら欠ける部分がある。自分がもし東京で終わったら31歳でまだ若いし、比較的知名度もあって、経済的な余裕と時間の自由も比較的ある。ならその人にしかできないことってある。僕はそれをやりたいんですよ」

だからこそ自分の物語の締めくくりとして、水谷は「2020」に懸けている。「やっぱり、ここまで卓球に懸けてきたんで、金メダルはほしいですよね。オリンピックの金メダリストと何度もお会いしますけど、やっぱり、なんだろ、この人には絶対敵わないって思っちゃうんですよ。最後にメダル、金を獲りたいですよ。やっぱ」。常人には理解不能な「ハイレベルな劣等感」を語ってくれた。




写真:水谷隼/撮影:伊藤圭

ここまで赤裸々に語ってくれた水谷はこれから先どこへ向かうのだろうか。それはまだ本人の胸の内に秘められている。「卓球選手」としてではない、「水谷隼」という個人の生き方、まだまだ目が離せない。(了)

文:武田鼎(ラリーズ編集部)