インカレではフル出場。敗れたが確かな存在感を見せた

「後輩に何か残せたら」

最後のわがままだった。インカレ1回戦の相手はリーグ戦で最高峰1部Aに所属する日体大。第2Pを終えて11―0と大差をつけられていた。第3Pを迎える前のミーティングで大友コーチ(当時、19年より監督に就任)は田中(現4)に交代を告げた。いつもなら受け入れるはずの交代が受け入れられない。控室を出ていく大友コーチを追いかけた。「4年生最後の試合だったのに1年間やりたかったことができていなかった。後輩に何かを残したいという気持ちがあった」。第3Pは3点を追加されるが、「自分の中のベストは出せた」。田中は満足そうな笑みを浮かべ引退した。

我慢の4年間だった。1年生の夏に同期で1人GKをたてなければなくなった。その時には積極的にやりたがらない同期を見て手を挙げた。「チームを勝たせられる」という先輩の殺し文句に乗った。しかし、1つ上に正GKの中里(17年度卒)がおり、4年生になるまでは控えとして出場時間も限られていた。

不満がなかったわけではない。チャンスすら回ってこない現状に何度もやめようと思った。そんな時に支えとなったのは中里、引退する時にお互い泣いて言葉が出なかったという。「お兄ちゃんのような存在」と慕う先輩は田中の心の支えだった。「先輩がいてくれたから最初の3年間は続けられた」。自分が残してくれたものを今度は後輩に残したかった。


入れ替え戦ではポークチェックをして2本のシュートを止めた

「有意義な四年間」

昨年12月に行われたリーグ戦入替戦。1部Bに所属する立大は2部の昭和大と対戦。負ければ降格が決まる中で勝負はゲームウイニングショットへもつれ込む。1本目は決められてしまうが、2、3本目を止め、残留に貢献した。1人目に簡単にまかれてゴールを許すと、2人目以降は得意のポークチェックで受けに回らずあえて攻めた。守護神としてチームを勝たせた瞬間だった。

正GKとしての最後の1年。田中はこう振り返る。「四年間の内、三年間は苦しかった。やめたいと何度も思うことがありました。その中で活躍しないポジションでチームに貢献できるか。4年生ではゴーリーでチーム全体に対して責任を負うということを初めて経験して、有意義な四年間だった」。

元々、高校まで地元熊本で水泳をしていた。個人競技では感じることのできないチームと協力して何か成し遂げる経験をしたくてアイスホッケーを選択。自分勝手な性格を変えたかった。だからこそ、インカレのわがままはただのわがままではない。気にかけていたのは同じ大学からアイスホッケーを始めたGKの大嶋(営1)。「腐らないでチームに貢献する姿勢を見せられたらと思っていた。大嶋には自分と同じ未経験のゴーリーなので頑張ればこれくらいできるというところを見せられればと思います」。

後輩に結果を、思いを残した田中に、最後に問うた。アイスホッケーに入ってよかったですか。すると大きくうなずいた。「今の自分になれて良かったと思います。本当に」。

(3月31日 取材・編集:大場暁登)