マリナーズに入団した菊池雄星投手が25日(日本時間26日)、オープン戦デビューを果たした。レッズ戦に先発し、2回を投げ…

 マリナーズに入団した菊池雄星投手が25日(日本時間26日)、オープン戦デビューを果たした。レッズ戦に先発し、2回を投げ1安打2失点ながら自責点は0。特別ルールで勝利投手にもなり、好発進を飾った。

 もちろん結果は良いにこしたことはないが、それ以上に内容や調整過程を重視すべきなのがオープン戦。では実際に過去の日本人先発投手の1年目のオープン戦結果はどのようなものだったのだろうか。

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過去の日本人先発投手の1年目は?

 

 苦しみながら、レギュラーシーズンでは目の覚めるような活躍をみせた投手が2人いる。

 一人は2002年にドジャースに入団した石井一久投手。4試合に投げて1勝2敗、防御率12・96という数字でルーキーイヤーのオープン戦登板を終えた。

 デビュー戦となった3月8日のブレーブス戦は、2回1安打無失点、4奪三振と文句の付けようがない滑り出しだった。

 ところが、3試合目の16日ヤンキース戦で1回持たず6安打6失点でKOされると、イチローと対戦した最後の4月1日マリナーズ戦も2回2/3を4安打5失点KO。特に最後は5者連続四球で、3連続押し出しと散々なものだった。

 それでも首脳陣の評価は揺らいではいなかった。当初の予定通り、中5日となる4月6日のロッキーズ戦でメジャデビュー。5回2/3を2安打無失点、2桁10奪三振と衝撃の内容で初登板初白星を飾った。

 そこからの快進撃は覚えのあるファンも多いのでは。5月4日のカブス戦まで、登板6試合連続勝利。6月まで防御率は2点台で、6月8日のオリオールズ戦で早くも2桁10勝目に到達。この時点でわずか1敗という驚異の勝率を誇った。

 結果的に9月8日のアストロズ戦でライナーの頭部直撃を受け、頭蓋骨骨折で1年目を終えた。28試合で14勝10敗、防御率4・27という成績は十分期待に応えるものだったし、オープン戦での不安などみじんも感じさせず投げ抜いた。

大谷翔平の1年目オープン戦は?

 もう一人は昨年のエンゼルス・大谷翔平投手。打者との二刀流の兼ね合いもあり、オープン戦登板はわずか2試合だけ。デビュー戦の2月24日ブルワーズ戦は1回1/3を2安打2失点、自責点1。2度特別ルールの練習試合に投げた後、3月16日のロッキーズ戦に登板したが、1回1/3を7安打7失点と打ち込まれた。

 2試合での防御率は27・00。投球回数も足りず、周囲はマイナーから始動させるのかと疑うほど。しかし、マイク・ソーシア監督は迷いなく、予定通りに開幕4戦目となる4月1日アスレチックス戦の先発マウンドに送った。

 大谷は6回3安打1失点で初登板初勝利を飾ると、2戦目の8日、同じアスレチックス戦では7回1安打無失点、12奪三振という圧巻の投球をみせた。

 その後も登板間隔を主に中6日と空けながら、先発ローテーションの一角として活躍。残念ながら6月6日のロイヤルズ戦で右肘が悲鳴を上げ長期離脱してしまう。結局投手としての1年目は10試合で4勝2敗、防御率3・31という成績。だが、右肘のパンクさえなければ、投手としても立派な数字を並べていたであろうことは誰の目にも明らかだった。

日本から移籍1年目で共通する課題は?

 日本からの移籍の場合は、ボールの違い、マウンドの固さ、ストライクゾーンの違いなど適応が必要なことが山ほどある。ただでさえ言葉も文化も違う異国での挑戦。オープン戦で問われるべきは、結果ではないことは先人たちの歴史が証明している。

 菊池もオープン戦とはいえ、投げる以上は抑えたい気持ちを持ってマウンドに上がるだろう。そしてぶつかっていった結果が仮に悪くても引きずる必要は全くない。一つ一つ、課題が導き出されたと歓迎したっていい。今は恐れず、ただ腕を思い切り振っていってほしい。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]