~第17回目~ 大島千佳(おおしま・ちか)さん/33歳 女子ラグビー選手→アスリートプランニング 取材・文/グラウンド・グラフィックス 現在、体育会大学生の就職支援やアスリートのセカンドキャリア支援などを行う企業アスリートプランニングに…

~第17回目~
大島千佳(おおしま・ちか)さん/33歳
女子ラグビー選手→アスリートプランニング

取材・文/グラウンド・グラフィックス

現在、体育会大学生の就職支援やアスリートのセカンドキャリア支援などを行う企業アスリートプランニングに勤めている大島千佳さん。元プロのラグビー選手という経歴の持ち主である。

「実はラグビーとの出会いは中京大学卒業後、さらに就職して2年ほど経った時だったので、随分と後の事になります。元々、中学生から大学2年生までハンドボールをやっていました。ただ、大学の監督と意見の相違があり、部を退部して韓国のクラブチームに半年ほどですが留学をしていました。帰国後も実業団チームに所属したのですが、チームのプレースタイルが合わず…また周りの選手との練習環境や雰囲気のギャップに戸惑い、徐々にハンドボールが『楽しくない』と思うようになりました」

在学中に、約10年続けたハンドボールを辞める決断を下した大島さん。それでも大学は必ず卒業するという想いは強く、無事に卒業。しかし、他のスポーツをしたいという意欲はもう燃え尽きてしまった。

卒業後は、大手電機メーカーに就職。デジタルマーケティング事業部に所属し、海外支社と仕事を行うなど、充実した日々を2年間過ごしていた。そんな時、偶然テレビで『女子ラグビー日本代表トライアウト』の放送を見たことがきっかけとなり、トライアウトを受けることに。

嘘みたいな話だが、彼女のラグビー選手としてのキャリアはこのテレビがきっかけ。そして、日本代表としてスタートを切る。実際、トライアウトを受けた時の気持ちはどうだったのだろう。

「実は、ラグビーは観たことはあってもやった事なんてありませんでした(笑)。もちろん、楕円球に触れることも初めて、ルールもそれほど理解できていない状況の中で、トライアウトを合格して、日本代表になれたので本当に『夢』のようでしたね。

でも実際、スポーツから2年間も離れていましたし…セレクションのパフォーマンスもよくなかったので、辞退しようかとも思い悩みました。ただ当時の監督が、ハンドボールを長年続けてきたポテンシャルを買ってくれていましたし『大島さんは女子ラグビー界の宝になる』と背中を押してくれたので、挑戦を決めました」 ラグビー選手としてのスタートを切った大島さん。しかし、彼女にはもちろん仕事もあったため、仕事をこなしながらラグビー活動を行っていた。

会社も入社途中で社員が日本代表になるというケースはなかったものの、代表合宿や試合を公休扱いにしてくれるなど、待遇面も配慮してくれ、全面的に応援してくれ、“二足の草鞋”で忙しい日々を過ごしていた。そんな中で気をつけていることがあったという。

「変な言い方かもしれませんが、ラグビーは趣味だなと思っていました。やはり、お金をもらってプレーしていなかったので、ビジネスではなかったんですよね。だから、あくまでも軸は仕事で、その時はラグビーありきの人生ではなかったというのが本音ですね」

ラグビーと仕事を約3年間続けていた大島さん。しかし、27歳の時に会社とラグビーを辞め、実家のある大阪に帰り、会社を設立し新たなビジネスを始めようと考えた。もちろん周囲からは、反対の声も聞こえた。しかし、彼女の意志は変わらなかった。

「代表の監督にラグビーを辞めると伝え、代表はここで終えました。しかし、大阪に帰ったあともクラブチームでラグビーを続けていました。そして“この試合で引退する”と決めていた直前に首の頸椎を怪我してしまい、自分の中で消化不良となりました。ラグビーが好きだし、まだ終われないという気持ちが強くなった、丁度そんな時に、ミキハウスとプロ契約をさせて頂くことになりました。プロになり、自分のやりたい事が仕事になって、それでお金を頂けるという事がどんなに幸せかと実感しましたね」

2013年ミキハウスとプロ契約をした傍ら、チーム、用具メーカーとも契約。女子ラグビーのプロ選手となった大島さん。女子ラグビー界で、プロ選手として活動しているのは当時2人だけ。他の人たちは、働きながら競技している選手ばかり、クラブチームで他の選手とのギャップはあったのだろうか。

「チームメイトは、プロだからといって妬みやいざこざみたいなものは皆無で、ゲームキャプテンの私に一生懸命ついてきてくれました。ただ、メディア露出も多かったこともあり“圧倒的なパフォーマンスを出さないといけない!”という意識は常にありましたね」(前編終わり)

大島千佳さん記事後編

(プロフィール)
大島千佳(おおしま・ちか)
1985年生まれ、大阪府出身。中学から大学までハンドボールの選手として活躍。中京大学を卒業と同時にハンドボールを辞め、東芝に就職。会社に入社し3年がたったころに、ラグビーのトライアウトを知り、日本代表になれる可能があるということで挑戦し、合格。約1年半で15人制、7人制共に日本代表入り。2017年11月に、三重女子ラグビーチームPEARLS(パールズ)で現役を引退。現在は、アスリートプランニングで体育会大学生の就職支援を行う。

※データは2019年2月28日時点

※スポーツ庁委託事業「スポーツキャリアサポート戦略における{アスリートと企業等とのマッチング支援}」の取材にご協力いただきました。