自身と馬と部員と向き合ったアルゴリズム 初めて基礎的な事柄の定着を感じたのが3年時だと評する山口ありさ(文構=東京・恵泉女学園)。自身の技術の改善や部員同士の関係性、馬の体調など、さまざまな課題解決に取り組んできた。共通する姿勢は、課題を正…

自身と馬と部員と向き合ったアルゴリズム

 初めて基礎的な事柄の定着を感じたのが3年時だと評する山口ありさ(文構=東京・恵泉女学園)。自身の技術の改善や部員同士の関係性、馬の体調など、さまざまな課題解決に取り組んできた。共通する姿勢は、課題を正確に把握した上で、対象と根気強く向き合い対話することだ。言葉を選びながら語る山口の穏やかな表情からは心の強さが透けて見えた。

 2015年、4月。元々乗馬に憧れがあった山口は、高校時代に取り組んでいた陸上以外の競技に挑戦したいという思いに背中を押され、体験入部に向かう。先輩の騎乗姿を見て感じたのは「楽しそう」ということ。しかし、入部した山口は、それまで全く経験がないことに挑戦することの難しさと直面する。思い描いていた上達のスピードに追い付かない焦燥感に駆り立てられ悩む時期が続く。それでも不安を解消するためには練習を続けるしかない。試合に出る機会はなかったが、先が見えない状態でも努力を続けるメンタルの強さは陸上部で鍛えられていた。「陸上もどうしてもスランプに陥る時期ってあるんです。でも、それを切り抜けると絶対うまくなっている。馬術でも全然うまくいかない時期があっても、もうちょっと踏ん張れば見えてくるのかなって思った」。支えにしていたのは練習内容や課題を記録していたノートの中にある過去の自分の成長だ。寝る前に見返し、一カ月前に自分が上達したことを探す日が続く。試合のサポートに回り馬に乗れない日も、上手な選手を目の前にしているからこそ、少しでも見て学び「何か盗んでいこう」とポジティブにとらえていた。日々の練習の中でできることは増えていくが、毎回当たり前にできなければ身に付いた状態とはいえない。そして3年時、山口は初めて自身の技術に手ごたえを感じる。「もちろんまだ直さなきゃいけないところはたくさんあったんですけど、やっと基本的なことっていうのが考えなくても自分でできるようになったのがそのころだった」。山口の粘り強さが実を結んだ瞬間だった。


9月に行われた争覇戦の5位決定戦で決めた山口

  4年生になった山口には転機が訪れる。主将に選ばれたのだ。「なる前となった後だと全然違う景色だった」。山口はそれまでの考えの浅さや部員一人一人のことを理解していない状態だということに初めて気づき、全員で一つの目標に向かう道のりの長さを再認識した。「一つのチームになるために何しなきゃいけないんだろうって考えて、でも答えもあんまり見つからなくて、自信がなくなったり」。言葉を選びながら当時の葛藤を口にする。主将として目指したのは、「レベルを問わずそれぞれが頑張れる環境」を作ることだった。山口は、どの部員にも成長の可能性があると信じていた。部全体の目標や学年ごとの目標を目指すうえでの課題や上達する過程は人によって違う。しかし、継続して部員が別の部員を見るということはできず、各部員の課題や適した解決策が分からなくなるということが度々起きていた。そのような事態を防ぐため、山口は同期や練習を指導する立場の部員とよく話し、部員の状態や必要な練習について共有することを意識したという。主将になってからの一年間は悩んでばかりだったというが、「お互いにリスペクトしつつそれぞれがチームの目標に向かって切磋琢磨(せっさたくま)できる」雰囲気を作ることに貢献した自負がないわけではない。

 部員とのコミュニケーションは馬のケアをする上でも欠かせない。山口は馬術部での四年間の中でのもう一つの転機を振り返る。2年時に山口の当時の担当馬が疝痛を発病したことがある。看病をする中で山口は「もっと馬のことを知らなきゃいけない。もっと馬のことを大切にする部活にしなきゃいけない」と覚悟を決めた。普段から馬術部では部室のホワイトボードや部の連絡網で重要事項を共有し、それぞれの馬のデータをまとめている。爪や皮膚の状態がすぐれない場合、治療法やえさの種類などをちゃんと把握して継続することが大切であるが、その方法が馬によって異なっているためだ。また、山口の場合3年時から出場し始めた試合では、ほかのスポーツと異なり自分だけではなく馬のコンディションにも気を配らなくてはいけない。山口は試合前に過去に馬がどんな状態になっていたかということを聞いて回り、考えられる範囲内の対策をする。それでも最後まで試合に慣れることはなく、馬に対応し切れない場面もあった。

 実は、低学年のころに山口の同期が数人退部した後、山口自身も続けるべきか悩んだ時期があったという。馬術をやめるという選択肢を前にした山口を踏みとどまらせたのは、自身の可能性への信頼と馬への愛情だった。最終的に同期は自身も含めて4人になり、部の役職などにおいて一人当たりの負担が大きくなることは避けられなかった。それでも「少ないなりに一致団結してやれば、4人が集まった以上の、プラスアルファの力になるのかなって思っていた。4人でよかったと思います」と語る。もめ事が起きることもあったが、同じ目標を持つ4人が理解し合うことは困難ではなかった。

 四年間でうれしいと感じたことをたずねると、「いっぱいありますよ(笑)」と返ってきた。自身が上達した時、部員が活躍した時、担当していた馬の健康状態がよくなった時、できなかったことが馬と一緒にできるようになった時、チームの成績が達成された時・・・。もう馬術部の部室を訪れることはほとんどないというが、「将来は未定でも、馬術に何かしらのかたちでかかわることは確定なので」とつぶやいた横顔が晴れやかだった。最後には後輩に「毎年トップが変わり部も変化する中で、先輩たちが残してきたいい文化を残しながらも悪いところを改善していって、いい雰囲気と結果を両立してほしい」とエールを送った山口。今、東伏見の馬場で過ごした四年間を背にして、新たな挑戦へ歩みを進める。

(記事 日野遙、写真 宇根加菜葉)