東京のオフィス街のど真ん中、六本木一丁目がホームグラウンドになった。IT企業のビジネスマン。これまで着慣れたユニフ…
東京のオフィス街のど真ん中、六本木一丁目がホームグラウンドになった。IT企業のビジネスマン。これまで着慣れたユニフォームからスーツとネクタイ姿になり、履き慣れたスパイクは革靴となった。
起床は6時半。実家の埼玉から1時間かけて通勤する。朝食は途中のコンビニで調達し、オフィスには8時過ぎに着く。始業の10時までは自身の勉強と仕事の準備にあてられる。野球で言うなら、ウォーミングアップである。
「今はそういうサイクルを無理やりつくっています。IT企業に入ったのに、パソコンにまだ不慣れで……話を聞きながら打てず、ノートにメモを取っているのは自分だけです。仕事が遅いので与えられたものが定時(19時)までに終わらないので毎日残業です」

尊敬する塾高野球部の先輩でもある福山氏が勤めるIT企業に就職した谷田成吾(写真右)
慶応大の中軸を打っていた時からまだ3年とはいえ、すでに隔世の感がある。慶応大の先輩で巨人の監督を務めた高橋由伸になぞられ”由伸2世”と呼ばれたこともある。かつてプロ野球界が注目した打者・谷田成吾(25歳)がビジネスマンとして第一歩を踏み出した。
子どもの頃から、野球界の中心を歩いてきた。リトルリーグで世界大会準優勝、シニアの3年間で6回の全国大会出場。慶応高時代は甲子園出場こそないが、高校日本代表メンバーに選ばれ、AAAアジア選手権の優勝メンバーとなった。慶応大では1年春から左の強打者として活躍し、4年間で15本のホームランを放った。
長打力はもちろん、”由伸2世”というスター性も備え、2015年のドラフトでは上位指名候補に挙げられていた。だが、どこからも声がかからず、まさかの”指名漏れ”となった。
「バッティングについては、飛ばすことは評価されていたと思いますが、それ以外のものは足りないものばかりでした。好調と不調の時の差がありすぎて……確率が悪く、三振も多かった。足も遅くはないのですが、それでメシが食えるほど速いわけではない。指名がなかったのは当然かなと」
そして谷田の指名を難しくしたのが外野守備だった。もともとうまい方ではなかったが、驚いたのは捕球イップスになっていたことだ。
「4年春にゴロを捕り損ね、サヨナラエラーをしてしまった。それが原因でゴロイップスになってしまって。捕球する時に全身が固まるようになって、ごまかしながらやっていたんですが……」
その年の夏、大学日本代表と高校日本代表との強化試合が甲子園で行なわれた。当時、仙台育英の強打者だった平沢大河(現・ロッテ)の打球を弾いてスリーベースにしてしまう。
「しかもテレビで中継されていて、致命的な印象になったと思います」
イップスのことは誰にも話さなかった。
ドラフト当日は、寮で野球部の仲間たちとテレビを見ていた。同期の山本泰寛(現・巨人)、横尾俊建(現・日本ハム)が指名されるなか、谷田の名前は呼ばれなかった。
「終わってから『飲みに行こう』と同期が誘ってくれました。(寮のある)日吉で12時過ぎまで10人ほどで飲んでいたのですが、いろいろ話しているうちに吹っ切れました。社会人からプロを目指そうと切り替えられました」
谷田が仲間と飲んでいる最中に、JX-ENEOSの監督から慶応大の大久保秀昭監督に勧誘の電話があったという。
「緻密というか、勝つために必要なことを徹底する。エネオスなら自分にないものが手に入るんじゃないかと思って決めました」
社会人野球の2年間、できることはやった。基本的な練習を繰り返し、イップスも克服した。しかし2年目のシーズンでレギュラーに定着できず、都市対抗出場も逃し、納得できるものは何ひとつ残せなかった。
「確実性がなく、球数を投げさせるとか、打てなくても仕事のできる選手ではありませんでした。一発勝負では使いづらい。いい選手が入ってくるので、替えはいくらでもいるんです」
すでに隠れた逸材ではない。調査書が届くなど期待している半面、厳しいなと認識していたという。結局、ここでもプロ入りを逃すことになった。
来年こそ「ラストチャンス」と決意を新たにするが、ちょうどその時、アメリカ在住の大学の後輩から連絡があった。
「『動画を見せればアメリカの球団は興味を示すよ。可能性があるならメジャー挑戦もありじゃないか』と。その後輩がワールドチャンピオンになったレッドソックスの元コーチの方とつながっていて」
区切りをつけるため、エネオスは退社した。アメリカからの返事があったのは2018年1月だった。フィリーズ、ナショナルズ、タイガースの3つのキャンプに参加して、ほかにもスカウトが見に来るといったテストを6球団受けた。
アメリカ滞在中、懸案となったのが経費だ。最初は1球団の予定だったが、最終的に現地で見たいという球団が増えて滞在期間が延びた。
「受けないで帰るのはもったいない。そこでクラウドファンディングというのを後輩に提案してもらいました。知識もないし、自分の夢を追いかけるのにほかの人からお金をもらうのはどうかなと、最初はイヤでした。100万円にならなくてももらえる設定にしていたんですが、2週間で240万円が集まりました。想定の倍以上の額で驚きました。力になってくれた人には感謝しかありません。それで2カ月間、滞在できました」
結局、朗報は届かなかった。谷田自身、「すべて実力不足」を痛感したという。
その後、選択を迫られる。プロという夢をかなえるのは、アメリカか日本か……。アメリカで何かを得て帰りたいという思いもあるし、日本の独立リーグから指名を目指す方法もある。熟考した結果、アメリカのスカウトの助言やビザの関係もあり、日本の方が確率は高いんじゃないかという結論にいたった。
5月から独立リーグの四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに入団した。だが、すでに25歳。野手の指名はほとんどない。
「独立リーグならではの大変なことはありますが、それを踏まえて結果を残せると決意して入った。やりたいようにやらせてもらって、チャンスも与えられていた。結果が出ないのは自分の責任」
徳島では鍋やフライパンを買って、食事は自炊した。料理は新しい能力になったと笑う。給料は月10万円。そこから税金などを引かれると、ほぼ収入はなし。なんとか貯金を切り崩し、食いつなげた。そして最後のドラフトを待った。
「指名の手応えはなかったですね。リーグでは上位にいたんですが、ずば抜けたものがないと評価されないので。それでも確率は低いかもしれないですけど、どこかあるだろうと、あきらめてはいませんでした」
2018年10月25日、ドラフト当日。無情にも谷田の名前が呼ばれることはなかった。退路は断っている。現役引退となった。11月7日に徳島を引き上げ、就職活動が始まった。これまで野球一筋の人生を送ってきた谷田にとって、まったく踏み入れたことのないグラウンドだった。
「なんとなくこういう業界に行きたいというのはありましたが、そこにトライするのはどういう手順があるのかという情報すら持っていませんでした」
知人から「うちの会社に来ないか」と20社ぐらいから話が届いた。広告代理店、メーカー、保険など。しかも一流企業がほとんどで、あらためて”慶応ブランド”のすごさを感じたという。しかし、自分で判断する術がない。片っ端から人に会って、話を聞くことにした。
そんななか、運命の日は突然やってきた。11月14日のことだった。その日は家族ぐるみで付き合いのある高校の野球部の先輩に、お疲れ様会を赤坂で開いてもらった。その席で「塾高(慶応義塾高校)の同期に福山というヤツがいて、仕事熱心だから話を聞いてもらったら」と勧められた。
その帰り道のことだ。話に出た福山敦士が前から歩いてくるではないか。劇的な出会いとはこういうことを言うのだろう。ふたりの先輩に笑顔がはじけた。
「谷田におまえの話をしていたんだよ。人生相談に乗ってもらえって」
谷田が振り返る。
「最初のひと言で決まりましたね。僕は社会に出る自信がなくて、何をどうすればいいか見当もつかない状況。そこで福山さんが『何を悩んでるの。社会人は1年目でも人間としては25年目でしょ。何年も野球をやってきたんだから、仕事もすぐに活躍できるよ』と断言されて……そういう考え方もあるんだと、ポジティブな思考にパッと変わったんです」
福山の記憶も鮮明だ。
「23時ぐらいでした。あのタイミングで通らなかったらどうなっていたか。谷田が指名されなかったことは知っていました。塾高野球部の後輩なので、気になっていました。インターネットを使ってのビジネスをしたいというので、ならばうちの会社でやればと……」
谷田が漠然と描いていたビジネスはこうだ。これまで野球に支えられ、育てられた。野球、スポーツでなにか還元できないか。ネットを使って、それぞれの個性が発揮できる社会をつくりたい。
福山に構想をぶつけてみた。大方の人は「いい案だね」「応援するよ」というものだったが、福山は「ビジネスにするにはこういうところが大変」とか、「こういうところはいい」と具体的にアドバイスをくれた。
「福山さんみたいな人間になりたい。なりたいと思える人に出会えた以上、近くにいたい。あの夜会っていなかったら、ほかの仕事をしていたと思います」
2019年1月1日付けで福山のいる「ショーケース・ティービー」への就職が決まった。
福山は、高い目標を掲げて手段を選ばすに挑戦した谷田の姿勢を高く評価している。アメリカに行ってメジャーに挑戦したかと思えば、徳島という縁もゆかりもない土地で真摯に野球に打ち込んだ。「こういう人間はどこに行っても活躍するんだろうな」と福山は感じたという。また、こんな魅力もあるという。
「関係者に聞くと、彼は負けていたらチームバッティングができる。一方で、同期の横尾くんは負けていたらホームランを狙うそうなんです。プロ野球で大成するなら横尾くんかなと思うのですが、ビジネスの世界では谷田くんのような考え方が大事なんです。チームプレーができる。そしてその素直な性格は、中長期で大器晩成を感じる。塾高の教えが根本にある。野球部の後輩は抜群にひいきしています(笑)」
ショーケース・ティービーはひと言でいうと、ウェブマーケティングの会社だ。昨今は、あらゆるサイトで名前やアドレスを入力するが多い。この時、使いやすい入力フォームを商品として持っている。
谷田は、それを各企業に買ってもらい、有効に機能しているか、会員をどうやって増やせるかというコンサルティングをする中核の部署にいる。
「仕事の1割もわかっていませんが、マーケティングは野球みたいなものです。いかに打率を上げるか考えたらきりがないのと同じで、マーケティングは奥が深い。今は、こういうのがいいなと思いついたら提案する。まだ先輩についていくだけです。ひとりで営業に出られるようになるのが当面の目標です」
将来は野球の技術の普及に関わってみたい。アマチュア、それも小さな子どもたちにネットを使って伝えられる方法はないか……それが夢だ。
「最初から『独立していいよ』って採用してくれる人はいないと思うんですが、実力をつけてステップアップしていけたら」
福山も背中を押す。
「上場企業ですが、彼が誘われた企業より知名度はありません。これをあえてチャンスととらえてほしい。『大企業の谷田です』ではなく、『谷田成吾です』と自分の名前で生きていってもらえたら。プロ野球ではなくて、ビジネスのプロとして名を上げてくれたらいいなと思っています。目標も1億円プレーヤーになると書いてくれた。1億円は、事業を自分でつくって当てることですよね。相当レベルは高いですが、目標は掲げないとダメなのは野球と一緒なので」
今回取材をして、谷田は話がうまい人だと思った。理路整然としていたのはもちろん、単に話術というだけでなく、人と接するうえで大切な気配りが備わっていると感じた。谷田自身、自分の性格をどのように分析しているのか。
「穏やかな方ですが、弱っちいなと(笑)。ビビるタイプなんで。自信を持たないといけないですね」
そう言う谷田だが、芯はあるし、素直さも大きな武器だ。
スーツは2着しか持っていなかった。「スーツは戦闘服」と福山に教えられた谷田は、いま新しいものをオーダーしている。