深紅のジャージー「神鋼」が復活の狼煙を上げた――。 2018年12月15日、今年のトップリーグ王者を決める総合順位決定トーナメントの決勝戦が東京・秩父宮ラグビー場で行なわれた。サントリーサンゴリアスの3連覇を阻止したのは、1980年代…

 深紅のジャージー「神鋼」が復活の狼煙を上げた――。

 2018年12月15日、今年のトップリーグ王者を決める総合順位決定トーナメントの決勝戦が東京・秩父宮ラグビー場で行なわれた。サントリーサンゴリアスの3連覇を阻止したのは、1980年代から1990年代にかけて黄金時代を築いた名門・神戸製鋼コベルコスティーラーズ。昨年の王者サントリーから計8トライを挙げるなど55−5で圧倒し、15シーズンぶり2度目の優勝を飾った。



涙を流しながらも満面の笑みで優勝を喜ぶ山中亮平

 また今大会は、昨シーズンから大学生の出場がなくなった56回目の日本選手権も兼ねている。それにより、神戸製鋼は18シーズンぶり10度目の優勝で日本選手権の最多優勝記録を更新した。

 ノーサイド後の円陣――。神戸製鋼フィフティーンがチームソング『WE ARE,WE ARE STEELERS!!!』を合唱するなか、人目をはばからず涙を流していた男がいた。神戸製鋼の「15番」を背負い、日本代表でもFB(フルバック)を務める30歳の山中亮平である。

 2週間前、山中は試合で相手選手と衝突し、左ほおを骨折。決勝戦はドクターストップがかかっていた。だが、山中はフェイスガードをつけて強行出場。ボールを持ったら仕掛ける強気のプレーを見せ、2トライを挙げて優勝に貢献した。

 東海大仰星(現・東海大大阪仰星)高時代に「花園」全国高校ラグビー大会に優勝し、早稲田大学時代も大学選手権を2度制した山中だが、社会人としては初のタイトル奪取。「最高という言葉に尽きます。春からやってきたことを全部出せたと思います!」と声を弾ませた。

「この優勝を誰に伝えたい?」

 試合後、まだ目の奥をうっすらと赤くしていた山中に聞くと、「やっぱり、平尾さんですね。優勝したと伝えたい」としみじみと答えた。平尾さんとはもちろん、2016年10月に胆管細胞がんによって53歳の若さで他界した平尾誠二さんのことだ。

 この日も「ひとりでいては寂しいだろう」と、神戸市・御影のクラブハウスにあった遺影はスタッフによって運ばれ、神戸製鋼のベンチからグラウンドの選手を見守った。そして表彰式でも、共同キャプテンの前川鐘平らが遺影を持って一緒に参加した。

「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾さんの晩年の夢は、「神戸製鋼の優勝と、2019年ラグビーワールドカップの成功」。そのひとつが叶った瞬間だった。

 山中にとって、平尾さんは大の恩人だった。

 平尾さんはかつて、自分と同じSO(スタンドオフ)で身長188cmとサイズもあり、スキルに長けていた山中を熱心に神戸製鋼に勧誘した。また入団後も、山中に突然訪れた「空白の2年間」のときも、ずっと側で支え続けた。

 山中は大学4年時に日本代表初キャップを獲得するなど、将来を嘱望された逸材だった。何もなければ2011年、そして2015年のワールドカップに出場していた可能性も十分にあった……。

 だが、神戸製鋼に進んだ2011年4月、ワールドカップを控えた日本代表合宿に参加していたときのこと。山中に対してのドーピング検査において、ひげを伸ばすために使用した育毛剤が原因で陽性反応となる。山中は「若かったですね」と振り返るが、ラグビーの国際統括組織IRB(現・ワールドラグビー)から2年間の資格停止処分が下され、神戸製鋼ラグビー部をいったん退部することとなる。

 資格停止処分の期間、ジムで身体を鍛えることは問題ないが、練習も含めてラグビーをプレーすることは一切禁止。ボールに触れることもなく、スパイクを履くこともほとんどなかったという。自宅謹慎の後、山中は社員として神戸製鋼の総務部で2年間、働きながら処分解除を待った。

 そのとき、毎週のように山中をランチに誘ってくれたのが、当時神戸製鋼のゼネラルマネージャー兼総監督を務めていた平尾さんだ。「いつも気にかけてくれて、平尾さんのおごりでいろんなところにお昼を食べにいきました。『我慢していたら復帰できる』といつも声をかけてくれました」。平尾さんの言葉と妻の支えによって、山中は2年間、精神的にクサることなく耐え続けた。

 2013年5月、山中は「ラグビーのことだけを考えたいし、チームに貢献したい」と、ふたたび神戸製鋼にプロ選手として復帰する。「社員として仕事をし、いろんな人に支えられていて恩返しをしないといけないという思いがあったので、気持ちは折れませんでした。メンタルも強くなりました。僕だけしか経験できなかったことをラグビーの部分でもプラスにもっていきたい」。

 2年遅れで神戸製鋼ラグビー部のキャリアを歩み始めた山中に対し、平尾さんは復帰後もサポートし続け、晩年は病床からも気にかけていたという。「平尾さんはずっと、『がんばれよ!』と期待してくれていました。平尾さんはトップリーグの優勝を目標にしていたので、それが今日の試合で叶ってうれしいです!」。

 今年の秋、山中は1年ぶりに日本代表復帰を果たした。トップリーグを無敗で走る神戸製鋼で今年からFBを務めていたことが、ラグビー日本代表の指揮官ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)の目に止まったのだ。「DCや外国人選手のおかげかもしれません」。DCとは、今年、神戸製鋼に新加入した元ニュージーランド代表SOダン・カーターのことだ。

 山中は長らく、平尾さんと同じ10番や12番としてプレーしてきたが、3度の世界最優秀選手賞に輝いているカーターの加入によってFBを務めることになった。だが、「DCには敵わないですし、彼が10番をつけるならしょうがない。今はFBとして伸び伸びとやれているので楽しい」と、新しいポジションに前向きな姿勢を見せている。

 11月3日に行なわれた日本代表対ニュージーランド代表戦では、15番をつけて先発。しかし、オールブラックス相手に消極的なプレーに終始した。その結果、イングランド代表とロシア代表戦ではメンバー外となってしまった。

「オールブラックス戦は思いっきりプレーして、もっと強くいけばよかった。ただ(ジョセフHCも)トップリーグの決勝でがんばったのを見てくれたはず。この試合みたいなプレーをすれば、今後もチャンスはある。足らなかったことを成長させて、来年はワールドカップ出場を目標にやっていきたい」

 山中は、日本代表の中軸であるキャプテンFL(フランカー)リーチ マイケルやSO田村優と同学年にあたる。2011年ワールドカップは出場停止期間中で出場は叶わず、2015年ワールドカップは大会直前まで合宿に参加していたものの最終31名に残れず、13人のバックアップメンバーのひとりとなってしまった。

 2019年ワールドカップは、山中にとって三度目の正直、三度目のチャレンジとなる。30歳という年齢を考えると、ラストチャンスとなろう。今度こそ同期たちと一緒に桜のジャージーを着て、ワールドカップの舞台に立てるか。そして、平尾さんのもうひとつの夢を叶え、最大の恩返しができるだろうか。