「時は来た!ドラフト指名を待つ男たち」

吉田輝星(よしだ・こうせい)金足農
投手 右投右打
176センチ 81キロ
2001年1月12日生まれ
【写真提供=共同通信社】

 

 「輝く星」。こんなぴったりの名前が100回目の夏に出現すると預言した人はいなかっただろう。

 プロ志望宣言の記者会見を10月10日に行った。去年、早実の清宮(日本ハム)が行ったが、こういうあらたまった会見は異例なのだ。それだけ、注目されている存在にひと夏を終えてなっていた。輝いたということだ。

吉田は今夏、作新学院戦のゲーム前取材、そこそこの人数の記者に囲まれ、はにかみながら笑って答えていた。「ストレートの3段階のギアチェンジ」のことや「調子のバロメーターはリリースの瞬間に鳴る音」とか饒舌だった。
 それが大会が深まるにつれ、記者の人数が増え、「今日は何時に起きた」とか「農業高校なのに、カエルが苦手?」なんて言うことを聞かれて、にやけているが、どうも目は笑っていなかったようにも見えた。

 U18アジア選手権の最終日、自身が打たれて負け投手になり責任を背負うことになった大会を振り返って、記者の絶対数は減ったが、声のトーンはしぼんだ。周囲の環境変化の激変に戸惑っただろう。感情の起伏も見て取れた。
マウンドで空振り三振に取ると、どうだ、という顔を見せたり、送りバントのゴロを駆け下りてセカンドで封殺すると人差し指を立てて「してやったり」ポーズを取った。気持ちが表に出るタイプで今どきの球児だった。

 チームは昔っぽかった。バントやスクイズが当たり前で、9人野球でメンバー交代なしとか、冬場は雪の上で3時間の雪上トレーニング。スタミナ不足に気づき、2年の冬は「走りすぎじゃないの」と言うくらいに吉田は走ったそうだ。

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 3回戦の横浜戦後、股関節を痛めていて、中泉監督は「野球人生終わりじゃない。これからのことも考えろ」と言ったという。だが、マッサージなどで回復もしただろうが近江戦に先発し完投した。今後の野球人生を忘れるほどの気合。やってきた野球は平成最後の年に、昭和の香りがした。

 前置きが長くなったが、吉田のボールはえげつない。球筋は江川卓(元巨人)や藤川球児(阪神)のようにバッターから見ると浮き上がってくる。バックスピンが多いので浮力がかかって落ちない。それは手首が垂直に立って放たれるから、というテクニカルな部分もいくつか重なった特異なボールなのだ。これほどの高回転のボールは近年、お目にかかっていない。
 加えて、多彩な変化球、バリエーションをつけた牽制球やフィールディングを体得している。こちらは桑田真澄(元巨人)級だという。センスの塊だと。

 金足農は1984年、初出場で準決勝に進出、PL学園を追い詰めた。2対1とリードしていたが8回裏に2年生だった桑田に逆転ホームランを打たれるのである。打った本人が今年の準決勝、始球式でマウンドに登った。そんな因果が、巡ってくるなんて。吉田は「桑田さんに見入ってしまいました」。

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 決勝戦の5回まで、6試合で50イニングを投げて62三振(歴代6位)を奪って、力尽きた。秋田大会は43回で57奪三振。甲子園で出した最速は150キロで、国体では152キロまで伸びた。秋田県潟上市出身。中学では軟式の部活を終えてから秋田北シニアにも所属した。高校の1年秋から主戦。2年夏は県の決勝で明桜に負けていて、今年は決勝で明桜に雪辱した。

 「1回戦か2回戦の序盤に大阪桐蔭と当たっていたら」。そんな声が聞かれた。歴史が変わっていたかもしれない。プロで新たな歴史を作ればいい。

(文・清水岳志)

TBSテレビ「プロ野球ドラフト会議」の番組公式サイト
http://www.tbs.co.jp/baseball-draft/