谷繁元信が見た甲子園・前編 大阪桐蔭の春夏連覇で幕を閉じた第100回の夏の甲子園。「レジェンド始球式」でマウンドに上がった谷繁元信は、島根県の江の川高校(現・石見智翠館高校)時代に甲子園に2度出場している。 1988年にプロ入りしてから…

谷繁元信が見た甲子園・前編

 大阪桐蔭の春夏連覇で幕を閉じた第100回の夏の甲子園。「レジェンド始球式」でマウンドに上がった谷繁元信は、島根県の江の川高校(現・石見智翠館高校)時代に甲子園に2度出場している。

 1988年にプロ入りしてから引退までの27年間、ゴールデングラブ賞を6回獲得し、幾多の好投手のボールを受け続けた名捕手は、100回大会で活躍したエースたちをどう見たのか。




今後の進路が注目される金足農業の吉田輝星

――第100回大会の甲子園では、優勝した大阪桐蔭に柿木蓮、根尾昴(あきら)、準優勝の金足農業には吉田輝星(こうせい)という好投手が活躍しました。そのほか、浦和学院の渡辺勇太朗、木更津総合の野尻幸輝(こうき)、星稜の奥川恭伸(おくがわ・やすのぶ)などもいましたが、とくに谷繁さんの印象に残ったのは?

谷繁 やっぱり吉田でしょう。彼を初めて見たとき、下半身をものすごく上手に使えるピッチャーが久々に出てきたなと思いました。速いストレートとちょっと遅いストレートを投げ分けられるのが特長のひとつですが、それは下半身が強いからできることです。

――高校生でなかなかできることではないですよね。

谷繁 小手先でスピードを変えようとするピッチャーが多いんですが、吉田は体全体を使って速い球を投げるし、同じ投げ方で緩いボールを放ることができる。足の上げ方、下半身の使い方は常に同じで、腕の振りだけで球の速さを変えることができます。体全体を使って投げるという印象です。

――試合終盤になっても140キロ後半のストレートを投げて甲子園をどよめかせました。130球、140球を投げた後でも球速が落ちないのはなぜですか?

谷繁 理由は同じで、正しい体の使い方でできているからです。さすがに決勝戦の大阪桐蔭戦は体力的に厳しそうで、疲労困憊でしたね。甲子園だけで800球以上投げたら、ああなるのはしょうがない。150球を全力で投げきれる状態で大阪桐蔭と勝負してほしかったです。

――吉田はスピードボールだけではなく、守備でも魅せましたね。

谷繁 野球のボールを扱うセンスがありますね。体の動かし方もいい。もしプロに進んだとしても、フィールディングで困ることはなさそうです。これからプロの体になって、芯の強さが備わったときには、もっといいピッチャーになる可能性を秘めています。

――甲子園での最速は150キロでしたが、これからもっと速くなりそうですね。

谷繁 彼はきっと、ストライクゾーンで勝負できるピッチャーになると思います。もちろん、今後の環境や練習方法にもよりますが、遠回りせずにいい指導者についてもらいたいです。

――6試合で881を投げた体力もそうですが、マウンドさばきや試合中の表情から、彼の気持ちの強さが伝わってきました。

谷繁 僕は直接彼と話をしたわけではありませんが、さまざまなエピソードを聞く限り、相当メンタルも強そうですね。「今の時代にこんな高校生がいるのか。エースらしいピッチャーがいるな」と思いました。金足農業に入ろうと中学時代の仲間を誘ったんですよね? それで、みんなで甲子園に出て準優勝までしたんですから、「すごい」としか言いようがない。そんな選手、最近の高校生ではいませんよ(笑)。

――昭和の漫画の世界の出来事みたいですよね。

谷繁 本当にそうですよね。「そんな青年がいたんか!」と驚きました。それに、お父さんが彼を一切褒めないというのもいい。厳しさの中で成長してきたんでしょう。反発することもあっただろうけど、こういう父子関係も今の時代では珍しい。

――高校の野球部でも何人ものピッチャーがいる時代に、ひとりでマウンドに上がり続けたところも「昭和」を感じさせました。

谷繁 最近の若いピッチャーは、しんどいことからすぐ逃げる傾向があるように思えます。どこかがちょっと痛いとすぐに交代したり、調子が悪いとマウンドから降りたり。そんななか、彼のピッチャーとしての姿勢は本当にすばらしい。誰もが認める、本当のヒーローですよ。

 高校を卒業してから第2章が始まります。これからは「あの金足農業の吉田」と言われ、みんなから注目されるでしょうが、そのプレッシャーに負けないでほしい。伝説を作ったピッチャーは、一生、そういう目で見られますから。

――吉田以外で目についたピッチャーは?

谷繁 2年生のピッチャーがよかったですね。名前を挙げるとしたら、創志学園の西純矢、横浜の及川雅貴、星稜の奥川恭伸。西は体も大きい(184センチ、79キロ)し、スピードもある(甲子園の最速は149キロ)。吉田と同じように下半身、とくに左ひざがうまく使えている。前の足が突っ張るピッチャーが多くて、下をきちんと使って最後まで腕を振れるピッチャーは少ないですよ。

――それでも、谷繁さんのイチオシは吉田ですか?

谷繁 今年の大会は吉田が目立ちすぎました。とくに大きな課題はありません。あえて言うなら、なるだけ早く体をプロ仕様にすること。「ストレートのスピードを上げる」「キレを出す」「変化球の精度を上げる」といったことを考えて練習していけば、プロでも十分に通用すると思います。似ているピッチャーを挙げるなら、タイプ的には桑田真澄(元巨人)さんでしょうか。もしかしたら、桑田さんよりもスピードが出るかもしれない。

――その吉田は決勝戦の5回にマウンドを降りるまで、881球を投げました。登板過多を心配する声をあがりました。

谷繁 たしかに、高校生にあれだけ投げさせるのはどうかと思います。でも、一生に一回のことですからね。将来のことを考えれば、投球制限のような方法も必要かもしれないけど、”今”を考えれば「投げさせてやりたい」という気持ちもある。なかなか答えが出ない問題ですね。

――谷繁さんがバッテリーを組んだピッチャーには、長く現役を続けた人が多くいます。

谷繁 岩瀬仁紀(中日ドラゴンズ)や山本昌さん(元中日ドラゴンズ)みたいに、40歳を過ぎても投げられるピッチャーは稀です。プロ野球での選手生活は10年を超えれば長いくらい。高校野球で投球回数を制限したら、その選手寿命が何年伸びるのかはわかりません。

 甲子園のような大舞台で、投球制限によって登板機会を奪われたら、そのピッチャーが一生後悔するんじゃないかと思います。プロの立場で言わせてもらうと、肩やヒジを痛めて投げられなくなったら、それまでの野球人生だったということ。やるべき時にやらないと。「精いっぱい頑張って、肩やヒジが壊れたらそれで終わり」でいいんじゃないかとも思います。

 壊す人は壊すし、いくら投げても大丈夫な人もいるんです。何より大事なのは、正しいフォームで投げること。いくら大事に保護しても、60歳まで投げられるわけじゃない。甲子園で投げることなんて二度とないんですから、「投げておけばよかった」と後悔することがないようにしてあげてほしいです。

(取材協力:寺崎江月)

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