青山敏弘インタビュー@後編 32歳になってもコンディションを維持し、高いパフォーマンスでチームを牽引している今シーズンの青山敏弘。そのプレーぶりが評価され、5月には日本代表にも招集された。だが、ひざの調子が芳しくなく、ロシアワールドカッ…

青山敏弘インタビュー@後編

 32歳になってもコンディションを維持し、高いパフォーマンスでチームを牽引している今シーズンの青山敏弘。そのプレーぶりが評価され、5月には日本代表にも招集された。だが、ひざの調子が芳しくなく、ロシアワールドカップ直前でチームを離脱することになった。西野ジャパンの快進撃を、青山はどんな気持ちで見ていたのだろうか――。

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青山敏弘が日本代表への想いについて正直に語ってくれた

―― これまでは3-4-2-1のボランチでしたが、今は4-4-2のセントラルミッドフィルダーを務めています。30歳を超えて、新しいスタイルにチャレンジする充実ぶりが、今シーズンのプレーからは伝わってきます。

青山敏弘(以下:青山) この2年間、苦しかったから、サッカーをやれているだけで幸せな部分があるんですよ。周りはどう思っているかわからないですけど、自分としてはやれる範囲でやっているだけで、欲張らないというか。いいパスを出したいとか、点に絡みたいといった気持ちは全然なくて。やれる以上のことは望まないというか。それがちょうど、チームのやり方にフィットしたのかなって。

―― あえて欲張らずに、自分のやれることをやろう、と心がけている?

青山 心がけているというか、それしかできないなと思って。チャレンジしようとか、チャレンジしたいとかじゃなく、今のままで十分というか。サッカー選手として、ちゃんとサッカーができていて、結果もついてきているんだから、それでいいのかなって。

―― そのご褒美というか、正当な評価として、5月30日のガーナ戦に向けた日本代表に選出されたのは、すごく自信になったんじゃないかと思います。だからこそ、辞退することになった無念さを想像すると……。

青山 でもね、あのときは悔しいというより、正直、外されてホッとした部分もあったんです。それくらいひざがよくなかった。自分でもわかっていたんです、そこは。今年の春くらいから、ずっと痛かったから。

―― 春からすでに、ですか。

青山 ボールを蹴るのも痛かった。だから余計、シンプルにプレーしていたんです。蹴る球種も限られていたし、ボールを思い切り蹴れなかったから。今年はずっとひざとの戦いだったけど、ボールを蹴れない分、動きでチームに貢献しようと思っていて、それがうまくいっていた部分もあった。そうしたら、(5月12日のベガルタ)仙台戦の前くらいに突然、ひざがダメになって。ほんと、急だったので……。

―― ひざの状態というのは、城福浩監督や池田誠剛コーチには……。

青山 もちろん、ずっと伝えていました。一気に悪くなったときも報告しています。それでも、動きでカバーすることができたから。

―― それに、チームも結果が出ていた。

青山 うん。でも、仙台戦、(5月20日の)セレッソ(大阪)戦の2試合は、かなり厳しい状況で。ただ、(5月18日に)代表の発表があるから無理して試合に出たわけじゃなくて、この2試合が終われば中断期間に入るし、その週は半分しか練習に出なかったけど、ぎりぎりやれるな、という判断で出たんです。

 でも、ただ持っただけ。セレッソ戦は結果が出なくて、チームに迷惑を掛けてしまった。そのあと、代表に行ってメディカルチェックを受けて、「手術だね」と言われて。それはそうだろうなって。

―― わかっていたんですね。

青山 もう、朝起きて、普通に歩くだけで痛かったですから。広島では、それまでやってきたことが認められて、試合に出させてもらって、痛いながらもどうすれば貢献できるかわかっていたけど、日本代表ではそういうわけにはいかない。だましだましやる場所じゃない。そこで、ドクターがストップをかけてくれたので。

―― だから、ホッとした部分もあったと。

青山 ひざのことだけに目を向けざるを得なくなったので、この中断期間にしっかり治す、という方に気持ちが向かったんです。

―― 今のひざの状態は?

青山 すごくよくなりました。手術はせず、できる範囲のことをやって、それがうまくいったので、まったく問題ないです。でも、逆に、ちょっと難しいんですよね。

―― というのは?

青山 よくなったから、もっといいプレーをしたいとか、欲が出てくるんですよ。今まではひざが悪いから割り切って、シンプルに、自分ができることだけをやって、いい意味で周りに任せるところは任せて、それがチームとしてうまくいっていたのに、今は自分が狙う部分が出てきてしまって。

―― その欲を抑えるのが大変?

青山 大変です。違う、違うって。今までやってきたことを確認しながら、周りに任せながらやらなきゃいけないって。

―― 代表から離脱した2日後に、サンフレッチェ広島のファン感謝デーに登場して、ファン・サポーターに笑顔を見せたでしょう。メディアにも対応したと聞いて、すごいなと思ったんです。みんな心配していたと思うから、あの笑顔に救われたファン・サポーターは多いと思うけど、一方で、ホッとした気持ちも抱えていたとは……。

青山 代表に合流した日、みんなと一緒にいられたのは食事の時間の30分くらいだけだったんですよ。検査から戻ってきて、練習の準備をしている選手たち、廊下で会った選手たちに「俺、離脱するわ」って伝えて。

 ブラジル(ワールドカップ)で一緒に戦った岡ちゃん(岡崎慎司)にも伝えたんです。岡ちゃんも足首を傷めていたから、「足首、あんまり無理せず、がんばってよ」って言ったら、岡ちゃんが「ここは無理するとこだよ」って、食ってかかるように返してきたんです。その瞬間、ああ、自分はワールドカップに対する考え方が甘かったんだなって。今の自分が来る場所じゃなかったなって。岡ちゃんのひと言で吹っ切れたんです。

―― ワールドカップを戦ううえでの覚悟を、岡崎選手に見せつけられた。

青山 そうですね。日本代表に対して、彼らにはそれだけの想いがあったけど、自分にはなかったんだなって……。

―― ワールドカップでの彼らの戦いを見て、どんなことを感じました?

青山 俺らの代表がよくやってくれた、と思いました。本当に、心から応援したし、勝ったことに心の底から喜んで……。ただ、やっぱり距離があった。一歩引いている自分がいたんですよね。それが何なのか……。今、初めて、その感情と向き合いましたけど、もしかしたら、自分はそこに向かって走るのを、とうの昔にやめてしまっていたのかもしれないなって。

―― 日本代表としてもう一度ワールドカップを戦う、ということを?

青山 うん。日本代表というものと、向き合っていなかったんだと思います。

―― でも、ヨーロッパで戦っている選手たちには、彼らの生き方や美学があって、青山選手には青山選手の生き方や美学があると思います。ふたたびサンフレッチェで走り始めた青山選手にとって、今のモチベーションは? このチームとクラブをさらによくしていくこと? それとも、ふたたび自分自身に目を向けて、もっとうまくなりたい?

青山 僕はもう、間違いなく広島から出ることはないと思うし、そのときは引退するときだと思っているから、自分のことを考えるときは、イコール広島のことを考えるということだし、広島のことを考えるということは、自分のことを考えることだと思うんです。そこは常につながっていて。

―― 一心同体というか。

青山 そう。広島と自分は一緒だと思っているので、それを貫くだけ。自分がもう一度、花咲く瞬間があるとすれば、それは広島の栄光とともにあると思うし、広島の成功なくして、自分の喜びはないと思っているから。

―― プロになって、ずっとそうでしたからね。

青山 その覚悟は今もあります。広島こそが、自分が無理する場所なのかな、と思っているので。だから、ここで、もうひと花、咲かせたいですね。