1981年に夏の甲子園を制し、マウンド上で喜ぶ報徳学園の金村

 8月17日、夏の甲子園100回大会の「レジェンド始球式」に、報徳学園(兵庫)出身の金村義明氏が登場する。バラエティ番組での活躍しか見たことがない世代は、1981年夏の甲子園で日本一投手になった彼の本当のすごさを知らないだろう。

 エースで四番。投打で違いを見せつけた金村氏が、「甲子園のアイドル」との激闘を経て頂点に立つまでの裏側を語りつくす。

槙原寛己の投球を見て下した決断

 1980年夏、早稲田実業(当時、東東京代表)の荒木大輔が甲子園に降臨し、日本中の女子高生の視線をひとり占めしているとき、報徳学園の2年生、金村義明は歯噛みしていた。その夏の兵庫大会決勝で敗れ、甲子園出場を阻まれたからだ。全国デビュー前の金村は、荒木をこう見ていた。

「荒木が1年生で大ヒーローになったからね。僕はあと一歩のところで甲子園を逃したこともあって、悔しい思いで見てました。『すごいアイドルが出てきたな』と。でも、そのときは『いずれこいつを倒してやろう』なんて思わなかった。ブラウン管の向こう側にいるスーパースターを見る感じ。ジェラシーしかなかった。とにかく、甲子園に出たかった」

 エースでクリーンアップを打っていた金村は、1981年春のセンバツで初めて甲子園のマウンドに立った。投げ合ったのは大府(愛知)の槙原寛己。のちに読売ジャイアンツで活躍する大型投手だった。槙原の剛速球が金村に与えた衝撃は相当なものだった。

「試合前に大府の選手たちのところに行って、『槙原、どこや~、かかってこいや!』とカマしたんやけどね(笑)。彼がブルペンで投げてるときからザワザワしてて、試合で1球投げた瞬間にベンチも球場もシーンとなった。あんなボールは初めて見たよ。自分のなかで一番速いピッチャーは槙原。上には上がいて、自分が井の中の蛙だということを思い知らされました」

“人生最大の衝撃”を受けた金村は、そこで大きな決断をする。当時、プロ野球のスカウトから熱い視線を受けていた金村だったが、「ピッチャーは高校まで。そのあとは打者として勝負する」と決めたのだ。

「槙原のストレートを見て、怪物みたいなピッチャーと投げ合いながら『もうピッチャーはやめよう』と思いました。結局、試合では5点も取られて1回戦敗退。OBに『おまえのせいや』と言われて悔しかった」

 その悔しさを晴らすため、金村は最後の夏を前にエースとしてのプライドを捨て、「とことん勝利にこだわろう」と意識を変える。ストレートのスピード表示など、どうでもよくなった。

「甲子園に5回出るつもりで報徳学園に入ったのに、なかなか出られず、せっかく出場したセンバツで汚名をかぶってしまった。3年の夏が最後のチャンスなんで、燃えていましたよ。もうプロ野球のスカウトの評価がどうなってもよかった。今でいうカットボールも投げたし、わしづかみにしてチェンジアップみたいなボールも投げた。できることは何でもやりましたね」

人気者に対してジェラシーの塊

 報徳学園ほどの強豪になれば、兵庫大会の1、2回戦あたりはエースを温存して控え投手で臨むことが多い。夏の大会は体力勝負になるからだ。金村も、はじめは外野手としての出場を打診されたが、それを断って予選の最初から最後までひとりで投げ切って甲子園出場を決めた。

「もし、別のピッチャーが投げて負けたら、そいつに何をしてしまうかわからんかったから。『1回負けたら終わりなんで、僕が投げます』と言って、7試合を投げました」

「ピッチャーで四番」が珍しくなかった時代だが、金村の実力は飛び抜けていた。夏の甲子園1回戦の盛岡工業(岩手)戦では、投げては5安打完封、打っては4打数2安打1打点。2回戦の横浜戦(神奈川)では3安打しか許さず、自分のバットで2本のホームランを放った。

 まるで、野球漫画の主人公のような活躍だった。

 3回戦の相手は、前年準優勝の早稲田実業だった。当然、マウンドには荒木がいた。

「人気者だった荒木に対して、『年下のピッチャーに負けるわけにはいかない。絶対に勝ってやる』と思ってました」
 
 地元・兵庫の報徳学園と優勝候補の早実の対戦には、5万5000人の観衆が甲子園に詰めかけた。試合は両エースの投げ合いで進む。金村は絶妙なピッチングで早実打線を6回までわずか1安打に抑えたが、対する報徳学園もヒットは2本だけ。勝負は終盤にもつれ込んだ。

 初めに主導権を握ったのは早実だった。7回表、3連打にバントを絡めて3点をリード。その裏、報徳学園が金村のライト前ヒットでチャンスをつくったが、後続が荒木の丁寧な投球でかわされてしまった。8回の表裏に両チームが1点ずつ入れ、4-1で最終回を迎えることになった。

 9回表の早実の攻撃を3人で終わらせた金村は、マウンドで荒木を待っていた。その裏の攻撃は四番打者の金村から。もしかすると高校時代の最後の打席になるかもしれない。

「荒木がマウンドまでくるのを待って『最後の打席、勝負せえよ!』と言ってボールを投げて渡しました」

 祈るような気持ちを込めたボールを受けた荒木が、黙ってうなずいたように金村には見えた。

 9回裏、報徳学園の攻撃。金村がフルスイングした打球はセンター方向に飛んだが、名手のセカンド・小沢章一がそれを捕って一塁に送球――際どいタイミングになったものの判定はセーフだった。

「完全にセンターに抜けたと思ったら小沢が捕って、間一髪でしたよ。荒木は今でも『あれはアウト』って言うけどね。そのたびに『審判の判定は絶対やぞ』と返してます(笑)」

 荒木は五番打者にデッドボールを与えてノーアウト一、二塁。その後に2本の二塁打が出て同点に追いついた。

「最終回を迎えた時点では、『もう負けた』と思ってましたよ。でも、あそこから追いつくのが報徳学園の伝統の力でしょうね。それしかない。ろくにヒットを打ったことがなかった選手があの場面で打つんやもん。オレのワンマンチームだったけど、『野球はひとりではできない』と勉強させられた試合だった。それまではチームメイトを全然信用してなかったから」

 4-4の同点になって、勝負は10回へ。荒木にとっては、甲子園で経験する最初で最後の延長戦だった。金村は10回表の攻撃を3人で抑え、マウンドでまた荒木を待った。

「オレはまた『勝負やぞ!』と言いました。その言葉の意味は、『ストレート投げてこいよ』でした。そう言えば、『男としてストレートを投げてくれやろう』と考えて、インコースのボールを待ちました」

 前の打席では最後にホームランを打ちたいという欲があったが、この打席ではただ「勝ちたい」としか考えていなかった。

「インコースにナチュラルにシュートするストレートがくると信じて、体を開きながら思い切り引っ張りました。それがレフト線の二塁打になった。荒木はもうフラフラやったけど、変わらず淡々と投げていましたね。メンタルが強かった」

 ツーアウト、二塁。セカンドベース上にいる金村がホームを踏めばサヨナラだ。

「完全に負けてた試合を奇跡的に追いついたから、もう負けるはずがないと思ってました」

 五番・西原清昭の打球はレフトの頭を超えた。二塁ランナーの金村は大きなガッツポーズをしながらホームベースを駆け抜けた。

「そのときの気持ちはうれしいのひと言。あのときのガッツポーズ見てもらったら、それがどれほど大きかったかがわかるやろう。”天にも昇る”っていうのはああいう気持ちやろうね」

顔で負けても野球では負けない

 それまで金村のなかにあった荒木に対するジェラシーは、勝利の瞬間にきれいになくなった。

「あれだけ騒がれて、女の子にもキャーキャー言われて、オレはジェラシーの塊だったよ。でも、試合に勝ったらどこかに行ったね。だって、荒木ほどの人気者はもう甲子園にはいないんだから。それと同時に、『あの荒木に勝った。早実をやっつけた』という自信のようなものも湧いてきた。振り返ってみれば、早実との試合が事実上の決勝戦だったと思う。

 あのころ、はっきり覚えてはないけど、『荒木に顔で負けても野球では負けない』と言うてたらしいね。オレは関西人やから『荒木くんについてどうですか?』と記者に聞かれたら、そんなふうに答えるやろね。100パーセント間違いない。『オレのほうが上やで』と言いたかったんやろう」

 劇的なサヨナラ勝ちで早実を破った報徳学園は、準々決勝で今治西(愛媛)を3-1で下し、準決勝で大会ナンバー1サウスポーの工藤公康(現福岡ソフトバンクホークス監督)のいる名古屋電気(現愛工大名電)を3-1で退けた。そして決勝では、京都商業(京都)に2-0と3安打完封勝ちを収め、全国制覇を成し遂げた。

 決勝戦で最後のバッターを三振で打ち取った瞬間、金村は両手を上げてマウンドで飛び上がった。

「前年の甲子園優勝校の横浜と、準優勝校の早実に勝ったわけやから、その後はどこにも負けるはずがないと思っていた。もし負けたら、荒木たちに申し訳ないという気持ちもあった。もう怖いものは何もなかったね」

 兵庫大会から甲子園決勝まで全イニングを投げ切った金村に疲労がなかったはずはない。

「兵庫の予選も甲子園6試合も全部ひとりで投げ切ってヘトヘトやった。でも、最後のバッターから三振を取った瞬間、飛び上がってね。もう力なんか残ってなかったはずなのに。

 それまでは勝つために変化球ばかり投げて抑えてきたけど、最後の最後だけはストレートで勝負したかった。京都商業の最後のバッターが出てきたとき、これでピッチャーとしては終わりやと思ったからね。アウトコースの低めにストレートを投げて、見逃し三振。そこで気持ちが爆発して、あのジャンプになった。最後はピッチャーとしての意地やね。『すべて終わった!』と思ったよ」

 エースで四番としてチームをけん引し、甲子園で日本一になる。そんな野球少年の夢が現実になった瞬間だった。

 軟式野球出身の金村にとって、リトルリーグ世界一の実績を持つ荒木はエリートの象徴だった。だからこそ、自らの手で倒す必要があったのだ。

「荒木はリトルリーグで世界一になった男で、あの王貞治さんの母校である早実のエースで、1年生の夏に準優勝して、関西の女の子にキャーキャー言われとる。実際に甲子園に出てみたら、早実の選手だけ特別扱い。となれば、こっちはジェラシーの塊になるしかない。『絶対に負けたくない』ってなったよね」

 ジェラシーを力に変えて、金村は日本一まで上り詰めたのだ。