23日間かけて真夏のフランスを1周する世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスが7月29日に終幕。第105回大…
23日間かけて真夏のフランスを1周する世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスが7月29日に終幕。第105回大会は、誰もが予想しなかった結末になった。イギリスのチーム・スカイでこれまでアシスト選手として走っていたゲラント・トーマス(ウェールズ)が初めて総合優勝を果たしたのだ。

ゲラント・トーマス(左)の総合優勝を祝福するクリス・フルーム(右)
チームには4年連続5度目の総合優勝を目指すクリス・フルーム(イギリス)がいた。ツール・ド・フランスの最多優勝は5回で、これまでに自転車競技界の伝説的選手ばかり4人(ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、ミゲル・インデュライン)が仲良く5勝で並んでいた。
あと1勝すれば、このスポーツの伝説になれる――。フルームは5月に開催された同じ規模のレース、ジロ・デ・イタリアでも終盤に逆転して総合優勝している。ファンの関心はそこに集中していた。
ところが、フルームは第1ステージの残り5km地点で発生した落車に巻き込まれ、いきなり51秒の遅れを取る。さすがにゴール間近とあって大集団がスピードアップしていて、トーマスはフルームのところにとどまることなく、その場の流れで先着する。
今回のチーム・スカイの戦略はこうだ。フルームが絶対的なエースであることはまぎれもない。残り7選手がアシスト役。ただし、トーマスはサブエースとしてある程度、自分の総合成績のために走ることを許された。
トーマスは他チームならエースクラスの実力を持つ選手だ。実際に2017年のツール・ド・フランスでは初日の個人タイムトライアルでトップタイムを出し、4日間にわたって首位選手が着用する黄色いリーダージャージ「マイヨ・ジョーヌ」を手中にしている。そして大会5日目に、チーム内でフルームにそれを譲り渡すという作戦で成功を収めた。
序盤から常に上位でゴールする安定感を見せるトーマスに対して、フルームはいささか運がなかった。他選手の落車で停滞したり、機材故障でわずかに遅れたり。大会前半の9日間が終了した段階で、フルームは1分42秒遅れの総合8位。アシスト役のトーマスは43秒遅れの総合2位にいて、フルームの立場を危ういものとする。
ただし、チームとしては戦略に幅ができて有利ともなり、わざわざトーマスを遅らせることはあり得ない。フルームがトラブルなどでこれ以上遅れた場合には、エースをトーマスに変更するのも戦術だ。
戦いは中盤の勝負どころ、アルプスへ――。第11ステージの山岳でトーマスはこれまでのようにフルームを献身的にアシストしながら、残り500mで自らのステージ優勝のためにアタックした。2位以下をわずかに引き離して見事にステージ優勝を果たし、それまでの首位選手が遅れたこともあって総合1位に躍り出る。フルームも総合2位に浮上したが、トーマスとの差は1分25秒まで開いた。
「僕の人生のなかで、まさに最高の1日になった」と、ゴール後にトーマスは語る。
「あと数日はマイヨ・ジョーヌを着ていたい。フルームは3大大会を計6度も制している選手だから、僕とは経験値が違う。だから、フルームを勝たせるために僕が走り続けることに変わりはない」
優勝者インタビューでも、トーマスは自らをアシスト役だと公言した。だが、フルームの調子によってはチーム内でのエース交替もあり得るだけに、今後の役割分担は微妙になっていく。
さらにその翌日、トーマスはフルームを含む有力選手と最後の峠を上り、ラストスパートしてトップでフィニッシュ。これもチームプレーとして許せる範囲の行動ではあるが、トーマスは1着のボーナスタイムを含む14秒の差をさらにつけ、総合成績で2位フルームとの差を1分39秒とした。
32歳のトーマスと、33歳のフルーム。プロデビュー当時はバルロワールドという格下チームで一緒だった。その後、イギリス選手をツール・ド・フランスで総合優勝させるために発足した現チームへと移籍し、そこでも活動をともにする。家も近いので、一緒に練習するほど仲もいい。フルームのこれまでの戦歴の多くは、他チームならエースを務められる実力を有するトーマスが見事なまでにサポートしてきた功績によるところが大きい。
アルプスでの戦いが終わり、大会が終盤のピレネー目前に2回目の休息日を過ごしたあたりから、フルームの発言も変わってきた。
「僕たちはチーム内で総合優勝者を出すことが重要なんだ」
「これまでG(トーマスの愛称)にどれだけ助けられたことか。今度は僕がその恩返しをしたい」
もちろん、内面にはもどかしさもあったはずだ。他チームのライバルのように実力でねじふせることはできない。親友の不調やアクシデントを期待することもできない。大会最多タイの総合優勝を狙うには、一番やっかいな状況に陥っていた。
2012年、チーム・スカイはエースにブラッドリー・ウィギンス(イギリス)、アシストにフルームを起用して、見事にふたりでワンツーフィニッシュを飾った。ただしそのとき、山岳で遅れがちなウィギンスに苛立ったフルームが後ろをふり向いて、「早く来い!」というようなしぐさを見せたことがある。そのときはイギリス選手、またチームとしてツール・ド・フランス初制覇を成し遂げたが、翌年はウィギンスがツール・ド・フランスに不出場。2013年はエースとなったフルームが初優勝を挙げることになる。
フルームとウィギンスが衝突した過去のことを「僕はよくわからない」とトーマスは言ったうえで、「フルーミー(フルームの愛称)との信頼関係は厚いよ」とチームワークを強調した。
そしてピレネーの第17ステージで、今大会を決定づける転機が訪れる。ゴールまで残り4kmほどの地点だった。
フルームがトーマスに、「今日は調子が悪い」と耳打ちした。それは、エースのポジションを譲った瞬間だった。それを受けたトーマスは、単独で先行していたライバル選手を追った。最終的にトーマスはパリまでマイヨ・ジョーヌを手放すことなく走り切り、ツール・ド・フランス初優勝を手にする。
「僕がマイヨ・ジョーヌだって? それは夢だったかも知れないが、まさか手に入れることができるなんて考えたこともなかったよ」
パリの表彰台でトーマスは、英国旗ではなく、出身地ウェールズの旗を背負って万感の表情を浮かべた。
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