「人ひとりに対して牛が1000頭の土地ですから……」 そんな”前情報”を別海(べっかい)高校の島影隆啓監督からもらっていたが、釧路を過ぎてから1時間あまり、本当に人の姿はない。その代わり、…

「人ひとりに対して牛が1000頭の土地ですから……」

 そんな”前情報”を別海(べっかい)高校の島影隆啓監督からもらっていたが、釧路を過ぎてから1時間あまり、本当に人の姿はない。その代わり、いくら車を走らせても道路の脇には緑の丘陵が広がり、白地に黒や茶色の大きな斑点を身にまとった乳牛が次々と現れてくる。しかもデカい。本州でも乳牛を見ることはあるが、明らかに大きさが違う。

「デカいですよ! 私の背丈ぐらいの牛がゴロゴロいますから」

 そう言って笑う島影監督のサイズは身長が約178センチ、体重100キロ超。牛にも負けず劣らずの”巨漢”なのである。



部員4人の時期もあったが、現在はマネージャー含め27人が所属する別海高校野球部

 島影監督が釧路にある武修館高校の野球部監督を辞して、故郷である別海町に戻ってきたのは2013年。31歳のときだった。

 どんな事情で武修館をやめたのか詳しくはわからないが、おそらく複雑な”大人の事情”があったのだろう。ただ、島影監督が4月にチームを去った後、武修館高校は同年夏の甲子園に北北海道代表として出場。つまりメンバーのほとんどは、島影監督が手塩にかけて育てた選手ばかり。若いが腕利きの指導者なのだ。

 それ以上に、私が島影監督に敬意を抱いていることがある。それは毎年、6月と11月に遠路はるばる東京に足を運び、大学選手権、明治神宮大会を生観戦することだ。全国レベルの戦いをその目で確かめ、自らの指導に反映させようとする。何かを吸収しようと本気で観戦している監督って、実はあまりいないのではないだろうか。北海道から、しかも道東の釧根地区から東京にやって来るのは並大抵のことではない。

 釧路から郷里・別海に戻り、3年間は少年野球の指導をしていたが、2016年に別海高校の監督に就任。しかしそのとき、部員はたったの4人しかいなかった。

「この4人をなんとか勝たせてあげたい……最初に思ったのは、それでした」

 前年の夏までは別海高校の単独チームで公式戦に出場していたが、一度も勝利したことはなかった。

「結局、連合チームで出場した最後の夏も勝てなかった。でも、この4人がこっちに帰ってくると、必ずグラウンドに来てくれるんですよ。差し入れなんか持ってね。まだ3人は学生なのに」

 聞くと、4人のうち3人は札幌の専門学校に通い、あとのひとりは海上保安庁に務めているという。

「かっこいい制服を着て、やって来ましたよ。こういう仕事をしていて、なにがうれしいかって、卒業した子がグラウンドに戻ってきてくれることなんです」

 試合に勝つことも大きな”喜び”なのだろうが、人を育てた達成感を実感できる瞬間こそが、本当の意味で「やった!」と指導者が小さなガッツポーズをつくるときかもしれない。

「土地柄、酪農や農家の子が多いんですけど、たとえば酪農の家だと朝、夕と2回搾乳があるんです。ここはバスの便も少ないですし、自転車で通えない生徒は、どうしても親御さんの送り迎えが必要になります。そうなると『野球部は厳しいかなぁ』ってなってしまって……」

 それでも、少年野球を指導しているときに出会った子や、近隣の中学をコツコツ回った成果もあって、部員は少しずつ増え、この春には5人の女子マネージャーも含め27人になった。

「ウチは女子マネージャーも大事な戦力ですから。練習プランを作成するのも、それを選手たちに伝えて実践させるのも、マネージャーの仕事です」

 なにより驚いたのは、選手たちのプレーだ。チームを引っ張る主将の松田恵永(けいと/3年/右投左打)は、攻守好打の遊撃手。小気味よいフットワークで打球をさばく。

「別海は人が温かいです。学校の帰りとか、すれ違っただけで『頑張るんだよ!』って、声をかけてくれます。ここの冬は雪との闘いもありますし、必死に頑張ってきて、あっという間に3年の夏です。あとは勝って、島影監督と一緒に泣こうと思います」

 松田とともにチームリーダーとして奮闘してきた郡司晋哉(3年/右投右打)は、キャッチングの技術が素晴らしい捕手だ。

 低めのストレート、緩いカーブ……捕球音の出にくいボールでも「パーン!」と乾いた快音を発し、投手の全力投球に応える。

「どんなボールでも絶対にミットを止めて音を出すように、監督から言われています。ショートバウンドも絶対に止めます」

 郡司とバッテリーを組むエースの山中涼(3年/右投右打)はこの春、球速が140キロに届いたという。山中が別海について、こんな面白い話を聞かせてくれた。

「牛の数が人口の1000倍って……実はそこまで多くなくて、人口1万人に対し、牛が10万頭ぐらい。お年寄りが多いんですが、若い人とも協力し合って暮らしているから、この酪農の町が成り立っているように思います」

 山中とともに別海高のマウンドを守るのが、富崎脩斗(2年/右投右打)と西川瑠恩(りゅうおん/1年/左投左打)。」

 富崎はどっしりとしたフォームから両サイドに投げ分ける制球力のよさが魅力で、西川は1年生とは思えないボールの伸びが特長の左腕だ。夏の大会に向けて抱負を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「いつも面倒をかけている親のため、監督のため、そして別海の町民のために勝ちたい」(富崎)

「入学したばかりなのに試合で投げさせてもらって、いつも先輩たちには迷惑をかけてしまっているんで、この夏は先輩たちに恩返しできるようなピッチングをしたいです」(西川)

 選手たちのモチベーションになっているのは、いつも世話になっている”誰かのため”という思い。生まれ育った土地に根ざした、すごく自然でありのままの”願い”なのが気持ちいい。島影監督が言う。

「いつも選手たちに言っていることがあって、『野球で別海をひっくり返してやれ!』と。町の人たちがびっくりするようなことを、野球でやってやろうじゃないかってね。地元の人が喜んでくれる。地元の人たちと一緒に喜べるのが高校野球だと思うんです」

 島影監督は教職員ではない。本業は、学校から10キロほど離れた西春別(にししゅんべつ)という町でコンビニエンスストアを経営している。24時間営業ではないが、それでも朝6時の開店に備え、早朝3時に起きて、その大きな手を真っ赤に染めながら、店の人気商品である”大きなおにぎり”を100個以上握る。

 北海道は美味しいものの宝庫だから、おにぎりの具材には事欠かない。鮭、すじこ、昆布、チーズ、おかか……など、普通のコンビニで売られているおにぎりの2倍はあろうかと思われる大きさのものを「おいしくなーれ、おいしくなーれって、気持ちを込めながら握っています」と島影監督は言う。

「野球も同じなんです。上手になーれ、上手になーれって、思いを込めながらノックを打つんです」

 今年春の大会では、釧路地区の予選で釧路湖陵に3-4で敗れた。

「その釧路湖陵が予選の決勝で、北海道大会に進んだ釧路明輝と互角の試合をしているんですよ」

 だからウチだって、もう少しで北海道大会、そして甲子園……そう気持ちでは思っていても、決して口に出したりしない。前任校の武修館では、嫌というほど北海道大会の厳しさ、甲子園への道のりの長さは思い知らされている。

「なんか、こんな田舎の、牛だらけの町から甲子園に出たら、かっこよくないですか。痛快ですよね。たしかに、大阪桐蔭もかっこいいですけど(笑)」

 牛の乳しぼりができる甲子園球児――冗談っぽく言いながらも、そのイメージはしっかりできあがっている。別海高校の夏に期待したい。