オリンピック4連覇の伊調馨選手(ALSOK)と彼女を指導してきた田南部力(たなべ・ちから)コーチが、栄和人氏によってパワハラを受けたとされる告発状が内閣府公益認定等委員会に提出されてから5ヵ月――。いまだ問題解決を見ぬ日本レスリング界…

 オリンピック4連覇の伊調馨選手(ALSOK)と彼女を指導してきた田南部力(たなべ・ちから)コーチが、栄和人氏によってパワハラを受けたとされる告発状が内閣府公益認定等委員会に提出されてから5ヵ月――。いまだ問題解決を見ぬ日本レスリング界だが、6月14日~17日に東京・駒沢体育館にて明治杯全日本選抜選手権が開催された。


女子50キロ級の決勝は

「非至学館」出身の須崎(左)と入江(右)が対戦した

 多くのリオ五輪メダリストや昨年の世界選手権優勝者が出場する今大会。2年後の東京五輪に向けてしのぎを削るなか、もっとも注目された階級は女子最軽量の50キロ級だろう。東京五輪では金メダル以外は許されない、日本が世界に誇る「絶対階級」だ。

 決勝戦に進出したのは、準決勝でリオ五輪金メダリストの登坂絵莉(とうさか・えり/東新住建)に力の差を見せつけた入江ゆき(自衛隊体育学校)。そしてもうひとりは、2017年に世界チャンピオンに輝いた18歳の須崎優衣(早稲田大)だ。

 昨年12月の天皇杯全日本選手権・決勝と同じ組み合わせとなったが、前回は入江が4ヵ月前に世界を制したばかりの須崎をテクニカルフォールで撃破。今回は須崎のリベンジなるか、それとも入江が連勝して初の世界選手権出場なるか、会場中の観客が固唾を飲む一戦となった。

 入江は本格的にコーチに復帰したロンドン五輪金メダリストの小原日登美に徹底的に指導を受け、今大会も万全のコンディション。対する須崎は、3年前に入江に敗れて準優勝に終わった表彰状と、半年前に敗れて3位に終わった表彰状を自室に張って片時もその悔しさを忘れず、「絶対に自分が勝つ」と気合十分で臨んだ。

 第1ピリオドは須崎が消極性から1ポイントを献上したものの、片足タックルからバックを奪って2ポイント獲得。第2ピリオドの内容次第ではどちらが勝っても不思議ではない展開となった。

 だが、勝負は第2ピリオドの序盤に決する。タックルを仕掛けてきた入江を須崎が堪(こら)えて逆に返すと、そのまま入江の両肩をマットに押しつけた。37秒フォール勝ち。須崎は大会3連覇を達成し、ガッツポーズで満面の笑顔を見せた。

 パワハラ問題の影響のひとつとして、世界選手権の代表選考を兼ねた全日本選手権と全日本選抜選手権の優勝者が異なった場合は、女子でも男子同様にプレーオフが行なわれることになった。そのため須崎と入江は今年10月にハンガリーで行なわれる世界選手権の出場権をかけて、7月7日にふたたび激突する。

 世界でもっとも過酷な代表争いを繰り広げた入江と須崎だが、ふたりに共通するのは女子の主流となったレスリングの名門「至学館大」への進学を選ばなかったことだ。

 少年少女大会や中学で活躍した多くの女子選手は、高校から、あるいは大学から至学館へと進学する。吉田沙保里をはじめとするトップ選手と同じ道場で練習することができ、スパーリングパートナーがいくらでもいるからだ。そして指導するのは、協会の強化本部長を務めていた栄和人氏。ところが、入江も須崎も、独自の道を歩んでいる。

 福岡県出身の入江は全国中学生選手権で優勝した後、小倉商業高へ進学。全国高校選手権で2連覇を遂げると、九州共立大へ。一貫して地元を離れず、妹ふたりとともに練習を積み、大学卒業後は自衛隊体育学校へ進んだ。

 須崎は全国少年少女選手権で3度優勝を飾り、JOCエリートアカデミーへ。2015年に入江に敗れるまで中学1年から83連勝をマークして一気に高校生世界チャンピオンまで上り詰めると、今年4月からは父の母校で、姉も通っている早稲田大へと進学した。現在は早稲田大で男子と練習するとともに、アカデミー時代と変わらぬ環境でも稽古している。

 2016年のリオ五輪では、女子6階級すべてを至学館大学生・卒業生が占めた。もし、”非至学館”の選手が東京五輪出場となれば、アテネ、北京、ロンドンと五輪3大会連続出場を果たした浜口京子以来ふたり目となる。

 一方、至学館大勢は昨年の全日本選手権に続き、今大会でも10階級中8階級を制覇。リオ五輪金メダリストの川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)が階級を下げながら59キロ級でも圧倒的な強さを見せつけて優勝すると、姉と入れ替わって階級を上げた妹・友香子(至学館大)も62キロ級を制し、姉妹同時優勝を成し遂げた。

 また、世界選手権金メダリストで53キロ級の奥野春菜(至学館大)、同銀メダリストで55キロ級の向田真優(至学館大)も他を寄せつけぬ強さで優勝。リオ五輪金メダリストの土性沙羅(どしょう・さら/東新住建)は3月のワールドカップで痛めた肩を手術して欠場したものの、68キロ級はリオ五輪出場後に悪性リンパ種による闘病生活を送り、およそ2年ぶりにマットに戻ってきた渡利璃穏(わたり・りお/アイシンAW)が見事に復活優勝を果たし、至学館は層の厚さも見せつけた。

 そんな選手たちを逆境に追い込み、活躍に水を差したのが、大会初日の試合開始40分前に行なわれた栄氏の会見である。

 栄氏は協会が設けた第三者委員会によってパワーハラスメントが認定され、4月6日に強化本部長を辞任。さらに内閣府からもパワハラ認定を受け、6月8日の理事会で常務理事解任を決議され、6月23日の評議会で解任が正式決定する運びとなっている。

 会見では冒頭、「まず伊調選手、田南部コーチに深くお詫びしたい」と謝罪。用意したコメンをト読み上げて記者からの質疑に応じたが、会見直後から世論は猛反発を示した。パワハラの原因を「コミュニケーション不足」と説明し、伊調選手や田南部コーチに謝罪する前に至学館大監督としての現場復帰ありきの会見を開いたことが、多くの国民の怒りを買ったからだ。

 また、栄氏に監督を続けさせるとともに、至学館大の卒業生でもある五輪4連覇の絶対女王に対して「そもそも伊調馨さんは選手なんですか?」と投げかけ、さらに「パワハラはない」と断言した至学館大学・谷岡郁子学長兼理事長もやり玉に挙げられた。

 すると3日後の6月17日、大会最終日の最後の優勝インタビューが終わると、谷岡学長が急遽会見を行ない、唐突に栄氏の監督解任を発表したのだ。

「東京オリンピックへ向けての戦いの道についてこれない者がひとりいました。本当に残念です。栄和人監督を解任することを発表します」

 理由は以下の通り。

「この大事な大会、選手に寄り添ってセコンドについてほしいと何度も要請したが聞き入れられず、友人(芸人の千原せいじ)と食事に出かけ、会場に招き、笑いながら観戦した。まったくわかっていない。この120日間、指導し続けてきたが、まったく反省が見られない。これでは世界選手権、オリンピックに向けて、ともに戦っていけない」

 もっとも、谷岡学長は6月14日の会見後、観客席で栄氏と談笑している姿が新聞やワイドショーで伝えられているのだが……。

 さらに谷岡学長は、5月24日に栄氏を減給処分にしたと話すが、「パワハラ問題は協会でのこと。協会が処分すべき」と断じ、学内での処分は「学園と学生に多大な迷惑をかけたから」と説明する。今回の解任については、すでに一部の選手・卒業生には報告し、吉田沙保里からも「至学館を守るためには仕方ない」との了承を得ており、レスリング部の今後の運営、指導体制については選手たちと話しあうと告げた。

 栄氏の監督解任は6月18日に開かれる学内の会合で正式決定する。教員資格等については、理事会、教授会で審議されるという。

 パワハラ問題の発覚後から多くのレスリングファンは、至学館の副学長であり、日本代表コーチを務める吉田沙保里の監督就任を待ち望んでいるが、その可能性は高い。だが、果たしてそれで至学館大は強さを維持することができるのか。

 言葉を選び、終始、その態度は低姿勢だった。だが、「至学館を応援していただいている多くの方々に感謝している。私の力が至らなかった」と繰り返したものの、谷岡学長からは最後まで自らの進退については一切、言及されなかった。