まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだった。 夕闇に染まるブルペン、ジャージ姿の大男がマウンドに立つ。両腕を…

 まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだった。

 夕闇に染まるブルペン、ジャージ姿の大男がマウンドに立つ。両腕を揃えて天に掲げるような特徴的なワインドアップから、捕手に向かって軽く左腕を振り下ろす。球速にすれば80キロにも満たないようなスローボール。それなのに、ボールにはしっかりと回転がかかっており、捕手のミットを「ドスン」と叩く。

 ブルペンの脇でトレーニングしていた10人ほどの高校生が、一斉に手を止めて大男のキャッチボールにじっと見入る。誰も言葉を発しない。ただただ静謐(せいひつ)な時間が流れていた。

 球児たちの視線に気づいた大男は、苦笑しながらこう言った。

「ごめん、ごめん。3年ぶりだからまだこんなボールしか投げられないけど、あと2、3カ月もすれば、お前らよりいいボールを投げるようになるから」



山本昌コーチ(写真中央)の話を熱心に聞く日大藤沢の選手たち

 大男は8月で53歳になろうとしている。だが、その言葉を冗談と受け取った選手は誰もいなかった。何しろ、男は3年前まで現役選手、それもプロ野球の投手だったのだから――。

 エースの新村太郎(3年)は今年の3月、季節外れの雪の日に受けた衝撃が忘れられないという。

「山本昌さんのことはもちろん前から知っていました。でも初めて練習に来られた日に、『こんなにデカイのか!』と驚きました。想像を超えていたというか、『プロって大きいんだな……』と思いました」

 同じサウスポーでもある新村は、伝説の左腕を目前にして上気しながらも、そのひと言ひと言を聞き漏らすまいと集中した。

「僕はコントロールに悩んでいて、テイクバックを小さくして投げていたんですけど、山本昌さんから『(腕を)大きく回してみたら?』とアドバイスをいただきました。すると腕の振りがスムーズになって、コントロールがよくなったんです。それと同時にスピードもキレもよくなりました」

 50歳まで現役を続け、通算219勝を挙げた山本昌が、2018年2月に学生野球の指導者資格を回復。母校である日大藤沢高校の特別臨時コーチに就任した。日大藤沢の山本秀明監督が山本昌の実弟という深い縁もあった。

 兄を呼んだ意図を山本監督はこう説明する。

「前から本人が『指導したい』という意思を持っていましたので、資格を回復したタイミングで指導に来てもらうことになりました。人間の体の構造に応じた動かし方を追求してきた人ですから、選手にも体の使い方を教えてもらいたいと思っています。何かをきっかけに飛躍的に伸びる選手もいますし、大学以上で続けて『野球を極めたい』という選手が1人でも多く出てくればいいなと考えています」

 日大藤沢は春3回、夏1回の甲子園出場を果たしている神奈川の強豪である。だが、近年は進学面により力を入れる学校の方針を受け、なかなか有力な選手が集まりにくい状況になっている。

 現役時代は社会人・三菱自動車川崎で捕手だった山本監督の卓越した指導力で毎年のように好捕手が輩出しているものの、甲子園にはあと一歩、二歩及ばない年が続いていた。

 この日、4月23日は山本昌コーチが就任して以来、4度目の指導日だった。

 投手陣の投球練習を前に、山本昌コーチは選手たちを呼び寄せた。

「テレビでよく『ストラックアウト』って見るよね。みんな、あれをやるならどの球種で投げる?」

 選手が「ストレートです」と答えると、山本昌コーチは「うん」とうなずいて、こう続けた。

「そう。まずはストレートでストライクを取る方法を覚えよう。体の使い方によって『ここにいく』という投げ方がしやすいのはストレートだから」

 そして、山本昌コーチは「いつも言っているけど」と前置きして、投球フォームの基本的な理論を語った。

「自分の体の幅の中で、上から前で叩く。それが基本。体の幅から腕が出たり、バラバラだと少しのズレでボールは放射状に散らばってしまう。幅の中で投げれば放射状には行かなくなるから、コントロールがつくんだ」

 投手が投げる際に使う空間の幅のことを山本昌コーチは「ライン」と呼ぶ。このラインを体の幅の中で収めて投げることが、投球の基本だという。ステップが捕手方向から大きく外れたり、リリースが頭から大きく離れるとラインが広がってしまい、コントロールがつきにくくなるという理屈だ。

 そして今度は捕手を呼び、右打者の外角低めに構えさせた。

「カウントスリーボールからストライクがほしいとき、ど真ん中に構えることが多いと思うんだけど、意外とど真ん中に投げる練習ってしないから決まらないんだよ。そんなとき、キャッチャーはアウトローから少し内側へ……という意識で構えてあげると、ピッチャーは余裕を持って投げられるから」

 新村とともにチームの二枚看板を背負う武冨陸(2年)も、同じくサウスポーである。横浜市立中山中時代は全日本少年軟式野球大会に出場するなど、好素材として知られていた。

「どちらかというと菊池雄星投手(西武)のような速球派が好きなんですけど……」と打ち明ける武冨だが、山本昌コーチに教わるなかで大きな発見があったという。

「僕はテイクバックをとって、トップの位置まできたら、すぐに腕を振り下ろして投げていたんですけど、山本昌さんに『間(ま)を作ったほうがいい』と言われて、力を入れるタイミングを変えてみたんです。そうすると今までよりも投げやすくて、コントロールもよくなりました。細かい部分まで見てくださって、言うことが違うなと感じます」

 新村にしても武冨にしても、自分が知らなかった世界の扉を開いた興奮が言葉から伝わってきた。そして、山本昌コーチは両左腕に限らず、10数人の投手陣それぞれにアドバイスを送った。

「オレの言うことはあくまで基本的なことだから。同じ体格の人も同じ筋肉の人もいないんだから、あとは自分なりに考えてアレンジしてみてほしい」

 練習中、練習後問わず、山本昌コーチの元には多くの選手がやってきて、質問攻めにする光景が見られた。それは投手だけにとどまらず、スローイングについてアドバイスを求める外野手の姿もあった。

 この贅沢な指導は、なんとすべて無償だという。それは他ならぬ山本昌コーチ本人の意向だった。

「僕が練習を見られるのはどうしても仕事の合間になるから。お車代なんていただいちゃうと、『今月は何回行かなきゃ』となってしまう。とてもお金なんてもらえないし、それに僕の母校だしね(笑)」

 35年前にも自身が練習していた母校のグラウンドを眺めながら、山本昌コーチは「あまり変わらないなぁ……」とつぶやいた。5人が同時に投球練習できるブルペンの右から2番目のマウンドを足でならしながら、「僕らの時代はここがエースの投げる場所でした。僕が2年生のときは荒井さん(直樹/前橋育英監督)が使っていたなぁ」と愛おしそうに懐かしむ。そして、その場所は現役エースの新村がこの日、投球練習していたマウンドでもあった。

 現役球児にもっとも伝えたいことは何か。そう尋ねると、山本昌コーチからこんな答えが返ってきた。

「一番は体を壊さない投げ方を身につけてほしいということですね。自分で言うのもなんだけど、僕は50歳までヒジ、肩にメスが入ったことはありません。個人によって筋肉や関節のつき方は違いますけど、基本は小学生もプロも一緒。だから故障の少ない投げ方を伝えたいですね。故障をすると野球がつまらなくなるじゃないですか」

 投手陣全員の投球練習が終わると、山本昌コーチはグラブを右手につけ、マウンドでキャッチボールを始めた。食い入るように見つめる選手たちに「ちょっと(マウンドの)後ろから見てごらん?」と促した。

「こんな軽いキャッチボールでも、ラインの中に入っているでしょう?」

 山本昌コーチが3年ぶりに投球練習を再開した理由は、仕事のためでも個人的な趣味でもない。「選手に見本を見せたいから」だという。

 選手はただ山本昌コーチの技術を見ていただけではないはずだ。山本昌という偉大な野球人がまとう雰囲気、存在の大きさ。もしかしたら、そのすべてに圧倒され、言葉が耳に入ってこない部員もいたかもしれない。

 しかし、それでもいいのではないか。一流のオーラを間近で浴びたことは、その選手にとって甲子園に出場することとはまた別種の得難い経験になるはずだ。

 こんな光景が今まで以上に、全国のアマチュア野球の現場に広がっていくことを願わずにはいられなかった。