宇佐美貴史インタビュー(前編) ブンデスリーガ1部への昇格を確定させたフォルトゥナ・デュッセルドルフは、ブンデスリーガ2部の最終戦で、勝ち点で並ぶ1.FCニュルンベルクと対戦。シーズン後半に入って、確かな存在感を発揮し続けてきたMF宇佐…

宇佐美貴史インタビュー(前編)

 ブンデスリーガ1部への昇格を確定させたフォルトゥナ・デュッセルドルフは、ブンデスリーガ2部の最終戦で、勝ち点で並ぶ1.FCニュルンベルクと対戦。シーズン後半に入って、確かな存在感を発揮し続けてきたMF宇佐美貴史は、その”優勝”を懸けた大一番でも躍動した。

 前半15分までに2点を失う苦しい展開の中、37分に自らヘディングでゴールを挙げて反撃の狼煙(のろし)を上げると、その後も攻守に輝きを見せる。

 最終的にデュッセルドルフは、後半59分に同点に追いつき、さらにアディショナルタイムに決勝点を決めて逆転勝利を収めた。奇跡的な”優勝”を決めた試合で、宇佐美は最後までそのピッチに立ち、歓喜に酔いしれた。

「ガンバ大阪時代にも優勝は経験してきましたが、今回の”タイトル”は、海外で積み上げてきたキャリアでは、初めて自分がしっかりと絡んで勝ち取った”タイトル”ですから。特にここまで苦汁をなめることも多かったし、苦しんだ時間も長かったことを考えても、また、日本とは違って人間関係や自分のチーム内での立ち位置まで、本当にすべてをイチから構築しながらたどり着いたことを考えても、達成感はとてつもなく大きい」

 そう語った宇佐美の表情は、昨年12月に見たものとは対照的に、晴れやかだった。

 振り返ること半年前の2017年12月。ドイツの地で取材を行なった際、宇佐美は苦しみのど真ん中にいた。



デュッセルドルフに移籍後、前半戦は苦しいシーズンを過ごしていた宇佐美

 同年8月30日に、出場機会を求めてブンデスリーガ1部のFCアウクスブルクから、デュッセルドルフへの期限付き移籍を決めてから約4カ月。新天地での初陣となったウニオン・ベルリン戦では途中出場ながら、移籍後初ゴールを挙げて上々のスタートを切ったかに見えたが、それ以降、コンスタントに先発のピッチに立つことができていなかった。

「アウクスブルクでほぼ1年間試合に出ていなかったことを考えれば、試合勘はそう簡単に戻らない。最初の半年は、トップフォームを取り戻す時間だと考えて、焦らないでほしい」

 チームを率いるフリートヘルム・フンケル監督からはそんな言葉をかけられていたものの、ガンバ時代から試合を戦うことでコンディションを上げ、プレーの精度を高めることを常としてきたからだろう。コンスタントに先発のピッチに立てない現実が、宇佐美に見えない”ブレーキ”をかけているのは明らかだった。途中出場でピッチに立っても、どこか試合に入り込めていないような、精彩を欠いたプレーが目立っていた。

 それは、宇佐美自身も自覚していたところだ。それゆえ、食生活の見直しや個人トレーニングを増やすなどピッチ内外で、彼なりにいろいろなチャレンジを続けていたが、それが思うように結果に結びつかなかったことも理由だろう。この頃の彼は、明らかに苛立ちを抱えていた。

「練習での成長は所詮、公式戦を戦うための積み重ねでしかなく、公式戦を戦うことで得られる成長とは、速度も振り幅も違う。それをアウクスブルクでの1年で身をもって感じたからこそフォルトゥナに来ただけに、今の状況には焦りも感じる。と同時に、今のこの状況が続けば、このままサッカーに対するモチベーションさえ失ってしまうんじゃないかという不安もある。そのくらい今はサッカーが楽しくない」

 2009年に高校2年生でプロとしてのキャリアを歩き始めてから初めて彼の口から聞いた「サッカーが楽しくない」という言葉に、宇佐美が抱える苦悩が見てとれた。

 そんな彼が再起を誓い、自分に対して「ラストチャンス」と課したのはウインターブレイク中のこと。日本に戻り、地元・京都で自主トレを行なっていた彼は、何かを決したかのように、だけど、どこか解き放たれたような表情で話していた。

「とにかく全部。やれるだけのことは全部やる。ラストチャンスやから」

 事実、このウインターブレイクの間、彼はパーソナルトレーナーとともにトレーニングを積むだけではなく、知人を通してスポーツ内科を勉強するなど、さまざまな角度から自身に変化を求めていた。

 それは、ドイツに戻ってからも同じで、再開までの時間を惜しむように、食生活では摂取のタイミングにまで細かく気を配り、練習以外の時間もパーソナルトレーナーとともに、より感覚を研ぎ澄ませることを狙いとしたトレーニングを行なっている。

 これは、何も半年後に迫っていたロシアW杯を意識してのことではない。というより、10月に日本代表メンバーから漏れて以降、この時期の宇佐美は「今はW杯のことを考えることすらない」と話していたことを思えば、そうしたピッチ内外でのチャレンジは、あくまでプロサッカー選手としての”ラストチャンス”に懸ける覚悟の表れだ。

 そして、その時間は、再開後のブンデスリーガ2部の舞台で一気に花開いた。

(つづく)