競輪に携わって35年、今回は名古屋競輪場のお話しです。名古屋記念開催は近年まで10月の開催でしたので、レジャーにうってつ…

競輪に携わって35年、今回は名古屋競輪場のお話しです。
名古屋記念開催は近年まで10月の開催でしたので、レジャーにうってつけのシーズン。しかも連休中に開催されることが多く、この時期は鈴鹿サーキットのモータースポーツの最高峰F1レースとも重なり、いかに大都市・名古屋と言えどもホテルの確保が大変だったことを思い出します。

その名古屋競輪場で1992年9月、29年ぶりにオールスター競輪が開催されました。
この年、高松宮杯で中野浩一さん(福岡35期・引退)が引退して、まだ検車場で中野さんを見ると「調子はどうですか?今日は何レースだっけ」と、思わず声をかけようとするくらいでした。
絶対王者・中野浩一さんが長く自転車界を牽引してきただけに、検車場内にはこれからの競輪界の風向きを確かめるかのように立ち止まっている……そんな空気が感じられたものです。
吉岡稔真さん(福岡65期・引退)がすでに3月のドームダービー(前橋)で初タイトルを手にしていましたけれども、まだ“吉岡時代”と、呼べるほどの力の存在が確定していなかったのです。
そのような中で開催されたオールスター競輪決勝は激戦が予想されていました。
四分戦、レースは吉岡キラーと呼ばれた海田和裕さん(三重65期・引退)が果敢に先行、追走する無冠の松本整さん(京都45期・引退)、後方に置かれた吉岡さんの捲りに乗った鬼脚・井上茂徳さん(佐賀41期・引退)が2センターでインを突いて1着ゴール。井上さんは高々と手を上げましたが、赤旗審議で結果は失格。2着ゴールで悔しさを露わにしていた松本整さんが繰り上がって優勝という決定放送が入ったのです。
名古屋競輪場はバンク中央部分に敢闘門ならぬ入場スロープがあります。そこから、まさに破顔という表現がぴったりの笑顔で現れた松本さんにインタビュアーの私は内心、秘かにホッと、胸をなで下ろしました。やはり、失格の繰り上がり優勝というのは両手(もろて)を挙げて喜びづらいですよね。でも、私が向けたマイクに松本さんは「日本一になりました!」と、大きな声で私の杞憂を一掃してくれたのであります。場内のオールドファンからの「おめでとう~、松本!」の歓声に松本さんは高々と、右手を挙げて応えました。
その時に思ったのは、確かに失格や落車はあってはならないことですが、経過はともかく松本さんに投票していたファンにとっては喜びの声そのものです。やはり伝えるべきことはきちんと伝えなければいけない立場です。
「あなたに投票したファンにキチンと、お礼を言わないとね」
その後、同様のケースでもインタビューに現れる選手にそう言えました。この一言は長年、優勝インタビュアーとして務めさせてもらった私の一念。ただ、選手にしてみれば“コワイおばさん”だったかも知れませんね(苦笑)。

ゴール前のインコースの攻防と言えば、同じく名古屋競輪場で開催された1996年第8回共同通信社杯。
吉岡稔真さんは前年、怪我に泣き無冠と思われましたが、グランプリで奇跡の復活劇。まさに神山VS吉岡の両横綱時代の全盛期でした。
この共同通信社杯決勝では、好調が伝えられたものの準決勝で敗退してしまった神山雄一郎さん(栃木61期)。一方の吉岡さんは強力な布陣を張る地元・中部勢との対戦となりました。当時のことを後に吉岡さんは「神山さんがいない決勝は自分が勝たなければいけないという使命感を背負っていた」と、振り返っています。
このレースではただ1人の関東勢・後閑信一さん(当時は群馬65期、後に東京65期・引退)は同期の吉岡さんの3番手に。展開は中部勢を分断した吉岡さんが巻き返し、そこで絶妙のタイミングでインを突いて1着でゴールラインを駆け抜けたのが後閑さんでした。


後閑さんはこの頃、先行主体でS級上位まで上り詰め、常に同地区の神山さん、同期のヒーロー・吉岡さんの背中を追いかけながら、一歩ずつ距離を詰めてたどり着いた頂点がこの1勝。レースに対するこだわりは人一倍強く、また、対戦相手の研究にも余念がありませんでした。吉岡さんがゴール前の直線で少し外に膨れる癖のあることを見越した狙い通りのビッグレース初優勝だったのです。
“兄貴”や“ボス”という少々、物騒なニックネームで呼ばれる後閑さんですけれども、デビュー当時の素顔は色白で、どう見てもコワモテという印象はありませんでした。ですが、日焼けサロンで真っ黒に焼き、他の選手からなめられないようにと、外見上の迫力を演出したようですよ。そんな茶目っ気がある、と言うよりもプロ意識の高い一面もあるのです。
そんな後閑さんをニッコリさせるのは若いうちに結婚して生まれた長女・百合亜ちゃんの話題でした。父親の背中を見て、百合亜さん(東京102期・引退)はガールズケイリン1期生として活躍した後、お父さんよりも先んじて競輪のテレビ中継でマイクを持っています。その百合亜さんをテレビ画面越しで拝見すると、私のキャリア……いや、年齢の積み重ねを痛感してしまうので、ちょっと複雑な気持ちにもなりますけれども(笑)。

【略歴】


設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!