連載第13回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち証言者・土橋勝征(1)(前回の記事はこちら)内外野をこなせ…
連載第13回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・土橋勝征(1)
(前回の記事はこちら)

内外野をこなせるユーティリティープレーヤーとして活躍した土橋勝征
インタビューを始めて1時間あまりが経過したころ、土橋勝征(かつゆき)は遠くを見つめながらポツリとこう漏らした。
「取材を受けているのにこんなことを言うのもどうかと思うけど、僕は"イップス"というものではなかったのかもしれないなぁ」
現役時代を知る野球ファンは、土橋勝征というプレーヤーをどのように記憶しているだろうか。
「野村ID野球の体現者」「バットを極端に短く握るコンパクトな打撃」「どこでも守れるユーティリティープレーヤー」「メガネをかけた物静かな職人」「村上春樹のお気に入りの選手」......そのような玄人好みのイメージを抱くファンが大半だろう。
だが、土橋が引退した前後から「土橋はイップスだった」という情報が表に出てくるようになった。あの守備の名手がイップスだったなんて――。衝撃を受けた野球ファンも多かったかもしれない。
しかし、土橋へのインタビューを進めていくうちに「これはイップスではないのではないか?」というムードが色濃くなっていった。
現代の野球界では送球難、制球難に陥(おちい)ると、なんでもかんでも"イップス"とされる風潮がある。しかし、土橋のケースをもとに「イップスとは何か?」ということをあらためて考えてみたい。
「送球のエラーが多かったのは事実です」
土橋はそう打ち明ける。高校時代から肩はずば抜けて強かったが、時折、送球エラーをすることがあったという。
「ピッチャーをやっていて、なんでもないピッチャーゴロをファーストに暴投したり、ショートをやっていて、短い距離なのにセカンドに悪送球したり。自分なりに『送球が下手』という自覚はありましたよ」
監督から悪送球をとがめられることもたびたびあったが、「次はなんとかうまくやらなきゃな」と考える程度で、萎縮するようなタイプではなかった。
知る人ぞ知ることだが、千葉の印旛(いんば)高(現・印旛明誠高)時代の土橋は超高校級のスラッガーとして名を馳せていた。1986年のドラフト会議でヤクルトから2位指名を受けた際も、本人いわく「どちらかと言えばバッティングを期待されていた部類だと思う」という存在だった。
プロではまずショートとして養成されたが、送球難はしばらく治らなかった。
「二軍で守備練習をするとき、一塁にネットを立ててそこに送球するんですけど、他の人よりネットに入る確率が低いんです。試合中のエラーも送球エラーが断然多い。練習すればうまくなると思ってアホみたいに投げていましたよ。コーチもつきっきりで技術的なアドバイスをくれるのですが、なかなか改善できなかったですね」
そして、土橋は一拍置いてからこう続けた。
「そこで『土橋はスローイングが悪い』というレッテルを貼られた感はありましたね」
送球ミスが起きるたび、周囲は「また土橋か」とため息をつく。うまく投げられるケースもあるのだが、プロは送球ミスをしないことが「当たり前」とされる世界である。ひとつのミスが周囲に及ぼす影響も大きく、たとえ回数は少なくても「送球が下手」というイメージがつきやすい。
「そういう目で見られていたことで、『俺は送球が悪いな......』と思い込んでしまったところはあると思います。ボール回しをしていて、先輩に向かって投げる瞬間に『うっ』と詰まって暴投したり、トスバッティングをする先輩に投げるのは憂鬱でしょうがなかったな(笑)。同期や年下なら『悪い』ですみますけど、先輩には謝らないといけない。申し訳なさがつきまといますよね。徐々に精神的に『ヤバイな......』となっていきましたね」
ミスをきっかけに、精神的に追い込まれる。それはイップスの初期症状かもしれない。だが、ここでポイントになるのは、土橋はいつもキャッチボールやシートノックで一定の割合で暴投することがあったということだ。また、「『投げ方がわからなくなる』というようなことはなかった」と本人は証言する。
イップスかどうかはさておき、送球難を解消できないまま、土橋のプロ生活は4年が経過していた。
入団時に守っていたショートは、一軍で若い池山隆寛がレギュラーに定着したばかり。角富士夫の衰えがみえるサードに転向するが、今度は話題のルーキー・長嶋一茂が入団してきた。ならばとセカンドに挑戦するが、とどめとばかりに新人・笘篠賢治が新人王を獲得する大活躍。本人も苦笑い混じりに「路頭に迷った」と振り返る、まさに八方塞がりの状況だった。
今となっては意外だが、土橋が一軍へとピックアップされるきっかけは守備ではなく、打撃だった。入団5年目の1991年、当時の野村克也監督が視察に訪れたファームの試合で、土橋は大活躍を見せる。
「たまたま打って目立った試合を野村監督が見て、『あいつ、外野できないのか?』と言ったらしいんです。当時は右打ちの外野手がいないというチーム事情がありました。外野はやったことはなかったんですけど、練習してみたらそこそこできたんです」
プロの世界にショートで入るような選手は、他のポジションに回されてもある程度はこなせてしまうもの。土橋は「つぶしがきく」と表現したが、ドラフト時にショートの需要が高いのはこのためだ。
チーム事情で外野に回された土橋だが、本人にとって幸運だったのはスローイングのミスが目立たなくなったばかりか、むしろ送球難がみるみるうちに改善されたことだ。
「外野は内野ほどピンポイントにコントロールしなくても、『だいたいこのあたり』という感覚でいいじゃないですか。たとえばレフト線の打球を捕って、二塁までノーバウンドで投げようと思えば投げられるけど、ワンバウンドならストライクでいく。そうやって感覚をつかんでいきました」
そして、外野を守っているうちに、土橋は自分のスローイングに決定的な問題があったことに気がつく。
「僕は人よりも手首が強かったんです。だから送球も手首を生かしてピュッと投げていて、ときどき引っかけてしまうのがクセになっていました。でも、外野だと距離が長いから手首だけでは投げられないじゃないですか。下半身を使って投げないと届かない。そこで初めて、自分が下半身を使わずに手首だけで投げていたことに気づいたんです」
その欠陥は、長年悩まされた送球難を克服するヒントになった。その後は野村監督に重用されたこともあって、土橋は飛躍的に出場機会を増やしていく。
しかし、送球難は完全に治りきったわけではなかった。その後も、長きにわたる現役生活を通じて、土橋は人知れず苦闘していたのだ。
そして土橋が自身を「イップスではない」と考えるに至った理由を知るためには、その後の土橋の物語も紐解いていく必要がある。
(つづく)
※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。