出身の広島でユニホームを脱いだ江草仁貴 江草仁貴は1980年9月3日生まれ、松坂世代の左腕投手だ。広島県出身、盈進高校時…
出身の広島でユニホームを脱いだ江草仁貴
江草仁貴は1980年9月3日生まれ、松坂世代の左腕投手だ。広島県出身、盈進高校時代は甲子園に出場できず、専修大学に進む。2002年、ドラフト自由獲得枠で阪神に入団。スター選手が多かった同世代では地味な存在だった。
入団1年目の2003年と2004年は合わせて10試合の登板にとどまる。もともと救援での起用が考えられていたが、左腕の中継ぎで吉野誠が活躍していたため、出番が少なかった。
2005年はジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の「JFK」と呼ばれる強力な救援投手陣が誕生した年だが、江草はこの3人に次ぐ51試合に登板。左腕の中継ぎとして優勝に貢献した。藤川、久保田ともに同じ「松坂世代」、2人に対するライバル心もあった。
翌年、先発に転向するも結果が出ずに、シーズン中に救援に再転向。2007年からは3年連続で50試合以上登板した。いわゆる荒れ球の持ち主で、制球は良くなく、四球が多かった。また暴投も多かったが、打者には的が搾りづらく、走者を出してもなんとか抑えることも多かった。
2010年から失速、2度のトレードを経て広島へ
2009年はキャリアハイの62試合に登板し、4勝11ホールド、防御率2.71という好成績を挙げた。この年は37歳のジェフ・ウィリアムスが衰え、中継ぎ左腕ではエース格となっていた。アッチソン、渡辺亮とともにクローザーの藤川球児につなぐ貴重なセットアッパーとして存在感を示した。
しかし、翌2010年は、球速が落ち、制球力もなくなり、成績が急落。2011年も2軍暮らしだったが、開幕後の5月に西武にトレードされた。
西武では、貴重な左腕中継ぎとして期待されたが12試合の登板にとどまり、翌2012年のキャンプも終わった3月になって、トレードで広島に移籍した。
広島は江草の出身地でもあり、ここでも活躍が期待されたが、1年目に26試合に投げたのが最多、以後4年間は1桁の登板試合数にとどまった。2013年にはトミー・ジョン手術を受ける。しかし、その後も成績は向上しなかった。
2009年を境として成績は急落、一線級に復帰することなく2017年限りで引退。救援投手にありがちな、登板過多によって、キャリアを縮めてしまったということだろう。
トミー・ジョン手術は20歳代で受ける場合と、30歳を過ぎてから受ける場合で、予後が大きく異なると言われる。江草は33歳のシーズンに肘にメスを入れたが、少し遅かったということなのかもしれない。全盛期はセットアッパーとして一級の活躍をしたが、オールスターには一度も選ばれず。縁の下の力持ち的な役割で終わった。(広尾晃 / Koh Hiroo)