◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽フリースタイルスキー(21日・リビーニョ・スノーパーク) 【リビーニョ(イタリア)21日=…

 ◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽フリースタイルスキー(21日・リビーニョ・スノーパーク)

 【リビーニョ(イタリア)21日=ペン・宮下京香】 男子スキークロスの決勝トーナメント(T)1回戦が行われ、昨年12月の大けがから奇跡的な復活を遂げた須貝龍(クレブ)は敗退した。

 決勝Tの組み合わせを決めるタイムトライアルは1分8秒13で滑りきり、31人中19位。4人1組で滑る決勝T1回戦は3位に終わり、上位2選手が勝ち上がる準々決勝進出を逃した。レース後には「スタート台に立てて、けがなく完走できて幸せです。今できる全力を出せたのは良かった」と振り返った。2~3日前から股関節から膝や足首が悪くなり、歩くのも困難だったことを明かし「公式練習はスキップして、今日が一発勝負で臨んだ」と語る魂の滑りだった。

 長らくアルペンスキー界で活躍したが、18年平昌五輪に出場がかなわなかった。レジェンド・皆川賢太郎氏の勧めで、19年にスキークロスに転向。わずか3年で22年北京五輪に初出場し、昨年3月の世界選手権では日本人初の銅メダルを獲得した。「自信も重ねて、五輪のメダリストになるんだ」と強い思いを胸にミラノ五輪へ励んでいた。

 五輪へ一直線に歩む中で悪夢に襲われた。昨年12月19日にイタリア・イニヒェンで行われたW杯予選で転倒し、「股関節後方脱臼」「左大腿骨骨頭の骨折」「右肋骨十番の骨折」を負い、全治は6か月と診断された。「一度は諦めかけた」というミラノ五輪出場へ、骨のずれが大きくないことから手術を受けずにリハビリを決断。「3倍の速さでリハビリをしなければいけなくても、五輪に出たいと思った」と決死の覚悟で励んできた。

 昨年12月23日に帰国後、そのまま今年1月4日まで入院。受傷後、3週間たった1月9日には驚異の速さで歩行が可能になり、自転車でリハビリ施設に通うようになった。元アルペンスキー日本代表の妻・未里さんが食事面でサポートし、「リハビリの段階でも日常生活で立ち上がる時に時間がかかったりするので、助けてもらったり、家の中でも支えてもらっている」と家族の献身的な支えで五輪が開催されるリビーニョ入りをしていた。

 5歳と4歳になった2人の息子には「ダディー」と呼ばれ、「ダディーの仕事はスキー選手」と認識もされてきた。今回の五輪では、まな息子に初めて現地で応援してもらえる機会だった。須貝も「ずっと前から思っている通り、物事に取り組む時には楽しさが必要。楽しさがどの努力にも勝ると、子供たちに伝えたい」と強い思いで夢舞台へ、諦めずに大けがと向き合ってきた。目標のメダル獲得には届かなかったが、大けがから約2か月。復帰の過程で夢を諦めずに戦い抜く父の背中を見せた。

 ◇須貝 龍(すがい・りょう)1991年12月11日生まれ。新潟・胎内市出身の34歳。幼少期にスキーを始め、2011年全日本選手権スーパー大回転で優勝。18年にアルペン種目の5つのうち3つで日本ランキング1位。だが、18年平昌五輪出場を逃し、当時の全日本スキー連盟の強化本部長だった皆川賢太郎氏の勧めで19年にスキー・クロスに転向。21年3月W杯2位。初出場した22年北京五輪は予選敗退。25年世界選手権日本人初の銅。家族は妻と2男。身長177センチ。