【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】 先週末の第7回サウジカップで、フォーエバーヤングが同レース初の連覇を果たした。…

【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

 先週末の第7回サウジカップで、フォーエバーヤングが同レース初の連覇を果たした。7回のうち日本馬が2頭で3勝。第4回の勝ち馬パンサラッサも、フォーエバーヤングも、矢作芳人調教師の管理馬である。

 1971年の目黒記念(春)でメジロムサシとメジロアサマがワンツーフィニッシュを決めたとき、「これは目黒記念ではなくメジロ記念だ」と言われた。その3年前と4年前の目黒記念(秋)をメジロの馬が勝っていたことも影響していたと思われるが、サウジカップも、ここまで来たら「ヤハギカップ」と呼ぶ人が出てきそうだ。

 今回、15億円超の1着賞金を獲得したフォーエバーヤングの総獲得賞金は45億円を超えた。

 日本で初めて獲得賞金1億円を突破したのは、1969年に天皇賞(春)を制したタケシバオーだった。大台に到達したレースは同年秋の毎日王冠(1着)。

 初めて獲得賞金10億円を突破した日本馬は史上初の天皇賞父仔3代制覇をなし遂げたメジロマックイーン。10億円超えを果たしたのは、ラストランとなった1993年の京都大賞典(1着)だった。

 イクイノックスが2023年のジャパンカップを勝って総獲得賞金が20億円を超えたときも驚いたが、フォーエバーヤングは現時点でその倍以上も稼いでいるわけだ。

 これでもまだ世界歴代トップではないというから、恐ろしい。歴代トップの香港のロマンチックウォリアーは49億円以上で、こちらもさらに稼ぎそうだ。

 円が強い時代だったこともあるが、メジロマックイーンの総獲得賞金10億1465万7700円は当時の世界最高記録だった。それが今、「netkeiba」の「歴代獲得賞金ランキング」を見ると、メジロマックイーンは、掲載されている15位までに入っていない。検索してみたら、個人で運営していると思われる「うまステ」というサイトに10億円以上稼いだ日本馬のランキングが掲載されており、メジロマックイーンは歴代39位となっている。

 物価も賞金額も為替も変わって当然とはいえ、ちょっと寂しく感じられる。

 フォーエバーヤングに話を戻すが、この馬の母フォエヴァーダーリングは、先週の本稿にも書いた、かつてJRAの獣医師で、ダーレー・ジャパン社長などを歴任した高橋力さんがエージェントとしてアメリカで見つけてきた馬だ。高橋さんは、初めてフォエヴァーダーリングに会ったときも、日本初の女性オーナーブリーダーの沖崎エイ(1899-1989)に教えられたとおり、馬に手のひらを舐めさせ、口に指を入れてコミュニケーションを取ったという。

 こんなふうに、2026年に世界の賞金王を目指そうとしているフォーエバーヤングと、1940年に鍋掛牧場を創設した女傑・沖崎エイが時を経てつながるのは、競馬ならではの面白さだと思う。

 先に年号を記したように、沖崎エイは、明治時代に生まれ、大正、昭和を生き、平成元年に90歳で世を去った。

 孫の沖崎誠一郎さんの手元に残されているエイの写真で、最も若いときに撮られたのは三女の芳江(誠一郎さんの母)がお腹にいた29歳か30歳のときのものだ。

 その少しあとの写真も何枚かあるが、ほとんどが、戦後、夫・藤七を亡くした40代後半以降で、60代、70代の写真が最も多い。つまり、「鍋掛のおばあちゃん」と呼ばれるようになってからだ。

 その時代の月刊『優駿』を見ると、メジロ牧場を創設した北野豊吉(1904-1984)や妻のミヤ(1912-2004)は、「沖崎さん」より「鍋掛のおばあちゃん」とか「鍋掛のばあさん」と言っているほうがずっと多い。それだけで、取材している側も、読者も、誰のことなのかわかったのだろう。メジロマックイーンが活躍していたころ、「メジロのおばあちゃん」と言えば北野ミヤだと誰もがわかったのと同じような感じだったのか。

 さて、仕事の合間に外食しようと川沿いの道に出たら、甘い香りに足が止まった。見上げると、道沿いの紅梅が小さな花をいくつもひろげている。何か、一生懸命な感じがしてとてもいい。紅梅と白梅のどちらが先に咲くかは品種によるらしく、この隣の白梅は、いつも紅梅より少し遅れて咲く。

 スギの花粉も舞っている。去年の秋から花粉症の舌下免疫療法を始めた。効果が出るのはまだずいぶん先になるようだ。