ホンダF1 ベテランメカニック対談 第2回(全4回) 2026年シーズン、ホンダはアストンマーティンと組んで、第5期のワ…

ホンダF1 ベテランメカニック対談 第2回(全4回)

 2026年シーズン、ホンダはアストンマーティンと組んで、第5期のワークス活動を再開させる。そこで今回、F1カメラマンの熱田護氏が、ホンダF1の第3期(2000〜2008年)と2015年からスタートした第4期を最前線で支えてきたふたりのメカニックに話を聞いた。

 ひとりは2025年までレッドブル・レーシングでチーフメカニックを務めた吉野誠さん。もうひとりは同じく2025年までレーシングブルズ(トロロッソ、アルファタウリ)でチーフメカニックとして活動した法原淳さん。ホンダの現場の「顔」として長く活躍してきたベテランメカニックのふたりに、ホンダF1の過去と未来について熱く語ってもらった。(インタビュー実施=2025年12月)

第1回を読む>>>【ホンダF1・メカニック対談 吉野誠×法原淳】フェルスタッペン、佐藤琢磨......関わったF1ドライバーの「素顔」を明かす

【それぞれのベストレース、ワーストレース】

ーーこれまでのホンダF1のメカニック人生で一番うれしかったレースは?

法原淳(以下、法原) やっぱり2021年の最終戦アブダビGPで、マックス・フェルスタッペン選手がホンダに30年ぶりのワールドチャンピオンのタイトルをもたらしてくれたレース。心からうれしかったです。

吉野誠(以下、吉野) 私も一緒です。2021年のアブダビGPがベストレースですね。

法原 もうひとつ挙げるとすれば、2020年の第8戦イタリアGP。当時アルファタウリのピエール・ガスリー選手がモンツァ・サーキットで優勝したレースです。僕自身、F1ではあまり優勝の経験がないんですけど、自分が担当したガスリー選手が勝った瞬間は格別でした。



レーシングブルズのメカニックを務めた法原淳さん(中央)

ーーでは、一番悔しかったレースは?

吉野 2レースあるのですが、ひとつはBARホンダ時代、2005年のマレーシアGPです。アンソニー・デビッドソン選手が病欠した佐藤琢磨選手の代役で出場したのですが、エンジンのオイル漏れでリタイアしてしまったんです。それは簡単に言うとホンダの設計不良が原因で、その部品を組み替えたのは私たちでした。

 よいと言われたものをつけて走ったら、それが原因でオイル漏れが発生してしまった。当時テストドライバーを務めていたデビッドソン選手は久しぶりにレースに出場する機会を得て張り切っていたのですが、リタイアさせてしまった。その申し訳なさで、今でもすごく記憶に残っています。

 もう1戦はフェルスタッペン選手がリタイアを喫した、2022年の第3戦オーストラリアGP。これもエンジンが直接の原因だったのですが、エンジン関連でリタイアしたレースは本当に悔しくて忘れることができません。



レッドブルのメカニックを務めた吉野誠さん(右)

法原 悪いことは早く忘れちゃうのが僕のいいところなんですが(笑)。今の吉野さんの話を聞いて思い出しました。2004年のモナコGPでBARホンダをドライブしていた佐藤琢磨選手のエンジンがブローしてしまった。その時は、ヘコみましたね。

ーーああ、覚えています。7番グリッドからレースの臨み、スタートで一気に4番手まで浮上したのですが、2周目にエンジンが......。

吉野 私もヘコみました。消火剤まみれのマシンがガレージに戻ってきたシーンは今でも覚えています 。

法原 本当にいいレースだったんです。トラブルの直接的な原因はエンジンではないのですが、エンジンにまつわる部品が故障してしまった。そのために最終的にリタイアという形になりました。

 当時は僕も若かったので、決勝が終わっても悔しくて悔しくて、その日の夜は眠れませんでした。フランスのニースのホテルに泊まっていて、翌朝、ホテル沿いの海岸線から朝日が上がってくるのを見ていると自然に涙があふれてきました。それくらい悔しかった。

吉野 少し違う意味で、一番インパクトがあったのは第3期の2001年シーズンの開幕戦オーストラリアGPです。そのレースでジャック・ヴィルヌーヴ選手が他のドライバーと接触して、マシンが宙を舞って壁に激突。外れたタイヤがマーシャルの方に当たってしまい、残念ながらお亡くなりになりました。

 レース後、サーキット内の部屋にマシンが保管されていたので、先輩方と部品の一部を引き取りにいくことになりました。その暗い部屋のなかに入ると、クラッシュしたマシンがポツンとあって、そばには実際にマーシャルの方にヒットしたタイヤも置いてありました。それ見た瞬間、人が亡くなったという衝撃を受けると同時にあらためてF1の怖さを感じたんです。

「一歩間違えば人が死ぬんだ」とF1の世界ではよく言われる話です。「ボルトを1本でも締め忘れると、ドライバーが死ぬこともある。だから死ぬ気でチェックしろ」と先輩から何度も言われてきましたが、それまではどこかリアルに感じることができなかった自分がいました。

 でもそのオーストラリアGPでクラッシュしたマシンを見た時、我々の仕事はつねに自分のベストを尽くさないと人を殺してしまうこともあるんだと実感しました。その経験が自分のメカニック人生において大きな影響を与えました。その後、自分の仕事でボルトの緩みを出したことは一回もないです。

【時代を経てメカニックに求められる仕事が変化】

ーー現場で見ていてもメカニックの仕事はプレッシャーが大きいですし、肉体的な負担も大きいと思います。そのなかでも大変だったことを教えてください。

吉野 (排気系統の部品の)エキゾーストパイプの交換ですね。予選と決勝でエンジン交換が自由にできた2000年代前半までは高温になっているエキパイをすぐ替えなければならないケースがけっこうあったんです。もうチンチンに熱い。当然、耐熱性のある手袋を使って作業をするのですが、それでも火傷するんです。それくらい高温のエキパイを汗だくになりながら替えていました。

 もちろん今もエキパイを交換することもあるんですけど、現代のパワーユニット(PU)は熱エネルギーを回収するという方向になっていますし、遮熱板もついていますので、そんなに熱くないんです。

法原 今のF1ではエキゾーストパイプが熱いということは、逆にエネルギーを損しているということになるんです。熱くなっちゃいけないものになっています。そのあたりは昔のエンジンは大変でしたが、今のPUと違って構造がシンプル。作業はしやすいんです。

 だから今、現場に来ている若いメカニックたちはすごいなと思います。あの複雑なPUを一から組み立てて、なんのトラブルもなく走らせています。簡単なことじゃないと思います。

吉野 同感です。自分たちの後輩ですが、本当にすばらしいと思いますね。

ーー第3期のNA(自然吸気)エンジンのV10やV8と、2025年までのV6ターボにMGU-K(運動エネルギー回収システム)とMGU-H(熱エネルギー回収システム)が組み合わされたPUでは、メカニックの仕事のレベルや要求度はどれくらい違うものなのですか?

法原 昔のNAの高回転エンジンは構造がシンプルですが軽量化されていますので、ちょっとした熱や振動ですぐ壊れてしまう。たとえば、ハーネス(配線)が切れたり、補器類が壊れたり、すぐに部品にクラック(ひび)が入ったりするんです。でも、今のPUはまず壊れることはありません。

吉野 あと昔は壊れたパーツは何でも交換できたんです。さすがにピストンなどのエンジン内部のパーツは無理ですけど、それ以外の部分はほぼ何でも現場でパーツ交換ができました。今のPUはちょっとでも信頼性に懸案がある部品は使いませんが、当時はしょっちゅう現場で組み替えていました。

ーーでは現場での仕事量は昔のほうが多かった?

法原 そうですね。そもそも1レースに持ち込むエンジンの数が違います。第3期に2チームに供給していた時代は、1レースで最大17台くらい持ち込んでいたと記憶しています。1チームにマシンが2台で、各ドライバーがレースウィークの金、土、日曜の1日に1台、さらに予備車両のTカーがあって、スペアエンジンもありましたから。

吉野 今はレギュレーションによって年間で使用できるPUの数は決まっていますし、そのなかでいかにうまく運用していくかという難しさはあります。あと今のほうが大変なのは、レースとレースの間にサーキットやファクトリーでする部品交換ですね。その部分は昔よりも断然、仕事の量は多いです。

 逆に昔は、メカニックが現場でやる仕事が非常に多かった。曜日ごとにエンジンを交換していましたから。ただ当時のエンジンは構造がシンプルなので、今みたいに作業に時間がかからないんです。エンジン交換と言ってもわりと早くできちゃうんです。

ーーひとりのメカニックがNAのV10のエンジンを組み立てる時間と、今のPUを組み立てる時間は、どれくらい差があるんですか?

吉野 今のPUのほうがたぶん3倍以上は時間がかかると思います。昔はエンジンだけでしたけど、今はMGU-KもMGU-Hもありますからね。PU全体という話になると、作業時間は全然違いますね。

法原 3倍ではきかないかもしれないです。その分、今は分業制になっている部分もあります。

吉野 現代のPUは相当複雑になっています。単純にひとりの工数で並べた場合は、NAエンジン時代に比べて5〜6倍になっているかもしれません。

第3回につづく 2月13日公開予定

<プロフィール>
吉野 誠 よしの・まこと/1969年生まれ。1990年、ホンダ入社。国内の一般車のサービス部門を経て、1999年からF1プロジェクトに参画。当初はホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)が製作したテストカーのプロジェクトに関わり、2000〜2008年には第3期F1で活動。その後、燃料電池の開発に携わり、2018年にF1プロジェクトに復帰。2025年までレッドブル・レーシングのチーフメカニックを務めた。

法原 淳 のりはら・あつし/1970年生まれ。1991年、ホンダ入社。国内の一般車のサービス部門を経て、1998年からジョーダン・無限ホンダのエンジン開発に関わり、2000〜2008年、第3期F1プロジェクトに参画。その後、量産車のミッション開発に携わり、2018年からF1プロジェクトに復帰。2025年までレーシングブルズ(アルファタウリ、トロロッソ)のチーフメカニックを務めた。