東京ヴェルディ・アカデミーの実態~プロで戦える選手が育つわけ(連載 Jクラブのみならず、いわゆる街クラブが日本全国に数多…

東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載

 Jクラブのみならず、いわゆる街クラブが日本全国に数多く存在する現在、育成年代の指導においても、その標準レベルは上がった。当たり前になっている常識が増えた、と言い換えてもいいだろう。

 たとえば、周りをよく見ること。

 首を振る、などと表現されることもあるが、つまりは、周囲の状況をしっかり把握してプレーしよう、ということだ。今では育成年代の指導における、"いろは"の"い"かもしれない。

 ところが、小学生時代から読売クラブで育った菊原志郎(現FC今治U-12監督)には、コーチから「周りを見ろ」などと言われた記憶がない。だからといって、菊原が周りを見ることの重要性に気づいていなかったかと言えば、そうではない。

 なぜなら、菊原いわく、「相手のプレッシャーは速いし、いろんなところからボールをくれって言われるし、常に(周りを)見ざるを得なかった」からだ。

「なにしろ、見て感じ、頭で考える。そうやって、いろんなチャレンジをしていく。その繰り返しでした。そのなかで読売がよかったのは、子どものアイデアとか、発想とかを、すごく大事にしてくれたこと。子どもがいろんなことにチャレンジできるし、失敗しても、何度でもやれる。その環境がすごくよかったと思います」

 当時はまだ、一般論で言えば、スポーツの現場に根性主義が強くはびこっていた時代である。だからこそ、と言うべきか、菊原は「(読売では)怒られないし、指示されないから、サッカーが面白くてしょうがなかった」という。

「自分で考えて、何でも試せる。その環境が子どもたちの脳を発達させて、体の動きを発達させて、テクニックを発達させていった。やればやるほど、それが自然と身についていくっていう感じでした」

 読売の指導法は、他とは一線を画していた、と言ってもいいだろう。

「他の少年団とかは、一生懸命走って、蹴って、怒られてっていうサッカーをやっていたなかで、僕らは相手をよく見て、細かくパスをつないで、どうやって崩していくのかっていうことを徹底してやっていた。外から見ると、ちょっと不思議なチームだったんじゃないですか」

 ただし、そこで重要なのは、自分で考えるという点である。

 菊原が「感性というか、よいものや大切なことを感じる力とか、観察力とかが長けていないといけなかった」と表現する環境は、菊原には適していたかもしれないが、ひたすら指示を待ち、サッカーを教えてもらいに来ていた選手には向いていなかった。

「僕は『感性を鋭くしなきゃいけない』とか、言葉で聞いたことはないし、思ったこともない。ただ、なにしろ見て、感じないといいプレーができない。それがすごく体に染み込んでいきました。

 僕は今(ヴェルディを離れて)いろんなところで指導していますけど、(選手が)習い事に来ているような感じがすることがあります。『今日は何を教えてくれるんですか?』みたいな雰囲気になっている。でも、僕らはそういう育ち方ではなかったんです。

 自分で判断する楽しさですよね。指示されて、言われたことだけをやっていたら、たぶん楽しくなかったと思います」

 最近は指導の標準レベルが上がるにつれ、育つ選手の標準レベルも上がってきた。

 だがその一方で、選手に個性がなくなった、とはよく聞かれる指摘である。

 いわゆる、決め手を持つ選手、あるいは、違いを生み出せる選手。そうした選手が才能の芽を出すためには、菊原のような考え方、すなわち読売的な考え方が、今の時代にも必要なものなのかもしれない。

「今だと、一回失敗すると怒られて、次から『チャレンジしたいけど、やめておこうかな』みたいな気持ちになってしまう選手もいます。でも、読売は何度失敗しても試せる環境だったから、細かい部分に異様にこだわる人たちがいたんです。『この人、勝ち負けより、スルーパスのことしか考えてないんじゃないのかな』みたいな人が(笑)」

 ただ、菊原は「Jクラブのコーチたちは結果で評価されることも多いので」とも言い添え、「特に(カテゴリーが)下に行けば行くほど、若いコーチや経験の少ないコーチを配置することが多く、彼らはどうしても結果を出さないといけないっていうプレッシャーもあるのだろう」と、アカデミーでの指導の難しさにも気を配る。

「その辺を、いかにクラブが整理できるか。小中学生の時にチーム戦術で勝つのではなく、徹底して個人の能力を高めることによって、『一人ひとりができることを増やしていけば、自ずと勝つ確率は上がるよね』っていうふうになっていくのもひとつの手段かもしれない。

 僕が15歳で(トップチームで通用する)ある程度のレベルまで行けたっていうのは、やっぱり読売の指導があったから。指示されたことだけを忠実にやっていたら、15歳で大人の世界に入って、自分で判断してプレーするなんてことは、たぶんできなかった。そういうところは、もしかしたらヒントになるのかなって思います」

(文中敬称略/つづく)