Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち【第28回】ドゥンガ(ジュビロ磐田) Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴…

Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第28回】ドゥンガ
(ジュビロ磐田)

 Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。

 第28回はドゥンガをピックアップする。ブラジル代表として3度のワールドカップに出場したビッグネームは、ジュビロ磐田にプロフェッショナリズムを植えつけ、チームをひとつ上の領域へと押し上げた。1990年代後半のジュビロのタイトル獲得は、彼なしには有り得なかったと言っていい。

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ドゥンガ/1963年10月31日生まれ、ブラジル・イジュイ出身

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 この名前は、たくましさと力強さを、闘争心と不屈の精神を、そして畏怖を連想させる。

「ドゥンガ」である。

 日本のサッカーファンに広く認知されたのは、1990年のイタリアワールドカップがきっかけだっただろう。ブラジル代表では珍しい「4番を着けたボランチ」として、GKクラウディオ・タファレル、ボランチのパートナーMFアレモン、CFカレッカらとチームの中核を担った。

 4年後のアメリカワールドカップにも出場した。今度は8番を着けてマウロ・シルバとコンビを組み、ノックアウトステージからは不振のライーに代わって主将の腕章を巻いた。

 チームは開催国アメリカをラウンド16で退け、オランダとのスリリングな準々決勝をくぐり抜け、準決勝では大会を盛り上げてきたスウェーデンを1-0で下した。そして決勝ではイタリアとのPK戦を制し、4度目の世界制覇を成し遂げる。ドゥンガは黄金のトロフィーを掲げた。

 Jリーグにやってきたのは、翌1995年夏である。日本代表や五輪代表が揃うジュビロ磐田で、同年10月に32歳となったドゥンガは際立った存在感を放っていく。試合中のピッチで選手を怒鳴りつける姿は「鬼軍曹」とも呼ばれた。

【勝って批判されたほうがまし】

 チームが初めてJリーグの年間王者に輝いた1997年のシーズンを受けて、ドゥンガに話を聞いた。ブラジル代表のキャプテンは、質問者の目を見ながら丁寧に答えていく。誠実な人柄がうかがえた。

「何かミスが起こった場面で、私はそれを見過ごすことができない性格なんですよ。なぜって、同じミスが起こったらチームが困るじゃないですか。その選手を攻撃しているわけではなく、ミスを放置せずにすぐに修正することによって、チームのパフォーマンスが上がると信じています」

 ドゥンガの言葉を聞いていて、「衝突からの結束」という言葉が頭に浮かんだ。彼は「そう、そういうことですよ」と大きくうなずいた。

「私の言動によって、チーム内の雰囲気が悪くなるかもしれません。いや、実際になっていたのでしょう。でも、私はそれを恐れません。『これぐらいでいいや』とか『何となく』という姿勢では、求める成果は得られないと思うのです。

 相手にとってはキツい言葉だとしても、それが私の心の奥底からのものであれば、その選手の人格を否定するものではないということが伝わるはずです。そして、一度ぶつかり合ったあとの結束は、それまでよりもはるかに強固になる。ともに苦しみを乗り越えられるのです」

 オフ・ザ・ピッチでは穏やかな表情を浮かべる彼が、ここまで厳しい姿勢を貫くのはなぜか。「プロフェッショナルだから」とか「負けず嫌いだから」という説明では、明らかに足りないだろう。

 通訳の言葉を聞いたドゥンガは、「私はインテルナシオナルでプロになったのですが」と話した。質問の答えがどこへ辿り着くのか、想像をしながら聞いていく。

「インテルナシオナルからコリンチャンス、サントス、ヴァスコ・ダ・ガマと渡り歩きましたが、どのクラブでもメディアとファンからのプレッシャーは猛烈でした。ブラジル代表になると、それがさらにすごくなる。

 負けたらもう、徹底的に叩かれる。引分けでもまったく評価されない。勝っても1-0や2-0では『大したプレーはしていない』と言われる。4-0や5-0で勝つと、今度は『相手が弱すぎた』と言われる。1994年のワールドカップで優勝した時も、『ブラジルらしくない』と批判されましたから。

 自分と同じポジションにいい選手がいれば、ファンは『ドゥンガを外してその選手を使え』と言う。そういうなかでプレーしていれば、誰だって自分に厳しくなる。チームメイトにも要求するようになる。勝っても負けても批判されるなら、勝って批判されたほうがまだ気持ちがいいですし」

【JリーガーでもW杯で戦える】

 猛烈な反骨精神のすぐそばには、ピュアな思いもあった。

「ブラジルのサッカー選手には、アマチュアのような部分が残っています。それは、サッカーがすごく好きだということです。ヨーロッパのクラブへ移籍することにしても、好きなサッカーをより高いレベルで表現したい、という気持ちがある。もちろんお金のためでもありますが、サッカーが好きだという気持ちをずっと持ち続けていきます」

 ならば、ヨーロッパよりもレベルが落ちる日本へ来た理由は?

 ドゥンガはゆっくりと首を横に振った。

「Jリーグが発展途上だと言うことは否定しません。けれど、レベルの高い外国人選手がいるじゃないですか。ジュビロにはアジウソンというすばらしいCBがいる。鹿島にはジョルジーニョやビスマルクがいて、マリノスにはフリオ・サリナスがいる。グランパスではストイコビッチが活躍している。

 彼らのような優秀な外国人選手と戦い、勤勉で真面目な日本人選手と過ごす日々から、私自身も学ぶことが多い。つまりは『成長できる』ということです」

 1998年のフランスワールドカップには、ジュビロの一員として出場した。34歳にしてなお主力を担い、グループステージ初戦からファイナルまでの全7試合にスタメン出場した。帰国後、ドゥンガは言った。

「Jリーグでプレーしていても、ワールドカップのレベルで戦えることを証明できたと思う」

 そして、こうも話した。

「ブラジルは準優勝に終わったから、厳しい言葉をたくさん受けた。それがまた、私を成長させてくれます」

 この男の敢闘精神は、あきれるほどに揺らぎがなかった。