DeNAから戦力外通告を受けた三嶋一輝投手(35)が長年背負った背番号と同じ17日、現役引退を決断した。今オフに戦力外通…

DeNAから戦力外通告を受けた三嶋一輝投手(35)が長年背負った背番号と同じ17日、現役引退を決断した。今オフに戦力外通告を受けてから現役続行を目指してトレーニングを続けていたが、NPB球団からのオファーは届かず。開幕投手、先発ローテ、守護神からセットアッパーと投手としてすべてのポジションでチームを支えてきた35歳が、プロ13年間の現役生活に自ら区切りをつけた。

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DeNA三嶋一輝投手(35)は、とてもシャイだ。私がDeNA担当をしていた21年、三嶋はクローザーを務めていた。試合を締めても、派手なガッツポーズというより、控えめに喜んでいた印象が強い。

ある横浜スタジアムでの試合日、左翼のブルペンから出てきた。チーム練習が始まる随分と前、グラウンドでは早出の練習もこれから始まるぐらいの時間だった。ホームのロッカー室が一塁側にあるため、つながっている右翼のブルペンから出てくるのなら分かるが、左翼側のブルペンから出てくるDeNAの投手は初めて見た。

理由が、三嶋らしかった。「朝に来ると、誰もいないので、集中できるんです」。左翼のブルペンにはウエート器具が置いてあるのだという。ここで1人、誰に見せるわけでもなく、黙々とトレーニングを積み重ねていたのだ。この年は、ルーキーイヤー以来、8年ぶりのオールスター出場を果たした。175センチという投手としては小さな体を目いっぱい使って、打者に立ち向かう。体力を維持するのは大変だったと思うが、陰の努力が身を結んだ。

法大時代も三嶋投手には何度も取材した。大学4年秋、エースとして大車輪の活躍を見せ、7季ぶりに東京6大学を制した。12年12月10日、法大グラウンドに近い法政二高から武蔵小杉駅前を通過し、中原区役所まで約1・2キロ。約2000人から祝福された。パレードが終わって、取材するとポケットからサインボールを取り出した。「途中で投げようと思っていたのですが、投げるタイミングがなくて。ちょっと恥ずかしくなっちゃって」。マウンドでの堂々たる投げっぷりとの、あまりの落差に驚いた。

17年のキャンプ中には結婚の記事を書いた。後輩記者がネタをつかんだのだが、彼は既にDeNA担当を離れていたため、書く当日、遊軍として、たまたまDeNA取材に行く私にお鉢が回ってきた。「野球選手として、男として守るべきものができた。より一層、野球に取り組まないといけないと改めて感じました」「本気で怒ってくれる人に初めて出会いました」と結婚の感想を取材した後、いろいろと雑談した。

印象的だったのは「僕も大人になりました」だった。どういう意味か。実はこの前年、16年はプロ最少の4試合登板に終わっていた。新人時代は6勝を挙げ、オールスター出場、規定投球回クリアと大活躍だった。だが、2年目には開幕投手に抜てきされた。あっという間に中心投手と目されたが、この年は不調に陥り、1勝に終わった。3年目は5勝を挙げて復活の兆しを見せたが、4年目の16年には再び2軍生活が長くなっていたのだ。故障があったわけではなく、一時は1軍昇格の道筋が見えなくなり「腐りかけていました」。だが、後に妻となる女性の支えもあり、気を取り直していた。それが「大人になりました」だったのだ。

この時、私は「誰か見ている人は必ずいるよ」と伝えた。たとえ2軍にいても、好投を続けていれば、他球団のプロスカウトが発見し、新天地で活躍できると思ったからだ。だが、トレードになることはなく、18年には60試合で7勝。15ホールドと、救援で大活躍した。そこからクローザーへのし上っていった。

21年2月、抑えとしてのメンタル面を聞くと「プロで酸いも甘いもいろいろ経験してきた」と自負していた。この後、黄色靱帯(じんたい)骨化症といった難病も乗り越えて来た。今後、指導者であれ、他の仕事であれ、栄光と苦労の両方を知る、温かみのある人柄は第2の人生でも輝くはずだ。

【21年DeNA担当=斎藤直樹】