2026年が始まり、早くもサッカーが人々の胸を熱くしている。全国高校選手権も、そのひとつだ。神村学園の戦いぶりから浮か…

 2026年が始まり、早くもサッカーが人々の胸を熱くしている。全国高校選手権も、そのひとつだ。神村学園の戦いぶりから浮かび上がった日本サッカーの問題点に、サッカージャーナリスト後藤健生が光を当てる。

■日本で起きている逆転現象

 そうした、さまざまな事情が重なって、高校サッカーでは守備的な(ネガティブな)、勝利至上主義が横行することになる。

 相手の良さを消すためにスモールフィールドをつくって、相手にスペースと時間を与えない。あるいは、引きこもって守備に徹する。そして、攻撃はカウンターかセットプレー、あるいはロングスローといった“飛び道具”に頼る……。

 かなり倒錯した状況と言っていい。

 プロの試合だったら結果が重視されるのも理解できる。一方、高校サッカーというのは育成段階に当たるのだから、結果よりも、むしろプレーの内容に重きを置くべきなのだ。

 だが、日本ではそれが逆転している。

 それで、高校サッカーの世界で数多くのタイトルを獲得した指導者がプロ・クラブの指導者に転身して、高校サッカーで培ってきた勝負に徹した試合を行って結果を出したところ、守備的な試合内容を批判されるような倒錯した事態が起こるのだ。

■神村学園が見せた内容ある試合

 もちろん、プロの試合もエンターテインメントだから、守備的なサッカーより娯楽性の高い内容も求められるが、プロのリーグ戦では結果が重要視されても当然だ。だが、育成段階の試合では、間違いなくプレーの内容のほうを重視すべきであるはずだ。

 そうした意味で、神村学園の試合は非常にポジティブなものだった。

 ピッチの幅をいっぱいに使って、長短のパスを通しながら、スペースをうまく使ってボールを運び、サイドからのクロスと前線への縦へのボールをバランス良く使って相手を攻め崩した。

 ロングボールだけとか、パスをつなぐことで自己満足に陥ることもなく、非常に良いバランスの攻撃ができていた。

 守備面でも、対面の相手に対しては1対1でしっかりとストップし、難しい場面では間合いを寄せてディレイさせながら味方の戻りを待ったりといったグループ戦術も使えていた。そして、一部のチームにあったような簡単にファウルで止めてしまうようなこともまったくなかった。

■リスクに屈しかけた準決勝

 もちろん、オープンな試合を続ければ、リスクも背負うことになる。

 そのことを痛感させられたのが、準決勝の尚志戦だったろう。

 尚志は、準々決勝から準決勝までの中5日のインターバルを使って、神村学園のサッカーを分析して、対策を徹底して戦った。そして、先制ゴールを決めて、その後も主導権を握ってプレーしていた。最終的には神村学園に追いつかれてPK戦で敗れることになったのだが、格上の神村学園を相手に戦術的工夫によって勝利をつかむ目前まで迫った。

 一つは守備の徹底。べったりと引いて守るわけではないが、神村学園の前線のアタッカーにボールが渡る瞬間に素早くアプローチをかけてフリーでボールを扱わせなかったことで、神村学園の攻撃は分断されてしまった。

 一方、攻撃面ではエースの根木翔大をトップ(センター)ではなく右サイドに置いて、彼の走力を生かしてサイドから攻めることを徹底させた。

 神村学園は前述のようにサイドバックを高い位置に置いてプレーさせる。ボールを回している時間にサイドバックが上がるのではなく、最初からポジションが高い。

 そのため、守備ラインにギャップができるのだ。

 右サイドの根木に対するのは、神村の左SBの荒木仁翔だった。しかし、荒木のポジションが高いために、左CBの今村太樹と荒木の間にギャップが生じるのだ。尚志は、ダイアゴナルなパスを使って、このギャップを徹底的に狙ってきた。そして、前半の5分、ゴールラインを割るかと思えた長いボールを、根木が俊足を生かして追いついてクロスを上げて、岡大輝が決めて先制したのだ。

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