園田通訳は「僕じゃない方がいいのではないか」と思ったこともあるという(C)Getty Images 球団初のワールドシリ…

園田通訳は「僕じゃない方がいいのではないか」と思ったこともあるという(C)Getty Images
球団初のワールドシリーズ連覇を果たしたドジャースにとって、山本由伸は欠かせない存在だった。チームで唯一、先発ローテーションを1年間守り抜き、ポストシーズンでも抜群の安定感を見せた。負けられない一戦で、何度も窮地を救ったエース右腕。陰で支えてきた人物の1人が、園田芳大通訳だ。山本はフィリーズとの地区シリーズ先発前日、10月6日に同通訳に対する思いを語った。
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「陰での努力は、僕が感じるほどすごくされているなと思います。去年、野球業界に入って、大きな決断だったと思いますし、やっぱりその覚悟が日頃の努力からすごく感じられるなと思ってますし、純粋さだったり、素直さだったり、そういったものがすごくある方なので、すてきだなと」
米国東海岸の大都市ニューヨークを拠点とし、映画の照明技術者として20年以上のキャリアを積んだ。園田通訳が野球界へ転職し、新たな挑戦を始めたのは46歳。山本は、そのチャレンジ精神と覚悟にもリスペクトがある。
“陰の努力”と言えば、山本とともに1年目のキャンプを迎えた昨年2月。心が折れかけたことがあった。通訳をする上で英語のコミュニケーションに全く問題はなかったが、専門的な野球用語を初めて知ることも多々あった。全く違う業種へ飛び込み、理解が追いつかない。「自分が通訳では選手のためにならない。僕じゃない方がいいのではないか」と、キャンプイン2日目で球団スタッフに正直な胸中を明かした。だが、道は閉ざされることなく、むしろここから特訓の日々がスタートした。
練習を終えた山本が先に球団施設を後にすると園田通訳はひそかに毎日、野球用語や戦術面などの理解を深める“居残り研修”を受けていた。コナー・マクギネス投手コーチ補佐やデータ・サイエンス担当のスタッフらに協力してもらい、「とてもありがたかったです。本当に素晴らしい球団に入れさせてもらいました」と、今でも感謝の気持ちを忘れない。
それだけでなく、“自主練習”も続けている。パドレスのダルビッシュ有の堀江通訳、メッツ千賀滉大の藤原通訳が囲み取材で英訳する様子をメディアの映像などでチェック。微妙なニュアンスをどう訳しているのか、山本の囲み取材で英訳した自分と重ね合わせながら適宜復習を行い、日本人メジャーリーガーの通訳として着実にスキルを身につけていった。
2年目の挑戦となった25年シーズン。会見や囲みでも互いの笑顔が増えていたのは、揺るがない信頼関係の証だろう。ペットボトルの水を持ち歩き、必要な時に渡す準備など、細かい気遣いも忘れない園田通訳。山本の登板では毎試合、メモ帳サイズのノートに1球1球の記録をつけている。また、登板日には勝負パンツをはく験担ぎも続けている。ブルージェイズとのワールドシリーズ第7戦、第6戦の先発から中0日でリリーフ登板し、山本は胴上げ投手となった。試合後、シリーズMVPの記者会見で、前日から同じ勝負パンツをはいていたという園田通訳について、改めて感謝の言葉を送った。
「プレーするのは僕ですけど、皆さんがそういった姿勢でサポートしてくださっているので、今日みたいなプレーにつながったり、今シーズンのプレーにつながったと思うので、本当に感謝しています」
年齢としては、20年も離れた2人。互いにリスペクトしながら、絆は強くなっていった。山本にしても、園田通訳にしても、絶えない向上心とチャレンジ精神を胸に戦っている。口で言わずとも、どこか互いを理解しあえるような、そんな空気感がある。
[文:斎藤庸裕]
【著者プロフィール】
ロサンゼルス在住のスポーツライター。慶應義塾大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。プロ野球担当記者としてロッテ、巨人、楽天の3球団を取材した。退社後、単身で渡米し、17年にサンディエゴ州立大学で「スポーツMBAプログラム」の修士課程を修了してMBA取得。フリーランスの記者として2018年からMLBの取材を行う。著書に『大谷翔平語録』(宝島社)、『 大谷翔平~偉業への軌跡~【永久保存版】 歴史を動かした真の二刀流』(あさ出版)。
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