■ウイ…
■ウインターカップのコートに立つ意味
歓喜に沸く勝者と、うつむいて顔を覆う敗者。同じコートの上で、残酷なまでのコントラストが広がっていた。
12月24日に東京体育館で行われた『SoftBank ウインターカップ2025 令和7年度 第78回全国高等学校バスケットボール選手権大会』女子2回戦で、第4シードの岐阜女子高校(岐阜県)が札幌山の手高校(北海道)に74-83で敗れ、初戦で姿を消した。
「明日試合がないと思うと、どうしていいかわからないです……」。キャプテンの三宅香菜(3年)の言葉が、事態の深刻さを物語っていた。
「インターハイは試合に出ることができず応援席から応援していたんですけど、やっぱりコートに立つ5人がしっかりしないと試合には勝てないとも感じました。だからこそ、ウインターカップでは自分が勝利に導こうという気持ちでプレーしたんですけど、自分の、自分たちの甘さが出た試合だったと思います」
そう話したのはエースガードの小松美羽(3年)。三宅とともに1年生の頃からウインターカップのコートに立ってきた背番号5は、並々ならぬ思いで今大会に臨んだ。「自信を持って試合に臨みましたし、シュートに関しても最後まで打ちきって、絶対に決めてやるという気持ちで打ちました」と、この試合では17得点をマーク。だが、3ポイントシュートの確率は7分の1と決定力を欠き、追いかける第4クォーターでもことごとく外れた。
「申し訳ない気持ちでいっぱいです」。小松の謝罪の弁には、チームを代表してコートに立つ者としての責任感があらわれていた。
「この3年間支えてくださった方や、試合に出られないチームメートを代表して自分たちは試合に出させてもらっています。にもかかわらず、このような情けない試合をして、チームを勝利に導けなかったことが本当に申し訳ないです」
■「日本一を取りたい」手術を経て臨んだ集大成
優勝を狙えるチームがまさかの初戦敗退。あまりにも早い幕切れだった。しかし、小松がこの場所に戻ることができただけで、十分に意味がある。今年の6月、小松は東海ブロック大会(第72回東海高等学校総合体育大会バスケットボール競技)で左足を負傷。前十字靭帯断裂の大ケガだった。
「普通だったらウインターカップは間に合わないという状況でしたけど、やっぱりこの仲間と日本一を取りたいという思いで手術を選択しました」。諦めずに前を向いた小松は、9月の『U18日清食品トップリーグ2025』でコートへ復帰。ウインターカップでの日本一獲得へ向け、一日一日を積み重ねてきた。
「この大会で日本一になるために手術をしたんですけど、やっぱりそう甘くはないなと思いました」。岐阜女子の前に立ちはだかった札幌山の手も、道内のライバル・日本航空高校北海道に敗北を味わいながら這い上がってきた、まぎれもない実力校だった。
怪我を乗り越え、仲間を信じ、すべてをぶつけた集大成。夢は叶わなかったが、小松が歩んだ3年間は何ものにも代えがたいものだ。
「こうしてバスケットができること、メンバーに入って試合に出ることは当たり前のことではないんだなと。バスケットができることに感謝をして、こうしてたくさんの方に支えられて自分たちは試合ができているんだってことを一番学びました」
最後のウインターカップは、シュートを決めきれない弱さ、チームを勝利に導けない弱さを痛感した。「この負けを次につなげられるようにしたい」。小松美羽は、前だけを見つめている。
文=小沼克年